焚き付け

主に日記を書く

ロッタリー

 ようやく22年度になった。前月は合併号としたが、4月5月はそれぞれ長い休みがあるので、各月1記事とする。

 

○春休み

 去年も何日か休みを取って春休みということにして旅行したが、今年も同様に春休みを生成した。

 ことの始まりは厳密には3月で、和歌山に出張に行ったまま実家でテレワークをしてそのまま年度末を迎えた形になる。その週の週末から移動開始。

 とりあえず、単独ではほとんど行けていない山陰に行くことにした。調べると鳥取県内ほとんど全ての路線バスで使えるフリーパスがあったので、それを利用することに。

 昼前に新快速で姫路へ。ここまでは普通にIC精算。そこから姫新線智頭急行で北上した。いちおう智頭急行は初めて。途中、佐用平福で少し降りて散歩した。

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 因美線若桜鉄道と繋いで夕方ごろ若桜へ。郡家で目的のフリーパスを買ったが、これが若桜鉄道にも適用された。

 若桜は一応通過したことはあるが、歩くのは初めて。小さいながらよくまとまっている街だ。とは言え、歩く以外にやることはあまりない。

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 日も暮れる頃、鳥取行きのバスに乗った。単純に使えるならバスを使いたいというのもあるし、これのおかげでJR区間の運賃を圧縮できる。すっかり暗くなった頃に鳥取駅に到着。

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 この日の宿はネカフェなので、適当に散歩して時間を潰す。元ジャスコのイオン鳥取店やラムー鳥取東店、袋川の夜桜(意外に綺麗だが人が多かった)など。晩飯は駅の近くの食堂で食べたが、なかなか美味。日替わりの沖イワシの煮付けだった気がするが、明らかにイワシではなくハタハタだと思う。…と、調べてみたところ沖イワシはニギスのことらしい。いずれにせよハタハタではなかったが…。
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 タイムラインによるとこの後元湯温泉という銭湯に寄ったらしいが、寄った記憶も寄っていない記憶もある。その後駅の南の方の快活で就寝。翌日の宿を三朝に抑えた。

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 2日目。正直バスの時刻表は電車と違ってややこしくてよくわからんので、具体的な動き方は考えずに路線図を見てなんとなく行きたい場所だけ見つけておいた。とりあえず鳥取駅前のターミナルへ。ざっと並んでいるバスを眺めると、一番本数が少ない区間のバスが停車していた。が、これになって大丈夫か逡巡している間に出発してしまった。悔しい。

 気を取り直して、国府町に向かうことにした。まあ名前の通り歴史のある場所であろう。地図にもそれっぽい観光地がある。

 町屋というところでバスを降りた。とりあえず、地図にあった鳥取藩主の墓所に向かうことにした。まあ正直墓にあまり興味はない。が、墓地という場所は静かで開けているので好きだ。あまりこういうことを言うのもなんだが…。墓はやや谷の中で暗く、武田の墓みたいな森の中の比較的乾いた場所を想像していたのでちょっと意外だった。その後、次のバスまでしばし散策。名前の通りでかつての国府跡がある。あとは博物館横の展望台に登ったり。国府は開けたところで、のどかでいいところだ。なんとなく出雲と似た雰囲気がある。

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 次のバスでさらに奥に進み、殿ダムの手前の中河原で下車。次の目的地は廃校を利用したアトリエになる。中はあらゆるところに絵が展示してあった。普通の風景画からカオスな風刺画までジャンルも様々。廊下に猫が歩いていたりとやりたい放題であった。

 部屋にいたアトリエのオーナーとしばし会話。どうもNFTで一山当てようとしているらしい。若い人間はこう言うのに詳しいだろうと色々聞かれた(自分は全くの門外漢だが)。海外のNFT絵画の有名なものを見て、それが大したものには思えず自分にもできるだろうとのことである。そう言いながら高値がついている絵やオーナーの作成した絵などを見せてもらう。自分なりに整理した感じ、確かに経済的な意図で作り出されたような価値に見える。どうも最初に資金を投入して絵の価値をつけるとともに信用を担保させ、その後はNFTの唯一性を崩さないようにしながらかつ自分が作者であるとわかる作風を維持する、ようは差分みたいなのをいっぱい作ればいいようである。となると、結局金持ちがさらに儲けるための手段であり、その辺の市井の人間がビッグになるのは難しかろう。…等々、素直に感想を述べたところ、やはり同感らしい。が、それでも諦められないようである。頑張っていただきたい。

