焚き付け

主に日記を書く

午後4時の客室

 区別のないあいまいな生活を続けるうちに、はや半月が経過した。国が勝手に緊急事態になればなるほど個人としての生活は平和になってゆく。ところで緊急事態と非常事態って何が違うんだろう。

 

 せっかくの大型連休は特に外出することもなく無為に過ごした。遠くへの旅行が可能になるため休みというのは日数が長くなるほど加速度的にその価値は高くなるのだが、外出できないなら何の意味もない。種々の通話アプリで人々と会話や麻雀をしているうちに気付いたら明けていた。できることなら下半期に代替の大型連休でも設定してくれたら喜んで金を使うのだが。

 労働の方も相変わらずだ。研修と称して勉強をやっている。在宅なので話を無視して自分のペースで進めたり仮眠したりできるのは良いことだ。後は昼休みに飯を食うか布団に1時間潜るかを選択できるというのも良い。そしてそれ以上大きいのが通勤分長く眠れるメリットだろう。結局暇な時間は増えれば増える分だけ睡眠に消えるのだ。そして増えた睡眠時間が何に変換されるのかというと、翌朝目を覚ました時の機嫌、ただそれだけである。

 

 上の方にも書いたが、最近の風潮に合わせてさまざまな音声通話ができるアプリが導入された。なぜか界隈で全部使うアプリが違うのは謎。総合的に見ると通信量が抑えめで部屋を分けられるdiscordに軍配が上がるだろうか。あまり会えないような人とも交流できるのは音声通話のよいところだ。対面との違いとしてなんとなく思うこととして、会話が途切れがちになる分話題が移り変わりやすいというのがある。あとは会話が被ると全く何も聞こえない。耳が2個ついているメリットをこのような形で実感できるとは思わなかった。人間の声があるほうが何もないよりは生活感があるので、あまり詳しくない内容の会話でもとりあえず環境音として流している。音楽よりは人の声のほうが耳が疲れなくてよい。

 ところでこの手の音声通話アプリは音声だけだと大したものではないのだが、画面共有を始めると通信量が莫大になる。最初の頃はそんなことを何も考えずに雑に使っていたため、もう既に通信制限に近い状況になってしまっており非常に危険である。現状では固定回線も引いていないので、今後の状況に対応するために何らかの導入が必要だというところまでは来ているのだが、具体的な話は進展していない。実は音声通話だけなら通信制限下でも十分可能なので、めんどくさくて話を進めていないという側面もある。いずれにしても早く導入して困ることは何もないのだが…。

 

 そういえば連休の翌週に友人と三戸浜に行った。もともとトワナナの公式ビジュアルブックを中国から共同で買った(輸送費を抑えるため)ので、その受け取りのついでだ。大船のあたりは賑わっていたが、三崎口まで来ると人はほとんどいなかった。城ヶ島の方も閑散としているのだろう。当然三戸浜なんてほとんど無人で、散歩に来たであろう人と磯で釣りをしていた人がいた程度だ。曇っていて富士山は見えなかったが、やはり広々して良いところである。今回は春だったこともあって、前回よりキャベツ畑は青々としていた。今回は三戸漁港の方にも行ったが、猫がいっぱいいてこれまた良いところである。友人と半日ほどのんびり付近を散歩して、駅のそばの公園で5時の時報を聞いて松屋の系列店で伊勢佐木に1店舗しかないヽ松なる店で晩飯を食って帰った。

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 外出が少ないので体力の低下が心配である。なんだかんだ通学で歩いてはいたことを実感する。そろそろ東京近郊の沢に足を運んで焚き火でもやりたいものである。