焚き付け

主に日記を書く

梅花の芳香

 10月の記録。日常のことは相変わらず何も覚えていないので、さっさと内容に入ろう。というか、日常の思ったこととかをもう少しメモに残すとかしていれば思い出して書けると思うので、残しておこうか。もっともこれがここに反映されるのはこの日記内時間で一年後ではあるが。思いついたことはすぐ消えてしまうので、なんとかメモに残しておければ有効だろう。

 

〇西

 福岡から東に進み、豊後水道を抜けて松山から戻ってきた。実は9月30日からスタートしているのだが、こちらに入れている。なんで行ったか記憶にないが、多分飛行機が安かったとかで適当に決めたんだと思う。とは言いつつ、最近は果物の収穫期はその地域に行こうという思いがあり、そういう意味で福岡が入ったような気もする。

 初日はpeachの始発で福岡へ。とりあえず何も考えず川端に向かってはかた屋でラーメンを食べた。その後天神へ。実は西鉄に乗ったことがなかったので、今回は西鉄で動く算段だ。と言ってもあまり何をやるか考えていなかったのだが、一応前書いたように果物の産地に向かうというのがあったので、最終的には柿やぶどうの産地である朝倉や浮羽に向かう予定である。

 というわけでとりあえず南下して、三国ヶ丘で降りて如意輪寺へ。ここはカエルグッズが大量に置かれている寺。かなりやりたい放題やっていてB級社寺の趣がある。一方で意外と社叢は広くて緑も多くいいところであった。

 早速やることがなくなったので、あてもなく歩いて南下する。幹線道路沿いでつまらない景色だ。道端にはカラフルな彼岸花が咲いていた。栽培品種なのだろうか?黄色は初めて見た。しかし熱い。小郡のイオンでしばし涼む。なおも南下して小郡駅へ。

 この辺で昼にしようと思っていたのだが、最初入ろうとしていた店が閉まっていたのでやる気を無くしてしまった。結構いい時間なこともあり、そのまま駅へ。甘木鉄道で大刀洗に行くつもりだったが、料金が上がる手前の松崎か今隈あたりまで行った記憶がある。 

 駅を降りて近くにあるうどん屋に行った。あずみうどんという3店舗あるうどん屋らしく、結構にぎわっていた。かけか釜揚げか素うどんか忘れたが、とにかくシンプルなものを食べた記憶がある。うどんはなんだかんだ関西風が好きで、讃岐にせよ九州にせよちょっといりこが強過ぎるなという印象がある。やっぱり昆布メインにかつおを合わせるのが一番好き。

 食後は大刀洗の平和記念館へ。知覧だの鹿屋だのの陰に隠れてあまり知名度はないかもしれないが、それなりの施設である。戦時中は飛行場があった場所なので展示内容も特攻中心で、震電の模型が展示してあったりする。この手の施設はだいたい大きく人も多くて見るだけで半日潰れるので、こういうコンパクトにまとまっているところはなかなか良い。時間もそれほどないので、1時間少々で撤収した。

 すっかり夕方になっていた。先を急ぐ。大豆か何かの畑を抜けて、甘木に到着するころには17時を回っていた。あまりよく覚えていないが、あまり中心のはっきりしない街だなと思って記憶がある。南の方のイオン(思ったより遠い)に行くとマスカットノワールが500円くらいで売っていたので買った。晩に食べたが意外と皮が硬くてシャインにやや劣るなという印象だ。晩飯は金屋食堂というところで食べたが、コンクリ打ちっぱなしの古めかしい雰囲気の食堂でなかなか良かった。

 食後、ターミナルからバスで原鶴温泉へ。学生が結構乗っていたが、自分が降りる頃にはいなくなっていた。この日の宿は評価が異常に低い温泉宿で楽しみにしていたのだが、果たして廃墟みたいなホテルだった。客も多分自分(と常駐のバイト?)しかいない様子。しかし部屋は広かったしなんか調度品はバブリーだし温泉は広いのに当然自分だけで湯量も多いしでかなり楽しかった。