 結局、戻りのバスの時間が来てしまったので去ることにした。オーナーが礼にと玄関に飾っていた鳥取砂丘の絵をくれた。何も詳しくない人間が思いつきで適当言っただけでこんなものをもらって申し訳ない感もあったが、部屋に絵が欲しかったのでありがたくもらっておく。というか、むしろこちらが勉強になった。

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 少し戻って岡益橋というところで降りた。地図によると、古墳がいくつかあるらしい。川を渡ってとことこ歩いていくと、小さな集落が出てきて、その奥に梶山古墳というのがあった。これは変八角形という珍しい古墳で、かつ内部に壁画が見られる貴重なものらしい。当然、公開日でもないので前から八角形になっているのを眺めるだけ。

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 折り返して、次は岡益の石堂というところへ。ここは安徳天皇の陵墓参考地らしい。ほんまか、というか安徳天皇は海の底の都にあるはずなので勝手に死んだことにするのは失礼ではないのか。それはさておき、上に石の乗った謎の石柱が立っており、石壁で囲われている。その石柱にエンタシスが見られるとかで、まあ要は白鳳時代の遺物なんだろう。それなら安徳天皇の墓ではないだろうが…。途中ショートカットに失敗して森の中に迷い込んだこともあり、時間があまりないので走ってバス停に戻り、鳥取駅へ。

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 そろそろ三朝に向かう必要がある。が、問題として鳥取県内のバス路線は鳥取倉吉間が途中で途切れている。というわけで、今回は西に行けるところまで行って分断区間は歩くことにした。

 鳥取地区の端は浜村駅、一方倉吉地区の端は泊の駅を少し過ぎたところになる。というわけで、2駅分歩けば良いわけである。ということで、まず浜村駅へ。白兎神社などそれなりに観光地を通るため、比較的本数はある。降りた浜村駅近くで昼飯を食べるつもりだったのだが、店がやっておらず食べ損ねてしまった。仕方なく昼抜きで歩き始める。

 駅から9号線に向かう。途中、丘があって謎の公園があったので寄っておいた。特に大した場所ではなかった記憶がある。9号に出てからは何もないので、ひたすら進むだけ。途中、旧道とトンネルを抜ける新道が分岐していたので、時間短縮のため新道にした。線路をまたぐところでちょうどスーパーはくとが通った。トンネルを抜けると青谷になる。

 

 青谷駅の近くに青谷上寺地遺跡というのがあり、その展示館が近くにあった。鳥取は朝に訪れた国府だけでなく、妻木晩田など意外と歴史系の土地が多い。この青谷上寺地遺跡もそうで、ここはかなり巨大な弥生時代の遺跡で弥生人の脳が残った人骨が発見されたことで有名である。展示館は入館無料でかなり簡素なのだが、反面展示物はほぼすべて重文と豪華。人為的な傷のついた人骨など、結構珍しいものが見れる。ここで時間を使ってしまったのと足の不安があったので、泊まで歩くのはやめて電車で倉吉に移動した。今思えば、途中東郷で降りればバス区間に合流できたので、倉吉まで乗ったのはミスだったと思う。

 

 電車に乗ったことで時間を巻いたので、まだ明るかった。三朝に早く向かったところで宿に入るだけなので、先にパープルタウンに寄っておく。ここは珍しく地元主導のショッピングセンターで、核店舗の映画館やスーパーも地元の会社が入っている。老朽化も目立つが、賑わいはある。頑張ってもらいたい。スーパーは魚がかなり安くてうらやましい。

 

