焚き付け

主に日記を書く

双葉量感迷走記(だいぶ前)

 この記事は(2020年の)勤労感謝の日の3連休を使って双葉SAに徒歩で訪問した記録になる。例によって長い。もともと(2020年の)ガルラジACに投稿しようと思って書いた記事なのだが、なんと枠が全部埋まったので(すごい)、普通に投稿する。途中で文章の方向性を変えたわけじゃないのでガルラジを意識した文章になっているが、ガルラジ関連を読みたいならはじめにとおわりにだけ読むのをお勧めする。また、富士川沿いの観光情報が知りたいなら他のサイトを当たったほうが有意義である。長ったらしい紀行文が読みたいなら全部読めばよいと思う。いや読まなくていい。死ぬほど暇なら死ぬよりはいいというくらいだ。

(2021.1追記)ACの枠が埋まったとはいえ12月中に完成させる予定だったのだが、PCがぶっ壊れたので結局年をまたいでしまった。もはや時代は特別編part2なので完全に終わった話題だが、めげずに気合を入れて書く。

(2021.11追記)気付いたら1年経ってしまった。もう今回の行程でまだできていなかった中部横断道も開通している。ガルラジはチームシャッフルまで行われてしまった。早く書かないといけない。勘弁してくれ。

(2022.3.13追記)11月に今度こそ完成させようと思い、本文は完成させたもののあとがきで頓挫してしまった。時間が空くせいで書くたびに文章の流れが支離滅裂になっていくが、もう気にせず完成させる。あまりにめちゃくちゃなので、読むのは推奨しない。それよりそろそろ次の展開が欲しい。頼む運営。頼む藤田さん。

 

○はじめに

 2019年にガルラジが始まってから、8月の御在所SA、11月の徳光PA、年が変わって2020年の2月にEXPASA富士川、8月に岡崎と、4か所のSAPAを徒歩で訪問してきた。最初の御在所は最寄り駅(山城)からだったのだが、その次の徳光は香林坊から、富士川富士駅からスタンプラリーも全て徒歩で、岡崎は最寄り駅とは言ってもやたら遠い岡崎駅からといった感じで、距離を歩くこと自体が目的化してきた感がある。そんな中で最後に残ったのが双葉だったのだが、なんか普通に竜王から歩いてもつまらないなと思ったのは必然だろう。

 もちろんこれはラジオ内で徒歩でSAに来る人のことが触れられたり、そもそもガルラジの目的のひとつが徒歩での訪問者を増やすことだったり、リスナー間でも徒歩訪問という行為に特別なイメージがついたという影響も大いにある。いわば、徒歩での訪問という行為そのものが、自分の中で、もしかしたらリスナーの総体の中でガルラジ体験のひとつとしてコンテンツ化したと言えるのかもしれない。

 質感旅行という単語は、ガルラジ、あるいはガルラジ聖地巡りを語るうえで欠かせない。結局どこから出た言葉なのかよくわかっていないが、内容が的確かつ簡潔でとても良いと思う。で、あえてこの記事はそれに対抗して量感旅行というタイトルを付けてみた。もちろん意味はあるのだが、その理由はおわりにで書こうと思う。

 とにかく、(今ある中では)最後のガルラジ聖地訪問なのだから、それなりに派手にやりたいという思いがあった。

 

 

○今回のルート

 長い距離を歩くとして、どこから歩こうかなと山梨県の地図を眺めながら気づいたことがあった。いや、知識としては知っていたが、改めて実感を伴って再構築されたというべきだろうか。それは、甲府盆地の水は南下して静岡県に流れているということだった。その川こそが富士川、つまり富士川SAからずっと川沿いに歩けば双葉にたどり着けるということだ。これをやらない手はない、ということで、経路は案外すんなりと決定した。

 計画としては、Google mapで調べた距離がだいたい80kmなので、実際はもう少し伸びることを考慮して2日半で踏破しようというもくろみ。今までの経験だと1日に歩けるのは60㎞くらいが(時間的な意味でも)限界で、50km歩くと翌日かなり疲れが残るという印象がある。そんなわけで、寄り道や迷子込みで40㎞×2.5=100kmとしていい感じになるだろうという計算だ。

 

○1日目

 起きたら昼過ぎだった。ちょっと遅いかなという感じだが、とりあえず支度して、冷凍庫のバナナをかじってから出発。途中当然おなかが減ったので、乗換駅の小田原で駅前に適当なパン屋を見つけてあんパン(実はそんなに好きではないのだがこれはおいしかった)を食べた。

 富士川の駅に着いたのは17時前だった。12月も近づいてきて、外に出るともう日は沈んでいた。余談だが、一年で最も日が早く沈む日は冬至ではなく、その約2週間前である(反対に日の出が最も遅いのは冬至約2週間後)。本当は河口まで歩いて海に触れてから歩きだそうかなと考えていたのだが、もう暗いのでやめにした。これはお役立ち情報だが、実は富士川の河口幅は2kmあり、日本で最も広い河口である。ちなみに2位は那賀川で3位は揖斐川静岡県のhpには書かれているのだが、ここ以外にソースがない上に木曽川でなく揖斐川と書いているあたり信頼度が若干怪しい(河川法上はまとめて木曽川水系のため、ただし現在揖斐川木曽川は合流しないのでこの主張も理解はできる、ていうか揖斐川木曽川合わせて木曽川扱いにすればトップなのでは?)。富士川が1位であることは国交省の資料にも書かれているのだが。いずれにせよ、河口幅だの川幅だのは結構人工的なので、川の大きさにはそこまで依存しないようだ。

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 向かう途中、Google mapで駅の近くのことを調べていたのだが、どうも駅の近くの讃岐うどん屋で「白糸うどん」を出しているということを発見。どうせ昼もろくに食べていないので、寄って行くことにした。

 店は県道に出てすぐの場所にある高橋製麺所というところ。駐車場の看板に店主のポエムがでかでかとかかれており(暗くて撮影できず)、白糸と言い大変なガルラジリスペクトにちょっと嬉しくなる。小汚い店に入ると他に客はいなかった。奥から出てきた店主に白糸うどんとは一体何なのか聞いてみると、細うどんのことだという。1玉430円で若干高い(かけうどん280円)なと思いながら天ぷらと一緒に注文した。写真の通り、確かに白糸感ある細さだ。でもこれってそうめんでは……?味の方は…うーん絶妙に残念。これは予想できていたのだが、細切りになることで讃岐うどん最大の長所であるところのコシが失われている。出汁は讃岐らしくいりこが効いてうまいので、素直にかけうどんを頼むのが150円安いしオススメである。それでも白糸を味わいたいという方はその熱意のまま突き進んでほしい。