 入浴後、散歩に出かける。ちょうど鵜飼の屋形船が帰ってきていたので、こっそり客に混じって話を聞く。最近は土砂で濁って魚が取りにくいらしい。客が帰った後もなお残って船員たちの撤収の様子を眺める。会話を盗み聞きするがいろいろ大変らしい。いろいろ片付けるとまた船で降っていった。鵜の方も自分で取った魚を客に食われて自分の分がないからか、帰りも魚を取らせていた。もうしばらく散歩したのち風呂に入って就寝。

 2日目。この日は夜行のフェリーで八幡浜から別府に渡る予定なので、夜までに別府に着けばよい。

 まずは近くにある道の駅に行った。扱っている品種が多く悩んだが、瀬戸ジャイアンツと高妻を購入。今思えばちょっと高かったがもっと出回らない博多ホワイトとかにしても良かった気もする。

 街並みの散策と鉄道へのアクセスを求めて吉井に向けて歩く。途中にあったので立ち寄ったゆめマートうきはでは、太鼓の達人のバージョンがホワイトという世紀の大発見があった。インターネット情報ではホワイトが現存するのは河原町のachoのみとされていたのだが、ここに2台目が見つかったわけである。やはりニッチな界隈なのでまだ調べ尽くされていないことも多い。

 吉井は陸水の要所で商品集積により発展した町だが、街並みは今も保存されて重伝建に指定されている。水の豊かな街という自分によく刺さる要素があるのが良いところである。ちょうど幼稚園で運動会が執り行われてアンパンマンの曲がこだましており、、にぎやかな雰囲気だった。資料館を見てみたが、周辺のアクセスのあまり良くない場所にも面白いところがありそうだ。少々時間が足りなかったが中心街を離れ、駅の向こうの柿畑を散歩。乾いた秋風と青空に柿はよく映える。直売所で早秋を買ってから駅へ。

 ここから電車で日田まで移動。5月に移動中通りはしたが、本格的に訪問するのは2017年以来だ。当時まだこのブログもなかった上に写真もほぼ散逸したので思い出せるものもあまりないのだが、到着したのは夜だったのであまり散歩はできなかった。確かそのへんの飲み屋で同行者と飲んだ後、寿司屋で高菜巻きを食べて締めた記憶がある。が、この寿司屋はどうも今調べたところおそらく閉業していそうである。

 それはさておき。前回は車だったので、駅に来るのは初めてだ。駅前のイオンはダイエー矢印が残っていた。進撃の巨人の影響か九州全体のインバウンド増加の影響か知らないが、だいぶ英語が多い気がする。前回は温泉の方だったので、今回は豆田町の方に向かう。道中、想夫恋の本店で昼飯にした。正直普通の大阪のソース焼きそばの方がおいしいなと思った。味もそうだが、堅く焼くと歯に挟まるし。

 豆田町は割と気になっていたのだが、やはり観光地化された古い街並み感は否めない。道を一本外れるとだいぶましになる。人も思ったより多いが、まあ高山とかよりはよっぽどましか。

 日田を抜けて次は豊後森へ。この辺りから電車の本数も減ってくるので慌ただしい。まずは機関庫へ。割れたガラスがそのままになっているのが良い。人はほとんどいなかったが、親子連れが熱心に子供を撮影しようとしていた記憶がある。その後残った時間で川向こうのトキハへ。ここは大変ボロくて良かった。なお、太鼓の達人は12であった。

 豊後森でちょうど良い接続の電車はないので、湯布院まで高速バスで向かう。乗り場は玖珠インターのところだ。まさかいないだろうと思っていた自分以外の待ち客がいたのにびっくりした。バスは数十分で湯布院へ。

 湯布院に来てやることと言えば風呂なので、そのへんの温泉銭湯で入浴する。町は観光客だらけだったが銭湯は地元民が多く、シンプルなお湯であった。本当は金鱗湖の方まで足を伸ばしたいところではあったのだが、日が暮れかかっていたので断念。マックスバリュ(ここもダイエー矢印がある)でアイスを食べつつ駅へ。