 一通り見終わったので、バスで三朝温泉へ。入り口のところにローカルコンビニがあったので、軽く買い出しした。まだ日が出ていたので軽く散歩してから宿へ。今回泊まったのは三朝ガーデンホテルとかいう山の上にあるところ。安かったので。今思えば岩崎も空きはあったので、そちらでも良かったかもしれない。直前予約なので当然木屋旅館などは空いておらず。晩飯は宿でまあまあいい肉を食ったが、自分はいい肉があまり得意ではないので普通に胃もたれしてしまった。でもいい肉だったと思う。内湯は大きくなかったので、河原の湯に行った。途中散歩したり挟みつつ、合計2時間くらい浸かっていたと思う。翌日の宿を皆生に確保して就寝。

 

 翌日。この日は三徳山からスタート。始発のバスで向かう。実は三徳山は単独では登れないという制限がある。というわけで山門付近で待機して誰か人が来ないか待っていたところ、山の人に声を掛けられ今は感染症対策とかで過去にトラブルがあったとかで、人待ちは禁止だから帰れと言われた。そう言われれば仕方ないので、素直に引き返してバスで戻った。時間が余ってしまったので、温泉の手前で降りてポプラに寄った。純粋な(palとついているので純粋ではないという説もある)ポプラもかなり減ってきた。

 

 当初は一気に倉吉市街まで出るつもりだったが、時間が余ったので温泉街の散策と入浴に充てた。まずは株湯へ。朝だったがそれなりに人がいる。なかなか熱かった。その後観光協会温泉神社など、適当に散策。観光協会ゆるキャラの着ぐるみと温泉むすめのパネルと宇崎ちゃんのパネル2枚がひしめき合ってカオスなことになっていた。ポスターが無料配布されていたので1枚持って帰って家に飾ってある。その後再度河原の湯に入浴してから出発。

 

 昼飯のため、いったん倉吉駅の方に出た。目的地は北海道。回転ずしチェーンの。北海道という単語は多義語であり、一般に北海道に行くと言うと北海道(島)に行く、北海道(寿司屋)に行く、仕事をやめる、仕事を首になるなどの意がある。今回は駅からやや北の倉吉店に入った。やはり人気店なので昼過ぎでも人が多いが、単独なので割とすんなり入れた。うまい。

 

 店を出て、次は駅の方に戻って対岸の伯耆しあわせの里というところへ。道中、RICの看板跡を見つけて仰天した。RICが鳥取にも店舗を持っていたのは初耳だった。話が逸れたがしあわせの里には基準水準点があるので、それが目的である。基準水準点集めも徒歩で行きやすいところはだいぶ埋まってきた感がある。しあわせの里自体は謎の施設だったが、高台で景色がよく、また桜が満開であった。


 駅まで戻って、またバスで今度は市街地へ。かなり無駄の多い動線だが、まあ仕方なかろう。意外と時間が無かったので駆け足になってしまったが、土蔵の町並みやら琴桜記念館やら打吹公園など散策。二十世紀梨記念館は開いていなかったのと、円形劇場も寄っている時間が無かったので、再訪の必要がある。まあまた三朝に浸かりに来ればいいだろう。次は足元湧出の旅館に泊まりたいところである。

 

 そろそろ米子に向かう。鳥取と倉吉同様、米子と倉吉もバスが繋がっていないので、その区間はどうにかする必要があるのだが、この日も歩くことにした(結局前の日は途中で切り上げたが)。倉吉から米子方面へのバスは赤崎の駅まで。一方米子地区は下市からなので、2駅分歩けばよい。ここは昨日と同じ。

 さっそくバスで赤崎へ。今回の区間は昨日と違い山越えがない上に、9号も暫定開通のバイパスが分離していて殺伐としていないので気分的にはかなり楽だ。町並みも穏やかでのんびり歩く。しばらく歩くと大山が見えてきた。道中、廃止されたバス停が多くあり、悲しい気分になった。途中スーパーで補給したりしつつ、日も傾いてきたころ下市へ。結構バスの時間ギリギリだった。

 