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 食べ終わっていよいよEXPASAに向かうのだが、今回はいつもとルートを変えて、旧東海道を通っていくことにした。駅前の十字路をまっすぐ進んだ道がそれだ。真っ暗なので全然見えなかったが、本陣跡や一里塚など結構観光できるようだ。昼間に富士川に行くならこちらの道もお勧めしたい。この道のそばに今回辿る予定の身延道の道標があるらしく、これは見ておきたいと思って散々探し回ったのだが、15分歩き回っても見つからなかったので諦めた。そんなこんなで1時間弱かかってEXPASA富士川へ。

 実は自分はスタンプラリーを1周半やっており、これまでに富士川には2回来ている。そんなわけで今回が3回目だ。観覧車でも乗ろうかと思ったが、コロナの影響で営業は6時までだった。まっすぐ進んでいれば乗れたのに…。3連休初日だけあって中は結構繁盛していた。さっきうどんを食べて腹も減っていないので、若干申し訳なく思いながらも無料のお茶だけ乞食して立ち去る。ちなみにほぼ等身大パネルは生存、ボールペンは青だけ残っていた。

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 さてここからが本番、この先は歩いたことのない道になる。まず心配だったのは富士川楽座より先に歩道があるかどうかだったのだが、これはばっちりだった。夜道で歩道がないと精神をすり減らす。交通量はめちゃくちゃに多くはないが、明かりの少なさに比べれば多い方だ。2月に来た時から上流で新しい橋を作ろうとしているのが見えて気になっていて、今回のルートなら間近で見えると思っていたのだが、明かりも無くて全く見えなかった。

 少し歩くとトンネルがあり、抜けるのに10分くらいかかった。ちょうど新名神の真下になる。旧道がどの道かは分からないが、いずれも山越えしているようだ。富士山の眺望が良さそうなので昼間なら上から行きたかったが、今回はスルー。

 意外にもトンネルを抜けた先は工場地帯となっていた。さすがは富士市、やはり大河の下流だけある。一部の工業にはやっぱり大量の水が必要なんですねえ。ちなみに工場は3社あり、それぞれホテイフーズ、花王製紙、パイオラックス。パイオラックスは名前しか知らなかったが、部品メーカーらしい(今調べて知った)。地図を見ると川沿いの台地には宅地も造成されているようだが、これは面倒なので見に行かず。あとは2ndシーズン第何回かは忘れたが、ご当地CM回で登場したハッピーグルメ弁当のお弁当のどんどんがあった。ちなみにハッピーグルメ弁当という弁当は存在しないらしい。

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 ここを抜けるとようやく次の橋が見えてくる。蓬莱橋という橋で、この橋が無かったころは対岸の駅に行くため渡船で云々…と書かれていたがよく覚えていない。特にこの橋は渡る必要がないのだが、対岸の駅が沼久保という名前で気に入った(沼なので…)寄って行くことにした。あとは地図を見ていると対岸に富士川ボルダーという外岩があるらしいというのも理由なのだが、当然暗いので分かるわけがなかった。そこから急坂を登ること15分で駅に到着。斜面にへばりつくような駅で沼要素も窪要素もどこにもなかった。下の集落の名前らしい。しかし船で対岸に渡ってこの坂を上ってようやく駅とは昔の人も大変だ。駅には高浜虚子か誰かの句碑があった(誰か忘れた時虚子と言っておけば4割当たり、残り6割のうち半分は芭蕉というイメージ)。区切り用に意味も無く駅名標の写真を貼る。

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 この先線路の少し上を通る県道を進むが、さっきと打って変わってうっそうとして暗い道だった。意外にも路側帯は広いが、車は雰囲気以上に通る。こっちも怖いのだが、多分向こうはもっと怖いんじゃないかと思ったり。夜中に山の中の県道を歩いてる人間がいたらそりゃ怖い。多分幽霊が出たみたいなやつの半分くらいはこの手のタイプなんだろうなと思う。とりあえずハイビームは人間相手でも控えて欲しい。めちゃくちゃ眩しいので。

 しばらく歩いて芝川駅に到着。名前の通り、ここで支流の芝川が合流する。この芝川、集水域が非常に気持ち悪く、上流は富士山西面全てを含むほど広いのに下流はわけが分からんほど細い。ちなみに富士川の全流域で富士山裾野を水源とするのはこの芝川だけである(もともとつながっていなかった潤井川とその支流は除く)。せっかく書いたので少し述べておくと、潤井川は富士山南西面を水源とするのだが、放水路で富士川とつながっており、現在は富士川水系として扱われている。閉店したSAの焼きそば屋の名前からずっと「うるおい川」だとおもっていたのだが、「うるい川」が正しいらしい。ややこしい名前しやがって…(うるおいていの方)。当初の予定ではこの辺で野宿する予定だったが、碌な場所がなかった上にまだ10時だったのでこのまま進むことにした。

 芝川駅のすぐ上流には、瀬戸島という富士川で唯一の川中島がある。そしてこの付近は瀬戸島のため川幅が極端に狭くなり、富士川最大の難所であった(釜口峡という)。当初芝川を1日目の終わりにしようとしたのも、この辺りを朝見てみたかったからというのが理由である。何も見えなかったので見ていない他の情報をついでに解説しておくと、瀬戸島と左岸の間にはつり橋がかかっていたがしょっちゅう落ちたので慰霊碑が立っているとか、日本軽金属の導水管がここを越えるために管径6.4mの巨大サイフォン水路橋を通しているとか、いろいろコンテンツ力がある。ちなみにこの先15kmくらいコンビニがないのだが、そのことに気付いたのは通り過ぎた後だった。

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↑なんかの直売店にあった謎の看板。困るなら売るな。

 暗くて何も見えないが、せっかくなので瀬戸島を抜けて右岸に渡る。ここから川沿いに歩いていたら突如後ろから騒ぎ声が聞こえてきて、やべえチンピラかと思ったら技能実習生と思しき外国人の集団だった。そりゃこんなところ日本人は集まらんよな…。現実は(いろいろな意味で)厳しい。

 この先右岸の道はしばらく何もないなと思いつつ、こちらを進むことにした。主に戻るのがめんどくさいというのが理由。当然車が通ることもほとんどないので、5km以上明かりひとつない2車線の道路のど真ん中を歩き続けることになった。これは自分だけという気もするが、真っ暗な広い道を歩くのが好きだ。風も穏やかだったので自分の足音以外の物音もなく、非常に穏やかな気持ちになれる。40分くらい歩いたところで一度車が来たのにはびっくりしたが。いきなり対岸が眩しくなったので見てみると、採石場のようなものが見えた。空中写真で確認してみると、かなり大きな採石所だ。周囲に明かりが一切ない中でこれだけの明かりがあると、さながら神殿のような荘厳な印象を受ける。最終的には岩山を全部崩すついでに流路の短絡も図ろうとしているのだろうか。