 ここから再び鉄道で大分へ、と言いつつ降りるのはひとつ手前の古国府駅。駅の近くにあるチコマートに行った。チコマートも謎の多いチェーンであるが、看板を残している店舗に行くのはこれが初めてだ。とはいえ昔のままの看板でないような気がするが…。

 坂を下って線路を越え、そのまま府内城へ。大分市を観光するのは実はほぼ初めてかもしれない。少なくとも府内城は初めてだ。大手に通じる道がたいそう立派である。場内は暗くてよく分からなかったが…。城の近くにあった夜でもやっている食堂で晩飯にする。雰囲気は完全に居酒屋で常連が賑やかだったところを気まずくなりつつ定食を食らう。値段の割にやけに安かった記憶があるが、米が微妙だった。食べている間に店員が店を出ていったと思ったらモンエナを手に戻ってきた。恐ろしい街である。

 食後はガレリア竹町通って駅へ。高松と並んで都市規模の割に立派なパサージュだ。残念ながらトキハの本店はもう閉まっていたので、次回また来なければならない。大分駅からようやく最終目的地の別府へ。

 時間はもう21時ではあるが、船の出航まで3時間近くある。というわけで、さっき入ったがまた風呂へ。駅の近くの天満温泉。この辺りの温泉は組合員専用か外来も入れるのかちゃんと調べておく必要があるが、ここは入れるタイプである。料金は200円で、別府らしい洗い場無し真ん中に円形の浴槽ひとつの形式だ。ちょっと暑かったが湯布院のやつより良かった。その後、時間もあるのでアイスを買いにMG荘園店へ。前に行ったときは単独でやっていたが、今はもうヤマザキとのダブルネームになっている。

 なおも時間が余っているので、ターミナルそばのマックスバリュで買い出しをする。ソフトバンクが明日にも優勝ということで、店内は若鷹軍団がエンドレスでループしていた。なお、この後ソフトバンクが優勝することはなく、オリックスにかっさらわれるのは周知の事実である。

 フェリーターミナルに着いたのは出航40分前。かなりいい時間だ。手続きを済ませて待つ。自分以外に徒歩客はひとりかふたりしかいなかった記憶がある。やがて乗船時刻になり、船は九州を離れた。しばし船上で過ごし、その後寝る。この日はこれで終わり。

 

 3日目。朝6時に八幡浜に着いた。船内放送で目覚めたので着岸は見られず。待合所にアンケートがあったので答えていった。これは当選して数か月後にお菓子が家に届くことになるのだが、この時はまだ知る由もない。

 外に出ると今日もよく晴れている。湾の向こうにはみかんの段々畑が広がっているようなので、そちらを目指してみることに。

 港を出てすぐのところが道の駅になっていた。人が集まっていたが、どうも自転車のイベントがあるらしく、その設営らしい。近くにある市場みたいなところを見に行く。かなり安い。ひと箱買ってしまいたい気持ちになるが、買ってもどうしようもないので諦めるしかない。

 湾内を回りこんで見えていた段々畑に向かう。こちら側は港町らしい密集した住宅が残っているようだ。民家の敷地なのか道なのか全くわからない細い階段を抜けてどんどん上がっていく。しばらくすると車を通すようであろう道に出た。ここを進んで適当な場所からみかん畑に入っていく。畑の向こうに町が見えてきれいだ。10月初めだけあってみかんはまだ青い。

 降りてきて駅に向かいつつ散歩する。商店街に食器ご自由にお持ちくださいがあったので、小鉢を一個もらっていった。現在、家で主にもずくなどを入れる容器として活躍している。朝早いので商店はどこもやっていないが、多分昼になってもやっていないと思われる。

 この日は松山から離脱することになる。西予、南予は実はほとんど自力で観光したことがないので、行くところは多い。松山に向けてどんどん東へということで、まずは駅から鉄道で大洲へ。まず西大洲で降りて歩いて大洲城へ。ちゃちい復元天守があるが、それはさておき結構立派な城である。肘川を挟んで反対に大洲の市街地が見えるが、このあたり一面水没したと思うと恐ろしいものがある。