 バスは海沿いを抜けて米子へ。ちょうど峠を越えたところで海が見え、夕焼けがきれいだった。このバスの終着は米子駅だが、途中で降りて日吉津のイオンモールに向かった。イオンモール日吉津は一見すると苫小牧クラスかと思うほど巨大なのだが、実際のところ奥行が無いのとゆったりした造りなのでそこまでは大きくない。東西に分断されており、東が普通のGMSっぽい造りなのに対し、西側は回遊性を高めた造りになっていた。増築だろうか(調べたところやはりそうらしい)。

 

 バスで皆生へ。時間も遅くなってきて夕食の選択肢が狭まっていた中目の前の北海道にまた吸い込まれそうになったりしたが、なんとか耐えてラーメン屋に入った。今調べたところこの店はもう潰れたらしい。普通の牛骨ラーメンだった記憶がある。

 

 少し海岸を散歩してから宿へ。今回泊まったのは風雅。他のところも含め風雅に泊まるのは初めて。5000円でえらい安いなと思いながら泊まったが、直前予約のおかげだろうか。通された部屋はやたら広く、ツインの和洋室だった。たぶん6人くらいは泊まれる部屋で、部屋の中に無駄にオセロとかUNOが2組置いてあったりした。なぜ泊まっている人間よりUNOの方が多いのか。仕方ないので一人二役でオセロをした。白が勝った。あとはイオンで買ったもさえびの刺身を食べながらフリーの日本酒を飲むなど、まあまあ好き放題過ごした。前回(4年前か?)がうなぎの寝床のようなビジホだったので、えらい違いである。皆生は食塩泉でよく温まるので良い。

 

 翌日。この日も晴天だ。天気がいいのでしばらく散歩して、温泉に入ってから宿を出て、バスで米子駅へ。バス停の観光協会のところに前回なかった皆生の温泉むすめのパネルが増えていた。皆生はかつてゆのこれでよく使っていたので三朝より若干愛着がある。たしか黄色属性だった記憶がある。


 米子は最後にホープタウンに行っておきたかったのだが、残念ながら1月をもって閉店のため間に合わなかった。することもないのでさっさと伯備線で離脱する。米子駅は改修中であった。自動改札機が設置されていてびっくり。18きっぷを利用し、上石見でちょっと散策してから新見へ。

 

 新見はだいぶ久しぶりの訪問になる。最後に来たのはおそらく中学の頃で、初めて友人と18きっぷで旅行したまあまあ思い入れのある場所である。もっとも、あの時は乗り放題自体が嬉しくかなりタイトなスケジュールで、ほとんど乗ってばかりで新見はほぼ観光しなかったが…。 

 適当に散歩するが、思ったより小さな町だ。津山と同じくらいのイメージがあったのだが、半分にも満たないか。城山に登ってみるが、典型的な中国山地の川沿いの都市という感じだ。天満屋のある津山の方が数段上である。が、新見にも一応plazaという地場SCがある。ここに入っているいんでいらというレストランで昼食にしたが、恐ろしく雰囲気の良い店だった。

 

 新見を出て次は高梁へ。備中松山城が目的だ。高梁は初訪問になる。こちらの方が新見よりは大きく、津山と同じくらいだろうか。やはり天満屋もある(小さいが)。駅から松山城までが意外と遠いのだが、道中武家屋敷があったりでそこまで苦ではない。松山城自体は登山になるが、岩村城よりはマシな印象。城はかなり立派で、訪問の価値がある。

 

 下ってから次の電車まで適当に駅の反対側を散策しつつ天満屋に行く。百貨店ではなくSCであるが、なかなか立派であった。お土産を購入したりなんやかんやしていると時間が無くなったので走って駅へ。

 

 これでメインの観光は終わり、あとは終電までに帰宅するだけとなる。時間が多少あったので、赤穂線回りで邑久のゆめタウン香登のザ・大黒天を訪問した。ゆめタウン邑久は太鼓の達人14や山登りゲームがあり、ザ・大黒天は普通にディオのBGMが流れていた。香登の大阪屋というドライブインホルモン焼きうどんを食って帰宅。