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 たっぷり1時間は歩いたところで陸橋と交差した。これが国道52号線、清水と甲府を結ぶ、かつての駿州往還のメインルートだ。どうでもいいけど往還って言葉が好き。往く人がいて還る人がいるから道、非常に豊かな表現だと思う。現代と違い昔は諸国を結ぶ道の選択肢もそれほど多くなく、それにわざわざ他の道を使うメリットなどほぼなかっただろうから、往であればすなわち還でもあったということが多いのだろう。現代はいくらでも選択肢があるが、それこそ高速道路と下道のように。ここまで来たと言うことは山梨県にもう入ったということなのだが、県境の看板は見逃してしまったようだ(無かった可能性もある)。この辺りは山梨県がちょうど南に出っ張っているところなので、静岡県区間は驚くほど短い。

 ここを過ぎるとようやく次の町、かつての万沢宿になる。EXPASA以降水を一滴も飲んでおらずいい加減辛かったので、最初に見つけた自販機で速攻ジュースを買った。もう日もまたいでいたので、そのへんで場所を見つけて就寝。この日の歩数は38,000歩程度だった。歩数を記録する媒体はスマホ1、スマホ2、腕時計の3種類あるが、±1000歩以内には収まっている。距離はスマホが23.2kmと23.6km、時計は27.3kmだった。いま簡単に測ってみたところ自分の平均歩幅は65cmくらいだったので、単純計算すると24.7km、実際はもう少し少なくて24kmちょっとというところだろうか。

 

↓この日の日記。一応リンクを残すが特におもしろいことは書いていない。ちなみにここで言及したゆるキャンの手作り感あふれる貼り紙は下。

11/21|0.09|note

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〇2日目

 空が少し明るくなった5時半に起きる。起きるとは言ってもこの間寒過ぎて全く眠れなかった。するたびに後悔しているが、11月後半に野宿をするのはやめた方がいい。横になっている間に筋肉が硬直して、むしろ到着時よりコンディションは悪くなった。四方を見ると雲はほとんどない。今日も快晴だ。

 とりあえず歩いてきた道を戻り、町の様子を見る。明らかにここがかつての街道だろうというしっかりした道があり、道沿いにいかにも古そうな酒屋や宿屋が立地していていかにもかつての宿場町という風情だ(撮ったはずの写真がすべて消えていたので写真はない)。とは言っても町自体はかなり寂れていて、国道も地区中心部を避けるので完全に発展から身を引いた場所という印象だ。広場になっているところから奥の方に富士山が頭を出していた。山頂までの距離は富士とほとんど変わらないのに、小さくなったもんだ。それだけ裾野の存在が富士山の景観に重要な役割を果たしているということだろう。

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 ちょうど玄関で休んでいるおばあさんに挨拶ついでに声を掛けられ、少し世間話をする。右岸の道をずっと歩いてきたことを伝えると、あそこには橋上という集落があることを教えてくれた。歩いてきた県道か川の方に伸びた話気持ちを辿るとある、河岸に形成された集落だ。釜口峡手前で左岸に渡るための渡し船があったのではないかと想像しており、本当は行きたかったのだが夜なのでスルーした場所だ。今回みたいなあいまいな旅行ではこういう普通にしていれば絶対行かないようなところに積極的に行っておきたいのだが…。このまま甲府まで歩くと言うと、家の中から南部町の特産品らしいお茶のペットボトルをもってきてくれた。水分のストックは全くなかったので非常にありがたい。山梨県交通安全スローガン川柳が書いてあり好き。味は有名どころの中だと綾鷹に近かった。

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  集落を抜け、坂を下ってふたたび川沿いの52号に出る。それしか道がないからだ。坂を下るところでちょうど富士川がよく見えた。思えば昨日は真っ暗でろくに川なんて見えなかったので、ようやく存在が実感できたという印象だ。当然あるはずのものが見えただけなのに、妙にうれしい。朝が来ると世界が広がる。

 やはり11月、水量は少ない。非常に広い河川敷が、この川が暴れ川であることを物語っている。ちょうど奥の方に斜面が川のそばまで迫っている場所が見える。そこがかつての難所、西行峠だ。

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 かつて峠があった場所には西行公園という公園ができている。西行というのはもちろんあの西行僧で、かつて西行がこの麓に庵を結んだことが由来になっている(上写真峠の手前の集落も西行という名である)。いろいろな逸話があるようなのだが、いずれにせよ西行甲州に入ろうとして、このあたりで一般人との歌詠みバトルに敗北して引き返した(意訳)という話だ。また、西行峠から見える富士山は盆中の富士と呼ばれ、富士見三景の一つに数えられているらしい。現在52号は川沿いに洞門を掘っているためわざわざ苦労せずとも通過できるのだが、ここは朝で気力も十分あることだし、折角だから峠を超えることにした。

 結構な急坂を登って西行公園にたどり着く。これだけコンテンツ性モリモリの場所なんだからさぞ立派なんだろうと思いきや、コンクリート剥がれまくりのボロボロの公園だった。駐車場だけは10台くらい停められるスペースがあり、バブル期に調子に乗って作ったものの誰も来なかったという質感がある。入口に設置してあった看板には右の方に盆中の富士と書かれていたのでとりあえず右に行ってみる。が、全く見つからない。鉄塔が立っていたのだが、ひょっとすると看板設置後にこの鉄塔ができたせいで…などと考えて無理矢理敷地を横から巻いて奥に行ってみるも全く見えず。10分以上探して結局諦めた。看板の場所に戻り、峠を降りる方向(=看板の左)に進むと広場になっており、ふと振り返ると富士山が小さく見えた。確かに盆中の富士の位置は看板の右だがこれはいくらなんでもミスリードを招くだろ…。さて、肝心の盆中の富士だが、正直ふーん…くらいの感想しか出なかった。だって富士山ほとんど見えないし…。静岡県民や山梨県民は普通に見える富士山の見過ぎで脳味噌がバグってしまったらしい。富士山が全部見えるという事実をもっとありがたがってもらいたい。ある意味、今回の旅行で一番甲駿の質感を感じた瞬間だったかもしれない。

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西行公園が廃れる理由が分かってしまうな…。

 

 公園の奥に→身延道という看板があったのだが、その先はただの藪であった。15秒逡巡して、やめておくことにする。道の輪郭すら見えなかったので…。下に降りて52号で短絡しても良かったのだが、山越えの道があることは分かっていたのでそちらを行くことにした。公園の入り口から坂を登り続けるとだんだん道は細くなり、最終的には車1台分になった。周囲はよく手入れされた人工林だが、雰囲気は暗い。まだ着かんのか、本当にこの道で合ってる?と思い始めてきたところでようやく下りの道が登場したので降りてみるが、道は竹藪の中に消滅した。仕方ないので引き返して諦めて地図を確認すると、道は合っているがまだまだ先だった。思ったより遠い。これは下に降りた方が良かったか。そんなことを言っても途中まで進んだ手前、引き返す方が手間なので諦めて前進するしかない。さらにしばらく歩くとようやく正解の下り坂、一気に下ると突如視界が開けて茶畑に出た。なるほどこれが今飲んでいる南部茶か。しかしここは1軒の農家がそれほど広くない土地でやっているようだ。ここまで歩いてきて斜面に茶畑があるのは見えなかったので、やはり生産量はそれほど多くないのだろう。写真は撮った記憶があるのだが、なぜか見当たらない…。近くにあった全然関係ない謎のオブジェの写真は残っているのだが…。