 左岸側は古い街並みが連なっている。市役所もこちら側にあり、駅ができるまではこちらが中心だったのだろう。謎のレトロなものを集めた空間があり、ちょっとした賑わいが形成されていた。

 川を渡って駅のある方へ。適当に散歩しつつ、城から見て圧倒的な存在感を放っていたフジグラン大洲も見た。立派なGMSは四国の雄としての風格があるが、イオンに吸収されてしまったのが残念でならない。一通り散策して、次は内子。

 この日は落語祭り開催日のようで人が多かった。内子座の方に行ってみるとのぼりが立っていたが、かなり贅沢というかほぼオールスターと言える面子。この日はちょうど千秋楽のようであった。町の方に行くが、午後から開催のためかかなりの人がいた。とはいえ奥の方にまで行くと人も減ってくる。規模も大きくてなかなか良い。人が減ってきた頃合いを見計らってそのへんの店で昼食。せっかくなので鯛めしにしたが、こちらは南予式の海鮮丼タイプであった。食後、内子座に戻ると既に演目が始まっていた。当然入れないので聞き耳を立てるが、志の輔とおぼしき人物が話しているのは分かるものの内容はさっぱり分からなかった。

 このまま進めば松山に出るのだが、一度大洲方面に折り返して新谷の駅で降りる。目的はナイトショップいしづち徳森店だ。これで西条店と海南店併せて知っている3店舗目の訪問になる。なぜか実家から一番近いはずの伊丹店にまだ行けていないのだが…。と、海南店はもう閉店したらしい。悲しい話である。

 続けて、近くのラムー大洲店を冷やかし、近くのでかい産直のスーパーに併設されていた店でジェラートを買って食べながら五郎まで歩く。ここから再び予讃線で長浜へ。

 長浜と言えばやはりショッパーズ長浜店が(twitter上限定で)有名か。かくいう自分もそれと肱川河口の街という以外何も情報を持っていなかったが。肱川は冬に肱川あらしという川霧が発生するのでそれも有名か。

 ショッパーズの看板は新しくなったようで、古い看板は駐車場の方に保存されていた。これでも結構集客効果があるのだろう。特に買い物はせずに立ち去ったが。

 時間はまだまだあるので、肱川に架かる橋を渡ってみたり、海岸に出てみたりと適当に過ごした。海岸にははにがれ(略称、正式名称を思い出せない)という漫画とのコラボののぼりが立っていて結構インパクトがあった。そういえば何かの縁なので読もうと思っていたのだが、結局忘れたままだ。

 日も傾いてきたころ、ようやく次の電車の時刻になって松山へ向かう。当然この時間に車内から夕陽が見れるよう調整した時刻である。最初は無計画なようでいつの間にかデザインされた旅程になっているので、なかなかうまくいったと思う。とはいえ前日に続きひとつの街あたりの時間が短いのは反省点ではあるが…。内灘の駅は車内にいる人間の数倍がホームにひしめいていながらほぼ誰も乗車しなかったのでかなり気持ち悪かった。

 実は飛行機まで時間があまりない。伊予市伊予鉄道に乗り換えて向かう予定だったのだが、前の客の支払いに異常な時間がかかっていたこともあって乗り換えに失敗した。ここは途中で諦めて松山からバスを選択すべきだったという後悔がまだある。次の伊予鉄は15分後で、晩飯の時間を消せば時間的に問題ないことは分かっていたのでそうしたのだが、とは言えこの判断は悔やまれる。結局15分後遅れで進み、鎌田で下車。晩飯は道中のスーパーで調達した。時間的には問題なく松山空港に到着し、ジェットスターで帰宅した。徒歩空港リストに新たに松山空港が追加。

 3日間とは思えない内容の多い旅程であった。というか、3日でここまで動けるものなのか。関西住みにもかかわらず西日本に全然行っていなかったせいで、まだまだ未訪問の地が多い。大分は今回が初めて見たいなもんだし、松山なんて道後温泉以外ほぼ何もしていない。今治に至っては行ったことすらない。そういうわけで、表層的にさらっていく感じになってしまったのはまあ仕方ない部分もある。みかんに季節になったらまた来ようという決意を込めて、この記録はここで終わり。