 

 西に住んでいたころは東志向だったせいで、西日本がかなり手薄だった。実家のくびきが大きかったというのもあるが、なんにせよもう少し回っておくべきであった。今回はどうにか鳥取をひととおり回れたので良しとしよう。と言っても内陸中心に積み残しはまだあるが、これは次回以降で良い。あとは陰陽間がまだまだ全然足りていない。そもそも陰陽間は車でないと厳しいところも多いので、ある程度まとまった日数が必要である。とりあえず、吹屋に早く行きたい。あとバス旅行は楽しい。電車より周辺の景色が細かく、旅行している気分になれる。後は単純に電車より難易度が高いので、ゲーム性がある。

 

〇花

 関東に戻った後、残った18きっぷを使って長野と山梨に行った。主な目的は花見。

 初日はひたすら中央線で西へ。中央線は本数もそこそこあるので良いのだが、いかんせん登山客が多過ぎて混んでいるのがいただけない。自分もそちら側の人間ではあるのだが…。旅行で地方に行くのに都市の人間であふれている電車に乗りたくないというただのエゴでしかない。そうこう言っているうちに松本へ。そうこう言っているで流すには長い距離だが、まあもうええやろ。

 長野からは大糸線沿線に行くことにしていた。残雪期の北アルプスというのも一つの目的で、正直大糸線も(大町以北は)いつまであるか分かったものではないので乗れるうちに乗ったほうが良い。で、本数も多くないので乗り換え待ちが発生したので適当に松本城イオンモール松本に行った。イオンモール松本は地味に初めてだが、開放感があってなかなか立派。逆に松本城はもう何回目やねんという感じだが、ここは何度言っても良いところである。夜間ライトアップしていることが判明したので、夜もう一度見に行くことに。

 

 松本駅に戻り、乗り換えて大町へ。どこに行くかまで具体的に決めていなかったので、とりあえず大町にした。あまり行き過ぎると本数が減って戻れなくなる可能性を見たので、守りの一手ではある。ちょうど昼になったので、適当にとんかつ屋に入った。大町は登山基地だけあって、どこも飯屋は値段の割に量が多いので助かる。しかし大町も特に見るものはないので、食後適当に散歩だけして折り返した。

 

 折り返して松川へ。多分松川村は初めてだと思う。個人的には池田が町で松川が村なのは納得がいかないのだが…。実際、今は松川の方が人口が多いらしい。とりあえず駅前の観光協会へ。なんか気合が入っているのか入っていないのかよくわからない謎の場所だった。箱物感は否めないが、自転車がいっぱい置いてあったのは良いと思う。

 

 国道に出たところにLICSがあった。衝撃。沿線から見えていないので気付いていなかった。しかしLICSも意外と広範囲に店舗がある。角切りが施されており非常に良い。お茶を購入した。

 

 ここも特に目的があるわけではないので適当に散歩。横断歩道の児童オブジェがやたらたくさんあったので、特にスタイリッシュなやつを2枚ほど掲載しておく。

 

 ある程度歩いて満足したので、さらに南下して穂高駅へ。ここも降りるのは初めて。とりあえず目の前の穂高神社へ。さすがに立派である。ちょうど式年遷宮か何かで新しい社の仮組みがなされており、木材のいい匂いがした。

 

 水が見たくなったので、安曇野だし適当に川の方に向かって歩いて行った。水が湧いているのかはよく分からないが、とにかくいっぱい池がある。しかしだいたいわさび田かますの養殖かで近寄れないのが惜しいところである。そのまま大王わさび農場まで歩いて行った。大した場所ではないが、夕方で人も減っていたのでそれなりに快適だった。

 

 水があるところを歩きたくなるので、そのまま梓川沿いに南下してスイス村に行った。スイス村と言えば夜行バスセットのスキーツアーでよく休憩のために停車していたところだ。いつも停車は行きで、早朝なのでトイレ以外開いていなかった記憶がある。何がスイスなのか全くわかっていなかったのだが、初めて昼に来て建物がスイス風という意味と理解した。なお、普通に営業時間に間に合わなかったので閉店していた。やはりトイレだけは空いていたので借りていく。