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 さらに下ってようやく52号に合流する。結構ロスになってしまったが、茶畑も見れたことだしまあいいだろう。この先で福士川という支流が合流し、これを越えると次の集落、富沢だ。

 実はというか当然なのだが、店が全く無かったので朝から何も食っていない。ここでGooglemapを確認すると、どうも岩田屋というパン屋が7時半からやっているらしい。若干遠回りだが、せっかくだからコンビニなんかよりこういうところで買いたい。ということで行ってみたが、残念ながら閉まっていた。というか、店の雰囲気なんてどこにもなかった。どういうことだろう。とぼとぼ歩いていると商店のようなものがあり、玄関先の天幕の下に野菜やちょっとした菓子類が並んでいた。少し眺めていくかと違づいてみると突然ファミマの入店音みたいな音が鳴って、少しして奥から店主がだるそうに出てきた。しまった、謀られたか。ちょっと見てるだけとも言えず、結局良味100選のチョコを購入した。いや、まさに求めていたものだし100円だったので不満はないのだが、言いようのない敗北感がある。1敗。

 国道に戻ると道の駅があった。いや、正確にはあるのは分かっていて、パン屋がダメならここで朝飯を調達しようと思っていた。それほど大きな建物ではないが店はもう開いていて、どこからこんなに出てきたんだろうと思うほど人でにぎわっていた。道の駅、どうして最近こんなに人気なのだろう。(個々のではなく道の駅全体として)メディアへの露出も増えてやはり安心感というか、ブランド価値のようなものが出てきたのだろうか。基本的に地元資本なので、にぎわう分にはいいと思うが。あんまり食べたいものはなかったが、かろうじて助六を購入した。建物の横に謎の筍オブジェがあり、中は喫煙所になっているのだがそこで食べた。筍はこの地方の特産品らしい。確かに西行公園のあたりは竹林が多かった。

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↑もう少し効果的な使い方を考えた方がよい。

 

 微妙にタバコ臭かったので、助六を食って早々に筍(?)を出た。国道なんて通っても面白くないので、ここは国道のすぐ脇にある集落内の道を通ることにする。と、歩き始めて30秒にして見覚えのある看板が見えた。Aコープだ。全国の田舎にあることで知られ、意外とそれほど地元産品は置いていなくてがっかりするあの店。シャッターは半分開いており、店員さんがちょうど開店作業をしているところだった。これを逃す手はないので聞いてみる。「10時からですか?」それに対して店員さんは「もう入っていいですよ。」ありがたい。逆にまだ開いているはずが閉まっていてブチギレることも多いが、なんだかんだこの辺りの緩さは好きだ。店に入って時計を見ると、8時56分。そもそも10時じゃなかった…。ちょっと恥ずかしい。もう入っていいですかって聞けばよかった。店は開店前なのになぜか半額の総菜が売られている。昨日の残りだろうが、都会じゃまずお目にかかれない光景だろう。チキンドラムの唐揚げ(4個入り)と近くのパン屋のパン×2をいずれも半額で買って退店した。まだ開いてもいない店で半額商品を買うのって不思議な感覚だ。結論として、道の駅の助六は一切不要だった。2敗目。

 

 チキンドラムで手がべたべたになりながら歩く。食べてから気付いたのだが、残った骨を入れる場所がない。透明なビニール袋を貰っておくべきだった…。この手のミスは数か月に1回やらかす。諦めて食べ終わった骨とまだ食べていない身に同居してもらうことにした。本当は一度開けて不安定なトレー自体裸で鞄にしまいたくなかったのだが。

 万沢より多少は大きな町、とはいえ10分足らずで抜けてしまった。またすぐに山が迫ってきて、国道は洞門に入る。ここもやはり峠越えの道があるらしいのだが、さっきので懲りたのでここは国道を進むことにした。Googlemapには真條砦と書かれており気になりはしたが、西行峠の例で本当に道があるかも怪しいので…。洞門にはちょうど清水から30kmのキロポストがあった。こっちは富士から来ているのであまり関係あるものではないが、あるとちょっと嬉しい。52号はキロポストが0.1km刻みも含めてきっちり設置されていて好感度が高い。

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 洞門を抜けた先で道は二手に分かれる。片方は52号線で、おそらくかつての身延道。もう片方は川沿いの道で、こちらはアルカディアとかいうふざけた名前の公営スポーツセンターに行くようだ。今回は名前だけでアルカディアに行くことにした。

 国道から分かれると、いかにも新しく作られたっぽい道。特に沿道には何もなかった。車も国道よりは少ないものの全く通らないということはなく、ちょっと微妙だったかなという感じ。アルカディアでは飯田かどこかともう片方は忘れたが、高校野球の試合をやっていた。バス停名前もアルカディアでちょっと面白い。関係ないが伊豆には理想郷入口というバス停がある。湯河原にもあった気がする。珍名バス停シリーズ。

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 アルカディアの横には図書館と美術館のようななにかも立地している。この町出身の人の展示をやっているみたいだが、面倒なので寄らなかった。アイスでも買おうかと近くにあったオギノキャロットにも寄ってみるが、特にほしい物はなかったので撤退した。

 アルカディアの先は再び町になる。Googlemapによるとここからふたたび身延道らしい。さらに戸栗川という小さな支流を挟み、対岸が南部、睦合という字になる。さらにの対岸にある内船も併せて、古くからの地域の中心といっていいだろう。国道は集落を外れトンネルで通過していくが、古い道のある川沿いには民家が隙間なく立ち並んでおり、商店も多い。残念ながら過疎の雰囲気はぬぐい切れなかったが。

 閑話。川沿いの看板に富士川水運について書かれており、この辺りも栄えたようだ。確かに、この辺りはちょうど鰍沢と岩淵の中間くらいだ。これまで歩きながら下りはともかく上りはどうやっていたのかと疑問に思っていたのだがここで答えが明らかになり、普通に河岸を歩いて引っ張っていたらしい。なんという物理。ちなみに鰍沢まで4,5日かかったそうだ。下りの主な積荷はもちろん年貢米で、上りはこれまたもちろん塩。また水運のための河川改修を施したのは角倉了以とも書いてあった。京都にゆかりのない人は聞いたことも名前だと思うが、京都の水運といえば田辺朔朗と角倉了以と教えられた自分にとっては聞き覚えのある名前で、高瀬川を開削した人物だ(ちなみに田辺朔朗は琵琶湖疎水)。富士川もやっていたとは驚いた。ていうかこれを1商人がやったというのだから驚くほかない。その後天竜川にも着手したが、これは失敗に終わったそうだ。
 