 

〇甲斐

 この時期恒例の山梨日帰り回。2022年と言えばヴァンフォーレ天皇杯優勝という偉業を成し遂げたわけで、その翌日に行ってきた。目的地は未訪かつぶどうの大産地である牧丘だ。

 いつも通り朝の電車で塩山へ向かい、ひたすら北に向かって進む。道中恵林寺に寄った。ガルラジで聞いて以来もう3年経ってしまったが、ようやく訪問できた。寺としてはそんなにだが、横の店にでかい黄金の信玄像があったのが印象的。

 牧丘にしたのは理由があって、ここのツルタブドウパークが優勝セールをやると周知していたからである。というわけで目的地は既に決まっているので、売り切れないようにこの後はさっさと進む。道中閉店したスパーを見つけてびっくりしたりしつつ、12時くらいに到着し、客は結構いた。とは言えものはたくさん残っていたので、割引率も考慮していろいろ吟味。結局、ジュエルマスカット、シャシン、ブラックオリンピア、ブラックキングの4房を確保した。



 昼飯はおまけでついてきた粒入りのパックだったが、この中に入っていた梧紅玉とおぼしき品種が特に好みであった。その後、ジャンボ鶴田の墓(ツルタブドウパークとは別で実家がぶどう農家)に寄ったり、適当に散歩したり。この辺りまで出てくると結構富士山がきれいに見える。やはり実りの風景が好きだ。

 塩山まで下っていつもの温泉に入ってから、甲州市役所へ。なんなのかよくわからんが地元の祭りが開催されていたためだ。餅撒きに参戦するが、軽量のお菓子が多く前方優位のコンディションで好位置の確保に失敗したためあえなく敗北した。その後、駅の近くの中華料理屋で晩飯を食べて帰宅した。

 牧丘は標高が高くてたいへん良いところであった。遠いのはだいぶマイナスではあるが…。一宮の方よりもなんとなく品質が良さそうな気がする。山梨県であと残っているのは勝沼の上の方とフルーツ公園周辺、笛吹川左岸、津金、清里あたりか。だいぶ埋まってきた。いい加減山の方にも手を出していった方が良いかもしれない。来年あたり天気のいい土日にでも八ヶ岳とかに行くか…。

 

〇伊那

 かなり久しぶりに南信に行った。当初飯田とかを適当に回る予定だったのだが、紆余曲折を経てなんかよくわからないことになる。

 信州には高速バスで入った。伊那インターで降りるが、バス停の目の前に新鮮組の店舗跡があり驚いた。昼飯は近くの台湾料理屋に入るが、ここが結構カオスでランチメニューになぜかハンバーグがありつい頼んでしまった。運ばれてきたメニューは納豆と豆腐までついており、もはや中華要素がラーメンしかない。肝心のハンバーグはまあ普通のできあい品だった気がする。

 信州大学はやたら各地にキャンパスが分裂しているが、農学部は伊那にある。りんご部隊が有名だが、りんごに関しては実績があるので何かないかと売店に行ってみた。小さな店舗で品揃えこそ少なかったが、めぼしいところでハニーレッドを発見したので購入した。これはだいぶ前に記事にまとめたはずである。

 うろうろ散歩している間に夕方になった。山のふもとではあるが、段丘になっているので意外と坂は少なく歩きやすい。山梨もそうであるが、甲信は昔からの雰囲気を感じさせるものが多く、歩いていて楽しい。

 日の暮れたころ、伊那中心部の宿にチェックイン。くたびれた6畳の和室であった。雰囲気ボロくとも、やはり部屋は動けるスペースの広い和室のほうが良い。

 荷物を置いて夕食に出る。近くの店でローメンにした。焼きそばタイプだったが、まあ正直大坂の焼きそばの方がだいぶおいしいなと思った(数週間ぶり)。まあ焼きそばって言うかソースがうまいのだが。

 実は革靴を履いてきており、今後のために新しい靴を買うことにした。とりあえず一番近いアピタに行ってみるが、ここはいいサイズがなく撤退。横のバッティングセンターに行ってみると、風景が完全に20世紀で懐かしい気持ちになった。靴に関しては結局、もう少し行ったところにある靴屋で調達した。