 

 さらにどんどん南下して、イオン豊科店へ。地味に歩行距離が長くなってきて、疲れてきた。ここは割と古めのGMSといった感じ。須坂が典型的だが、長野は古めかしいジャスコが多い気がする。ここで日没。

 

 ようやく豊科で大糸線に復帰し、北松本へ。ここから丸の内中学校の中にある基準水準点を探しに行った。夜なので完全に不審者だったが、頑張って目を凝らしながら敷地を一周すると、裏手の奥の方にそれと分かる囲みが見えた。どうせ昼に行っても見えない位置だったので、まあこれで良しとしよう。意外と高台にあったので足にダメージが溜まった。

 

 戻って松本城へ。すごい人だったので一瞬躊躇したが、普段は有料のゾーンが無料開放されていたので頑張って突っ込んだ。松本市民が全員集結しているのではと思うほどの人込みで辟易したが、近くで見れたのでまあ良かったと思う。桜もきれいだったが、正直夜桜にそこまで魅力は感じていないというか、桜の美しさは冬を抜けた青空と対比してこそだと思う。

 

 松本駅の裏手のテンホウで夕食にした。いつもは小木曽製麺なのだが、よく考えると今まで入ったことが無かったため。まあ無難に安くておいしいと思う。

 

 18きっぷはこの日で最終日なので、翌日は普通に帰る必要がある。加えて、山梨に向かうなら朝はやはり諏訪からスタートしたいので、さらに先に進む。途中、村井で降りて西源本店に行った。西源は長野県内でラムーのフランチャイズをやっている会社だが、実は1店舗だけ西源名義の店があり、それがこの流通団地店である。中身は普通のラムーに近い。思ったより遠く終電ギリギリになったので、帰りは猛ダッシュになった。その後下諏訪に向かい、自遊空間の湖浜店へ。久々の自遊空間。快活に吸収されて以来いつなくなるか分かったものではないので、あれば積極的に使うようにしている。なお全店直営の快活と違い自遊空間フランチャイズがあり、この店もおそらくそうである。もし自遊空間のブランドを潰すことが将来あるとして、直営店は屋号変更だけでどうにかなるが、フランチャイズはどうなるかかなり怪しいので特に重点的に回っておきたい。そもそも、ネカフェとして言っておくべき特徴ある店はだいたいフランチャイズである。この店も全自動雀卓のある部屋が2部屋あり、一回ここで打ってみたいものである。あと雑誌コーナーにLOが平然と置かれていてビビった。

 

 翌日。下諏訪スタートなのであまり何も考えることなく秋宮へ。途中踏切に引っ掛かり、こんな早朝に珍しいと思ったら四季島が走り抜けていった。秋宮ではちょうど祝詞か何かを上げており、朝は人も少ないし良いところである。ちょうど今年は御柱祭なので、あちこちにのぼりが立っていた。結局この年御柱祭自体は派手にはやらず、御柱もトラックで引っ張ってきたらしいが。その後春宮にも行き、朝風呂に入って出発。

 

 まず穴山で降りた。ここから新府まで歩きつつ、適当に見て行こうという魂胆である。東に向かえばええやろと適当に歩く。快晴で空気が涼しく清々しい。桜や野草の向こうに南アルプスが見える。いいところだ。

 

 しばらくして新府桃源郷へ。それなりに知名度があるのか、共選場のところにはそこそこ車が停まっていた。と言っても、それでも少ないというか、やはり花見は桜でないといけないのだろうか。知名度が無いならそのままでいいと思う(桜と違って普通に果樹園なので、オーバーキャパは望ましくない)。新府は一宮などの川沿いの大産地と違って高台にあるため、南アルプス八ヶ岳を背に濃い桃色が非常に美しく、南は遠く富士山も見える。桃源郷の言葉に偽りなし。

 