 休題。この辺りで昼飯にしたいなと思っていたが、どこも店が開いていなかった。どんどん進んでいくと、最後にはまた52号に合流。直前に道の駅があったらしいが、これはスルー。ここから上り坂になり、峠を境に南部町から身延町になる。県境に書いてあった看板によると、南部町は南部氏発祥の地らしい。岩手の南部氏も、元をたどればここに行きつくそうだ。

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 少し進んだところでまた道が二手に分かれる。例によって川沿いの道と国道なのだが、今回は国道を選択した。というのも、国道が久遠寺にダイレクトに通じているからだ。冒頭で書いた気がするが、今回唯一といっていい道中観光したかった場所がこの久遠寺だった。富士川沿いの道が身延道で、しかもこちらはこちらで身延の中心街を通るほか、お万の方(家康の側室、水戸、紀州徳川家初代の母)の墓がある重文の本遠寺があったりもするのだが、距離のロスがかなり大きいので不本意ながらスルーに至った。今思うと、むしろ久遠寺をスルーしてこちらを行ってもよかったかもしれない(久遠寺は今回のコンセプト外でいつ行っても別にいいので)。

 52号はトンネルで山越えして、身延中心部を通る比較的大きな支流の波木井川のそのまた支流の相又川に沿って北上する。しばらくすると湯葉の里なる道の駅ライクな施設が登場した。でかい寺にはだいたい大豆製品の名物があるが、身延ではそれが湯葉らしい。実は店で湯葉という食品をこれまで食べたことがなくて興味はあったのだが、人が多かったのと道の駅で昼飯というのが不満だったのでスルーした。代わりに奥まった店で売っていた豆乳ソフト(250円)を食べたが、これはうまかった。奥まっている分客足が重いのがかわいそうだ(多分多くの客が認知していない)。道の駅などでご当地感のあるソフトクリームが売られているとき、250円ならほぼ間違いなく買う。300円なら買う寄りで気分次第、350円を超えてくると買わない寄りの気分次第だろうか。400を超えていたら買うことはほぼないと思う。ここはおすすめ。

 ここから10分ほど歩いたところに空いている中華料理屋があったので入った。そんなに腹減ってないなと思いつつ(行動食をちまちま食べていたため)勧められるままに麺と飯のセットを頼んだが、量が多かった。量を求めてないならさっき湯葉食っておけばよかったと後悔する。ちなみに味はいたって普通だった。

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 店を出て少し歩くと久遠寺に向かう道が分岐し、少し歩くと総門だ。この先は門前町となっているのだが、総門の中に普通に町があるとはさすがの規模だ。田舎に突如現れるという点でもこの規模だと他に並ぶのは高野山くらいしかないのではなかろうか。山門の近くには多くの店が並び、人出も多い。ここでも多くの店で湯葉が売られていた。

 山門をくぐるといよいよ境内。目の前にシャフト作品の作画みたいな急階段がすごい威容を放っている。もう何段あったのかも覚えていないが、あまりにきつくて自分も他の人もみんな途中で休憩していた。多分ここは高所恐怖症の人は登れないと思う。あと自分はやっていないが、ここを下るのは間違いなく怖い。

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 階段を上りきると本堂。五重塔も建っていて存在感がある。本堂の横にもたくさん建物があって、全部無料で見られる。神コンテンツというほかない。ちょうど納経堂かどこかで日々のお勤めをやっていたので聞いていった。聞いている感じ、回向かなにかをやっているようだ。30分くらいひたすらいろいろな人の名前を言っていた。これは毎日やる方も大変だ。依頼した人は焼香もできるようになっており、何人か来ている人はいたが最後まで聞いていたのはそもそも依頼していない自分だけだった。そもそも自分は読経を聞くのが好きで、大勢の僧侶が声を合わせて詠んでいるのを聞くとトランスしたかのような浮遊感がある(実際にできたことはない)。今回は夕方のお勤めなので声を合わせるパートはあまりなかったが、朝の勤行は派手にやるらしく、一度聞いてみたい。

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 本堂の狭い休憩室みたいなところに無料の給茶機があり(SAか!)、飲んでいくついでにモニタから流れていたPRビデオをぼーっと見ていたのだが、なんかナレーションが聞き覚えある声だなと思ったらゆるキャン△だった。ここまで歩いてきてどこもかしこもゆるキャン△一色だったことには割と反感を覚えていたのだが、こんなところにまで進出していると思うとなんかもうお前すげえよとしか思えなくなった。ちなみに今久遠寺のHPを確認したところ、販売しているらしい。お値段はDVDが3000円、BDが5000円とのことで、無料のお茶をがぶがぶ飲みながらこれを見ていたと思うとめちゃくちゃいい気分になってくる。ありがとう身延山、ありがとう久遠寺(申し訳程度の宣伝)。

 ところで身延山というだけあって山頂にももちろん寺があり、こことロープウェイで結ばれている。さらに西の早川町には七面山というのがあってここも寺の境内なのだが、そのおかげで境内周辺だけ身延町の飛び地になっている。時間があればここにも行きたいのだが、当然足りないので今回はスルー。いずれ、身延→赤沢(重伝建の集落)→七面山→梅ヶ島(金山&温泉)、大谷崩れ(日本三大崩れの一角)というのをやってみたいと思っている。かなり面白いと思うのでやりたい徒歩ルートの中でもかなり上位なのだが、いつできるだろうか。

 

 もう一度下に戻ることはせずに、身延山大学や宿坊を横目に境内と同じ高さを北に走る道に沿って国道へ戻る。この道があるおかげで距離のロスはほとんどない。やがて眼下に富士川が見えてきた。奥には中部縦貫道の高架も見える。ここがこの地域の未成区間の北端だ。南は今のところ南部まで来ており、全線(南半分)開通まであと少しだ。確か来年だったか?坂を下って52号と合流するころにはほとんど日が落ちていた。

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 この辺りまで来ると通りに家々が連なっていて、地域としての繁栄レベルが一段上がった気がする。あんまり都市/郊外/田舎みたいな分類はあまりしたくないが、田舎から地方都市郊外の辺縁の領域に入ったという感じだろうか。ここで言った田舎は芝川より先の区間を想定しており、具体的に言語化すれば地方中心都市との結びつきが弱い地域という感じだ。

 久々にそこそこ古そうな町らしくなってきてやる気は上がっていたのだが、すぐに日没を迎えてしまったためろくに観光はできなかった。すぐ北には富士川クラフトパークなる大公園もあり、行ってみたかったのだが。どんな場所なのかは知らんけど。

 少し北に出たところに橋が架かっている。ここから波高島を経て下部温泉、さらには富士五湖の方にまで通じている。確かここも旧街道だったかと思う。身延線もここで一旦富士川を離れ、しばらくこちらを進むことになる。ここでせっかくだから温泉に入ることにした。とは言っても今回の趣旨は富士川沿いに双葉を目指すことなので、奥に行けば行くほどロスになってしまう。そういうわけで、今回は一番手前、波高島側に1軒だけある不二ホテルというところに行くことにした。