 伊那の線路沿いの路地には小さな店舗が密集しており、アーケードも形成されている。線路と建物の距離も相当近く、東京や大阪の下町のような雰囲気がある。やはり他と隔絶した場所だからか。

 宿に戻ってぼやっとしていると突然連絡があり、明日そっちにドライブに行くので来いとのことであった。絵馬田氏を確保したらしい。一応翌日の旅程のようなものはあったものの、ドライブは(ほぼ)すべてに優先するので二つ返事で承諾した。そんなこんなで就寝。

 翌日。合流は昼ごろ、駒ケ岳サービスエリアに決定した。午前中は時間がある。ということで、朝は宿に荷物を置いて、上の方の産直市場に散歩に行った。ここは意味が分からんほど品揃えが豊富で、果物やきのこ、長野らしくハチの巣なんかに加え、資材からよく分からん石像から果てはヤギまでなんでもあった。リサイクルショップも兼ねていて、なかなか楽しい。りんごはめぼしいものがなかったので、結局ぶどうだけ買う。近くでなぜか檻に入って飼われていたツキノワグマを眺めつつ宿に戻る。一体なんなんだここは。

 そうこうしている間に9時を回ったので、宿の近くにある伊那創造館というところに行った。2階がちょっとした博物館になっており、常設展示の石器や土器などのほか、昆虫食についての特集をやっていた。広くはないが結構見ごたえはある。

 宿を引き払い、飯田線で駒ケ根へ。ふたつ先の伊那福岡の方が近いはずだが、たぶん駒ケ根に行きたかったのだろう。適当に駅前を散策し、手ごろな店でソースかつ丼を食す。思ったより肉が薄くて残念だった記憶がある。

 ひたすら上って駒ケ岳SAを目指す。到着が少し遅れるとのことだったので、一旦行き過ぎて近くにある養命酒の工場を見に行ったが、あまり大したものはなかった(その割に客はいたが)。戻るとちょうどいい時間で、食事中の面子と合流した。面子の一人で会うのはかなり久しぶりになるM氏にはサプライズで登場の予定だったのだが、いろいろあって先にバレていたらしい。

 諏訪大社に行くことになった。上下すべて回る。上社は2015年以来になる。当時、北海道の合宿に鉄道で向かう途上で上社に寄った。その後、北海道に行くまでの間にどこかでウエストポーチをなくし、長らく行方不明だったのだが1年か2年後に長野県の遺失物ホームページで発見して無事帰ってきたということがあった。その時真っ先に疑ったのが上社で荷物を一旦置いた時で、電話して届いていないか聞いてみたが届いていないという話であった。ホームページの記載によれば長野県内の電車内で忘れたようであり、全く的外れであったのだが、行ってみると当時ここで荷物を一度置いたなというのを思い出すことができて懐かしくなった。

 この後は翌日までドライブを続ける予定だったのだが、緊急事態が発生したため戻ることになった。真澄で酒を買ってからこの日はM氏の家で泊。氏は急な呼び出しで一時家を空けるなどあったが、それなりに楽しく過ごした。なお、晩飯に寄った多治見の台湾料理屋が史上最強であったことを記しておく。

 翌日はそのへんでモーニングを食べて戻りつつちょっと観光。昼飯は絵馬田氏おすすめとして有名なロッキーで食べたが、評判にたがわぬ味であった。一度実家に顔を見せてから帰宅。

 まあいろいろハプニングのあった回であった。M氏と再会できたのはめでたいことであるが、あまり変わっておられないようで安心した。なんだかんだ、同じ沢に入ったものからは同じ空気を感じるものである。根っこの性格などはあまり似ていない気がするのだが、不思議なものだ。

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 そろそろ1年以上遅れそうである。1記事あたりの文字数が多過ぎるのか。まあしかしここは現在主に外出の記録を残すという役割に半分変わっているので、こうなってしまうのは仕方ないのかもしれない。とはいえどんどん遅れていくのは困るので、ほどほどを保つ必要がある。