焚き付け

主に日記を書く

アフリカ単一起源説

 代わり映えのしない生活を続けているうちに、ついに半月何をやっていたかほとんど覚えていないという状況になってしまった。この間、面白いことは何もなかったので小さなトピックを拾い上げては脱線させて膨らませて書いていくことにする。

 

 

 まずは労働の方について。家でただ勉強をするだけの毎日である。オンラインで進んでいる上に顔出しもないのでかなり適当にやっている。要は最後にできていればいいんだろうという思想なので、講師の話をろくに聴かずに寝たり自習したりしている。全員一緒に進む方式は集団として見れば最も効率よい手法なのだろうが、最終的に必要なことを学ぶという目的が達成できるのであればそのために効率の良い方法を独自に取っても構わないだろう。いや、構わなくはないのかもしれないが、それを確認する方法はない(あったとしてもわざわざ確認しない)と言うべきか。なお、自習で同じレベルまで持って行くための時間は共通で学ぶより少ないだろうが、そのための時間を十分確保することも個人としての問題になる。要は自己管理しろということだが、この能力が足りていないため現在やや遅れ気味であることはもはや言うまでもない。

 労働の方でもオンライン同期飲み会が毎週開催されており、アリバイ工作と情報収集のためにこの前2度目の参加をしてきた。だいたい参加率は7割程度なので、このくらいのペースで参加しておけばまあいいだろう。他にもアリバイ工作で参加していると確信した人物もおり、ある程度情報収集は進んでいる。基本的には聞いているだけで会話に参加するのは極力抑えるようにしていて、これは話題となっている事柄に対する大多数の認識の状態と自分の中でのその話題に対する認識の状態が一致しないからである。聞いている限り、参加者内である話題に対する認識はある程度共通のレベルであるという前提がどうも成立しているように思えた。要は「長距離ドライブ旅行してみたい、でも毎日宿に泊まると金がかかるからキャンピングカーを借りたら良いんじゃないとい」う話題に「そもそもそれくらいの距離交代で走れば12時間程度で着くしゆっくり行くにしても車中泊すれば良い」という論理をぶつける必要はないということだ。限界旅行という言葉がtwitterで盛んに使われている(自分はこの表現がかなり嫌いなのだが)ように、自分の旅行に対する認識はどちらかというと大勢に対して外れているわけだが、わざわざここで水を差して異常者扱いされても特に良いことはない。とりあえず常識が一致しない箇所があるということだけ分かっておけばそれで十分だ。

 よく性格診断的なやつで意見が食い違うときに主張するか黙るかみたいなのがあるが、そういうのとは少し違う。あれはあくまで自分が少数派かどうか分かっていないという条件下での質問で、この場合は自分が異端であることが明らかな状態だ。べらべら喋ったところで結局誰も得しないので、黙ったほうが良い。ゾーニングは各人の善意のみによって行われる場合にのみ有効な解決手段になると思っている。

 

 一方生活についてはというと、相変わらず飯と睡眠と通話で一日が終わっている。あとは時々読書と散歩があるくらいか。飯について言えば、相変わらず自炊を続けている。が、主菜のみの食事が増えた。理由は二つあり、ひとつは煮込みなど時間のかかる料理の頻度が減ったこと、もう一つは手際が良くなった分待ち時間が減って一品作る限界効用が大きくなったことだ。固定観念に縛られた料理をしているのでレパートリーが増えない。いろいろ試してみるべきだろうか。読書について言えば、在宅勤務中に気晴らしに読んだり夜に気が乗った時など、章単位くらいで読んでいる。またトワナナ本土版を機に中国語の勉強でもしようと思い、本を買ってきたので少しずつ進めていくことにする。最後、散歩については晴れた休日に15から20キロくらい歩くことを目標にしている。一度歩いてみるとすぐ筋肉痛になったので、かなり脚力が落ちているものと思われる。歩けなくなるのはアイデンティティにかかわる問題なので、積極的に進めていきたい。この季節は涼しくて人も少ない夜が快適だ。自宅の近くには森林がないと思っていたのだが、やや歩くと結構あることが判明したのでとりあえず様子見をしたい。電車に乗っていると思うが東京圏は少し離れれば意外と森林だらけだ。

 

○トライナリー

 3周年記念ということでMVとメノウ新譜、それにオルゴール復刻が発表された。発売はまだ先なので様子見している。メノウ新譜は購入予定で、MVは正直音源だけで十分なのでダウンロード販売が来ればそちらにする予定だ。オルゴールだが、かなり悩んだが見送りにしようと思う。というのも、今の自分には彼女たちに送る手紙を書くことはできない、また彼女たちから返事を受け取る覚悟が足りないと判断したからだ。多分、オルゴールがたとえ100円だったとしてもそう決断したと思う。あの時の思いを文字という形に絞り出すには5日間という交流期間は短過ぎ、切断から1年半という年月は長過ぎた。それに、やはり自分の交流は総意とは大きくかけ離れている一方で、切断以降に見たエピソードは総意に沿った彼女たちの話で両者が混同した状態とあっては自分の中でも整理がままならないというのもある。下書きに残っているトライナリーの思い出その2も長いこと編集していないが、多分1から書き直さないといけなくなっているだろう。結局、今の自分を通してしか文章は書けないし、あの時の自分を今の自分を通さずに語るのは不可能だ。それでも、あの時の自分が紛れもない真実であるということだけが残っている。そんなわけで、非常に心苦しいがオルゴールは見送ることにした。

 そういえばとりあえずガストショップに登録だけしたのだが、IDをトライナリーのbotとしての名前にしておいた。単なる数字の羅列(デフォルトネーム)だったものがいつの間にか意味を持つようになっていく。これが記憶と体験ということなのだろうか。

 

 来月は量感ある生活を目指したい。

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