 波高島のあたりは真っ暗で道に迷いながらホテルに到着。値段は確か1時間で500円だった。40度くらいのあつ湯と35度くらいのぬる湯、さらに源泉をそのまま溜めた露天(ここだけ混浴)もあり、非常に満足度は高かった。ぬる湯とあつ湯を交互に入り続けることで無限に滞在できるタイプの温泉だ。露天は外気に晒されて完全に水だった。が、ほかの客もいた手前一瞬で戻ってくるのもアレだったので、気合で5分くらい耐えた。そんなこんなで1時間まるまる滞在してしまった。大して時間をカウントしてる感じもなかったが…

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 橋を戻り、再び右岸へ。というのも、この先左岸には川沿いの道がないからだ。左岸の道を少し進むとまた大きな橋にぶつかる。峡南で最大の支流、早川だ。名前の通りしょっちゅう氾濫する暴れ川(過去の話)で、南アルプスの心臓部(広河原とかがあるところ、=野呂川)や身延山西面を水源としている。水源に南アルプスの広大な裸地を抱える上にちょうどフォッサマグナの割れ目を流れているため付近の地質も非情に脆弱で、急勾配なので流出も非常に早く、富士川と直角に合流する(詳細は省くが直角に合流すると背水による氾濫が起きやすくなる)こともあって街道最大の難所の一つだったらしい。余談だが(今までも余談だが)、早川流域は大部分が早川町になるのだが、この早川町は日本で一番人口の少ない町である。なんとなく朝描いていたイメージではこの辺りで日没だったのだが、余裕でオーバーしてしまった。

 ちょっと長い余談になるが、もうひとつ早川については書いておかないといけないことがある。汚泥の問題だ。2019年以降、駿河湾のさくらえび漁は記録的な不漁が続いている。この原因として言われているのが雨畑ダムの汚泥と土砂の問題である。原因についてははっきりわかっていないのだが、今のところ事実として判明している問題がある。まずは富士川の河床に汚泥が堆積していること、その汚泥の成分にアクリルアミドポリマーが見られるということだ(駿河湾ではまだ検出されていないらしい)。化学には疎いのでアクリルアミドポリマーを詳しく解説はしないが、まあ要は凝集剤である。河川の細かな砂なんかがこれで凝集されることによって大きくなり、沈みやすくなるというわけだ。*1そんなものがなんで川にあるのかというと、採石業者による汚泥の不法投棄である(当然よそが原因である可能性も0ではない。0ではないが…)。川底に汚泥が溜まると日光が遮断されるため川底に植物が生息できなくなる。その影響で苔を食うアユも住めなくなり、生態系全体に影響が出るということだ。この採石業者というのが上流の雨畑ダムで発電をやっている日本軽金属の出資した会社で、その雨畑ダム自体も堆砂の影響でえらいことになっているのだが、長くなってきたのでこれ以上は触れないことにする。とりあえず、さくらえびとの因果関係はともかく富士川下流で環境問題(公害と言うべきかもしれない)が発生しているということだけ知ってもらえるとよい。この問題、あまり知名度が無いのでちょっと強めに書いておいた。静岡新聞がこの問題を継続して調査しているので、URLを下に貼っておく。おまけおわり。

www.at-s.com

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 橋を渡ったところに1軒大きなスーパーがあった。明かりがついていたので寄ってみたが、残念ながら閉店していた。時計を見るとちょうど20時。タッチの差で間に合わなかった。この店、ポスターやら自販機のラッピングやらサインやらやけにゆるキャン△推しが強いなと思っていたのだが、どうやらメインキャラの誰かがここでバイトをしているという設定らしい。お弁当のどんどんもあった。結局今まで一度も食べたことがないのだが、機会をうかがっている。実は東は八王子、西は名古屋まで進出しているのでそんなに難易度は高くない。

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 そろそろ晩飯が食いたい。歩いていると中華料理屋が見つかったが、昼と被るのでスルーした。こういうことをやると次の飯屋なんて一向に見つからず、結局コンビニしかないというのがだいたいのオチなのだが、今回は運の良いことにしばらく歩くと店があった。うまいもん家とかいういかにも居酒屋っぽいふざけた名前だったが、googlemapで確認したところ普通に食べられそうだったので入ることにした。メニューを見ると結構いろいろあり、山梨名物のほうとうから身延薬膳餃子(聞いたことがないが)、さらには富士宮焼きそばまで、もうなんでもありである。馬肉料理が名物らしいのでもつ煮定食を頼んだが、ふとつい最近給料日だったのを思い出して馬刺しも追加した。普通なら頼まないのだが、あまりに地域に金を落としていないなと思うところもある。そもそも旅行スタイル的に仕方ない話ではあるのだが。しばらくすると運ばれてきたが、どちらもおいしかった。これは知らなかったのだが、山梨にも馬肉を食べる文化があったらしい。

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 店を出て、黙々と進む。今日の残りはいい感じの時間、いい感じの場所が見つかるまで歩くだけだ。すぐ先に市街と国道の分かれ道があり、夜でなんもわからんだろうなと思いつつ市街のほうへ進む。ここは八日市場という場所で、名前通りならおそらくかつての宿場だろう。寺があったので寄ってみると、民俗資料館的なのが併設されており、外から頑張って覗いてみると、おそらく富士川舟運の高瀬舟と思しき模型が展示してあった。寺にも重文の仏像が保存されているらしく、意外と見どころある場所である。真夜中なので何もできなかったが。

 国道に戻り、黙々と歩き続ける。次に街を認識したのは西島というところだった。ここは割と規模が大きく、さっきの波高島の向かいと同じくらいだろうか。googlemapに西嶋イルミネーションという怪しげなポイントが表示されていたので寄ってみたが、ただの更地だった。どうも普段は住民が勝手にイルミネーションをやっているらしいのだが、今はコロナの影響で自粛しているらしい。残念。

 そろそろ夜も深くなってきたので、この町の探索は切り上げて寝る場所を求めて対岸に渡り、適当な場所で寝た。

 

○3日目

 5時くらいに起きる。元の道に復帰するために歩いていると、中部横断道の宣伝看板があった。「君は太平洋を見たか、僕は日本海を見たい」、完全にガルラジやん、と当時は見た瞬間思ったのだが、よく考えると別にガルラジ要素は高速道路以外になかった。でも、めちゃくちゃガルラジっぽい。後に知ることになるのだが、この文言がTシャツ化されて中日本のSAPAで絶賛発売中である。