 かなりのんびり散歩してから、新府城に軽く寄った。山の上にあるので、さっきまで歩いていた桃園を見渡せる。登りがきついし思ったほど遺構はなかったが、まあまあの場所であった。

 

 いい時間になったので、新府の駅から東山梨へ。昼飯を食べに養老酒造へ行った。この日も結構な混雑だったが、ちょうど狭いテーブルが一つだけ空いていたので、そこにすんなりと着席。この日は鮭の酒粕焼きの粕汁変更にした。やはりうまい。手が入っているというか、店でわざわざ食べるならこういうどうやっても自炊では難しいものを食べたいところである。

 

 笛吹川沿いに下りつつ、高台にある差出大嶽山神社に登って、適当に眺めてみる。やはり一宮と石和あたりに桃色が集中しているように見える。今回は目的地が釈迦堂なので、だいたいの位置を覚えつつ、一宮の桃色が濃い方に向かって進むことにした。

 

 東山梨を抜けて、駅の近くの清白寺に寄った。ここは地味に国宝に指定されている寺なのだが、入場料も取られないし客も全然いないのでいいところである。あまり見ない様式だが、室町時代の仏殿で夢窓疎石が開山したらしい。桜もきれいだった。

 

 ここからはひたすら桃色を追いかけながら釈迦堂へ向かった。なぜ釈迦堂なのかというと、前の年の日記に書いたが、前に一宮のあたりを歩いていた時に農園のおじさんになぜか採り忘れていた富士の輝をもらうとともにおすすめされたからである。向かう道中にもそこかしこに桃園はあって結構美しい一方で、ぶどう畑の方はまだ台木しかないので物寂しい。しかし高速道路の位置からも分かるが釈迦堂は結構盆地の上の方である。前日からかなり歩いているので足腰に負担がかかる。

 

 へろへろになりながらようやく釈迦堂PAに到着。当然ぷらっとパークがある。ここで新宿行きのバスを予約した。あと1時間くらいあるので、奥の駒沢農園というところに行く。ここは花桃を売りにしているらしく、結構いろんな色の花桃が植わっている。しかしなぜか気前よく無料なので、ありがたく散歩させてもらう。ここは結構人がいた。

 しばらく散策して、バスで帰宅。釈迦堂遺跡博物館は閉館が近かったのでスルーした。

 

 1泊の旅行だが、やたら写真が充実している。花の時期は花を見に行けばいいらしい。桃は個人的には桜より好きなのと、単に人が少ないので来年も見に行きたい。次は御坂かいっそのこと川中島の方に行くか。ガルラジ勢が関東に引っ越してきたこともあるので、それも兼ねて双葉に行ってもいいかもしれない。18きっぷも使えるので、毎年行っていいところだ。

 

〇北陸(略式)

 仕事で北陸に行くのに合わせて休みをつけてちょっと観光した。石川だったのだが、金沢にはrunrunバスというのがあり、無料で結構いろんなところに行ける。今回はそれを使って城端(!)に行った。そこまで無料とはかなり気前がいい。もっとみんなが使わないとビジネスモデルが破綻するので積極的に紹介する。

ラン♪Run♪Bus - 誰でも無料で乗れるバス

  福光では謎の祭りが開催されていた。かの有名な城端の曳山祭りではなく、よくわからない小規模な祭り。その祭りを眺めたり、普通に城端観光をしたり、あとはイオンモール白山が開業してから初めて行ったり、すし食いねえで晩飯食べたり。イオンモール白山は思った以上にしんどそうである。直営がちょっと弱いので根本の集客がちょっと厳しいように見えたのだが、どうだろうか。

 真面目に書けば結構書くことはあるのだが、めんどくさいので以下写真だけ適当に上げる。その後富山で撮った写真も混じる。



 あとは月末から連休なのでここから始まるのだが、例によって5月の方に譲ることにする。多分こちらも結構長い。4月もかなり充実していたようで、結構長くなった。やはり繁忙期を抜けるので、いろいろ動いてしまう時期なのか。まあ春なのでこれくらい賑やかな方がいいだろう。