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 橋を渡ってまた右岸に戻る。このあたりは西島と言い、紙漉きで有名なところだ。ここまでもそうだったのだが、基本的に河岸の集落は田んぼを前面に配置し、山際に石垣を設けてその上に住宅が建っているという特徴がある。これ自体は谷底平野の集落ではよくあるが、大河川では珍しい気がする。そもそも大河川の本流筋で渓谷状になっているにもかかわらず田畑を作れる河川敷ライクな平地が存在していること自体が珍しいのかもしれない。適当書いているだけなのでよくわからん。和紙の里なる場所があったが、開いていなかったので詳細は不明。少し調べたところ、この辺りでは楮ではなく三椏(みつまた)というのを原料に使っていて、楮のそれより張りつやがあるのが特徴らしい。最近は古紙や稲わらをつかっているとのこと。伝統産業ではあるが、やっていけるのだろうか。

 

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 西島を抜けると、また地形が立ってきて渓谷の様相を呈してくる。川幅は狭く、山裾の傾斜はきつくなり、奥の方にまで洞門が続いているのが見える。ここを抜け切るといよいよ甲府盆地のはずだ。街道はここで二手に分かれており、一本は今から進む川沿いの道、もう一本は身延線に沿って進むものになる。より古くからあったのが後者で、前者は富士川の水運が発達してきたころに切り開いてできたらしい。今は国道に立派なトンネルも(部分的に)できているのだが、今回は横の旧道を通ることにした。洞門内に歩道がなかったら嫌だなと思っていたのだが、幸い全て整備されていた。すれ違う歩行者は一人もいなかったが…。対岸の山の上に変な建物があるなと思って見ていたが、どうも寺らしい。

 

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 洞門ラッシュを抜けたところに少し開けた場所があり、小さな集落になっている。「ようこそ富士川町へ」と多国籍語で書かれた看板があった。旧道だったので市境に看板はなかったのだろう、いつの間にか越えていたようだ。地味な町なので知名度が無いが、山梨県の町である。静岡ではない。県境越えは今回の旅行の一大イベントだと思っていたのだが、何もなく終了してしまった。まあいい、もうすぐもっと大きなイベントが来る。

 そこからもう少し歩くと、山中最後の集落である鬼島に出る。ここでは、宮古島まもる君みたいな警官人形が出迎えてくれた。最後なので、ちょっと寄り道してしっかり見ていく。斜面のほうにまで集落は伸びていて、上の方に小さな小学校と寺があった。あとは雨畑硯の製造元がある。雨畑は結構遠いが、なぜここでやってるんだろうか。

 小さな集落なので、見ると言ってもこれで全部だ。国道に戻って再び歩を進める。やがて富士川は右にカーブして…

 

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 ついに見えた。甲府盆地だ。なんと開けていることか。なんとも言い難い開放感がある。一気にテンションも上がり、どんどんと進む。山の終わる場所が鰍沢だ。

 鰍沢に入ると周囲全てが開け、ようやく山梨に入ったという実感が出てくる。ここから52号はまっすぐ北上して韮崎へと向かい、20号と一旦合流してから竜王へ、ここで再度分離して甲府市街へと向かう。今回の目的地は双葉であるから、これ以上52号にこだわる理由はない(そもそもスタートからして違うし)。ここからは単純に行きたい場所を通っていくことにする。

 まず、目の前にある道の駅富士川へ。相変わらずややこしい名前だな。ただの道の駅でしかもちょっと小さいくらいなのだが、びっくりするほど人がいた。これが甲斐の底力か…。富士川はここで分かれ、釜無川笛吹川という山梨を代表する2河川になる。ちょうど橋があるので、渡ることにした。狭いところに押し込められた富士川の面影はどこにもなく、広々とした河原が広がっている。この二つの川が甲府盆地を作っていると思うと感慨深い。

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 橋はそのまま渡ってしまって、笛吹川の方を歩くことにした。意図としては南の丘にあるみたまの湯に行こうと思っていたのだが、いい加減足もしんどいので途中で断念した。県道3号線に沿って北上する。途中、ジュースのわたなべというジュース専門店があっていきたいと思っていたのだが、あいにく閉店。土日閉店という大変狙いにくい店でひょっとして祝日ならと思っていたのだが、まあ無理であった。

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 なおも北上していると、フェニックスブラジルといういかにもコンビニ居抜きのブラジルスーパーを発見した。なんかちょっと高いな…と思いつつも腹が減っていたので謎のパンとカジューアップルのジュースを購入。一応補足しておくと、カジューアップルというのはカシューナッツの実である。パンはもさもさしていて中に肉が入っており、やたら腹にたまった。

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 常永のところで3号線から分かれ、北に進む道を取る。なんとここから竜王駅まで一直線だ。ここからいわばホームストレートなのだが、近いと見せかけて5㎞以上ある。甲府盆地もバカにならない大きさである。

 すぐのところにイオンモール甲府昭和があり、寄っていく。2011年に完成したかなり新しいイオンモールで、17年には増床もされた。

(以下余談)ガルラジリスナーにとっては山梨のショッピングセンターと言えばラザウォークだろうが、規模的にはこちらの方が大きい(倍くらいある)。何度かこのブログでも言及している、イオンモール白山と同じくらいの大きさだ(この記事を書いている間にオープンしてしまった)。さらに余談だが、元々はダイヤモンドシティとして計画されており、計画中にイオンモールに転換したので名前も最初からイオンモールなのだが、ダイヤモンドシティのままだった場合どのような愛称になったのかは気になるところである。知らない人も多いかと思うので補足しておくと、ラザウォークのラザも愛称のようなものである。根本はウォークというアピタのモール業態であり、それぞれ店舗ごとに固有の愛称をつけている(大垣のアクアウォークなど)。ダイヤモンドシティも同様に、店舗ごとに愛称をつける方式だったのだが(広島のソレイユ、伊丹のテラスなど)、イオンモールに転換してからはその文化はなくなった。

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 話が発散してしまったが、要はラザウォークと並ぶ山梨を代表するCSとして訪問したかったというところである。が、人が多い上に疲労もピークに近く、ちょろっと見るだけで撤退してしまった。商業施設巡りは結構足を使うのだ…。

 

 イオンモールから歩くこと1km弱、ついに甲斐市に入った。最後の市町村だ。これで本当にイベントも無くなった。長い長いホームストレートをひたすら歩く。歩道が狭いから車に気も使わないといけないし、しんどい。質感とか言って味わう余裕もない。ひたすら心を無にして歩く。そしてついに竜王駅に到着した。時間は14時ちょうど、富士川駅を出てからぴったり69時間だ。

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 駅のベンチで休憩して我に返る。まだ終わりではない、目的地は双葉SAである。双葉はガルラジ聖地徒歩の中で最弱との評判だが、どこが最弱なんだ。この後激坂じゃねえか。山の上にサービスエリア作りやがって。理不尽な怒りに襲われる。いやしかしそんなことなど言っていられない。あと20分歩くのみである。これまで歩いた距離からすれば誤差みたいなもんだ。
 やたら長かった偽ホームストレートとは打って変わって、SAまでの道は入り組んだ住宅街でややこしい。時々道を間違えながら坂を上り、丘の上を目指す。入り口がどこにあるのか分からないので一番近いところからSAに沿って歩くと、高速バス乗り場の看板が見えた。ということはここが入り口、さらに進むとぷらっとパークの文字が。14時30分、ついに到着だ。

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 実はこの写真は下りのもので、到着したのは上りなのでこの写真は不正確である。なんで上りの写真じゃないのかというと、入り口にでかでかと信玄公生誕500年コーナーがあって写真をうまく取れなかったからだ。それが以下。ちなみに、2021年11月時点でもまだ展示されている。感動のシーンで信玄公というのもアレなのでこちらを使用した。まあ許してほしい。

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 気を取り直して、ついに到着。よく歩いた。上りSAに入り、まず給茶機で水を飲む。フードコートなどひととおり一周してから下りへ向かい、中に入る前にまず展望台に上がってみる。山の向こう、雲の間から富士山が顔を出していた。実は甲府盆地の南の方は山に隠れて富士山は見えない。そんなわけなので実はちょっと久しぶりの富士山である。そしてその奥には富士川SAがあり、富士川と名前を変えて釜無川を通じて1本の道でつながっている。歩いてきたんだから、間違いない。

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 展望台を降りて、下りSAの中へ。雲海ラーメン食べるぞ!と富士山テラスに入る。意気揚々と入るが昼過ぎなので誰も客がいない。そして服装も服装なのでやたら場違い感がある。そんなことを気にしていたらやってらんないので堂々と着席してメニューを見るが、なぜか雲海ラーメンがない。ひょっとして店間違えたか*2…?仕方ないので青い富士山カレーにした。以前レトルトで食べたのと違ってちゃんと富士山やっててすごい(低レベルな感想)。

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 フードコートに戻って休憩がてら双葉1-1を聞く。何回聞いても良いもの。パネル始め関連するものが今のSA内に一切ないのだけが残念だ。状況が良くなったら、またSAでイベントをやってほしい。それまでどうにか、続いてほしい。

 

 あとは帰るだけなのだが、せめて温泉に入ってから帰りたい調べてみると、近くにゆめみの丘というのがあることが分かった。駅とは反対だが10分程度だし、名前からして景色が良さそうなので行くことにした。果たして非常に景色の良いところで、人もそれなりにいたが満足できた。みたまの丘にせよぶどうの丘にせよ、山梨の丘シリーズに外れ無し。この後、小作でほうとうを食べて竜王から中央線で帰宅し、無事終了した。

 

○総括

 まずは、無事完遂できてめでたしめでたしというところ。結局、この3日間の歩行距離は110~130km程度(アプリによってかなり差がある)で、少し当初より多いといったところだ。問題点はと言えば、野宿がやたら寒かったことくらいか。11月下旬ともなると、もう少し防寒をしっかりしたほうが良かった。

 あとは一切関係ないことであるが、1年を経て文体に若干の変化があり、怪しげな分断のようなものが生まれている。今更直す気もないのでこのまま置いておく。

 

○おわりに

 あまりに日が経ち過ぎており、ここの項目に何を書きたかったのかすっかり忘れてしまった。

 まず、実際に歩いて感じたのは富士川から双葉までの遠さである。今回の旅行記も無駄に文章量が多いが、これはその遠さをどうにかして文章に表そうという意図があってのものだ。もしここまですべて読まれた方がいるなら、その冗長さが伝わったのではないかと思っているが、どうだろう。若干悪趣味な手法ではあるが、低く押し込められた峡南の長さが伝わっただろうか。

 これまでの自分の経験やほかの人の質感旅行記を見るに、質感旅行のキーとなる要素として幻視や共感が挙げられている。質感旅行の定義は確かまだあいまいなまま取り置かれていたかと思うので、ここでもあいまいなままにしておきたい。そして、今回の旅行で富士川や双葉の面々を幻視したタイミングは全くなかった。まあ当然だろう。ちょっと足を伸ばして峡南観光をするチーム富士川の面々を想像するのは自由だが、若干厳しいものがある。本来自由な領域であるはずなのにこの厳しさがどこから来てなぜ線引きが生じるのか、またそれは質感旅行の性質とかかわるのかについては考えると面白いが、ここでは深入りは避けておこう。でも、この旅行がガルラジを感じなかったかと言えば、そんなことはなかった。

 

 実は、量感旅行という逆張りチックなタイトルはここから来ている。これまで見たガルラジ質感旅行記ではいわゆる量感、つまり広がりなどのスケールに関する感覚をも質感という単語の中に取り込んでいたように思う。自分のこれまでのガルラジ拠点旅行時もそうである。手取川海瑠が自転車で通った香林坊までの道を実際に歩くことで感じた遠いとも近いとも言えない絶妙な距離感は、本来量感の領分だろう。

 ここを出発点として、量感旅行という概念があっても良いと思った。というか、質感旅行と並ぶ概念として当然存在していてほしい。ほしいのだが、先述のように量感も質感に取り込まれている状況なので、あまり見通しは良くない。現状の質感旅行の概念から分離独立させる形で量感旅行の概念を成立させるのはあまり意味がないので、とりあえずは量感をメインにした旅行の形をひとつやってみて、何か見出してみるのが目標だ。そういうわけやってみたのが今回の拠点間徒歩である。

 今回歩いてみて、山梨と静岡東部のつながりはそれほど濃くないと感じた。特に、初日の夜歩いた区間あたりはかなり地理的な断絶を感じたところだ。まあこれは52号線のせいだろう。かと言って峡南と清水に連続性を見出せるかというと、それは無理だと思う。そういうわけで、地理的な連続性の観点で言えば、富士川と双葉より倍以上の距離がある富士川と岡崎の方が近いとすら言える。そういう方向性で思い返してみると、実は双葉と富士川の絡みはほとんどない。目の前の川を遡れば/下ればお互いを行き来できるのに、である。森がビル群になり川の流れが車の流れになった現代において、高速道路は川以上に川なのかもしれない。これが分かったことが今回最大の収穫だろうか。

 しかしやはり一方で問題と感じられた場所もあり、インターシティの徒歩はスケールとして大き過ぎる。もはや意義を根本からひっくり返すようだが、実際感じたのだから仕方ない。どう考えても車で移動したほうが時間的な距離感として適切である。徒歩は目線の高さが同じという最大のメリットがあるのだが、これが行かされるのはやはり日常の生活圏までで、それを越えてしまうとだんだんその良さが目減りしてしまう。

 いきなり拠点間から始めたのが良くなかったのかもしれない。まずは岡崎なら岡崎、富士川なら富士川で量感旅行をやってみるべきだった気がする。しかしそれで質感旅行と何か区別できる何かが得られるのか?頓挫する気しかしない。全部ひっくるめて質感でええやん、となる未来が見える。そもそも量感旅行なんてただの口実じゃないのか?もうだめだ助けてくれ。

 まあしかし、全体としての結論としては、よくわからんかったのでもう一回やってみないとなという感じだ。もっとも、そんな高尚なモチベーションの必要もないのだが…。というわけで、実は21年の年末に第2弾として四日市から御在所経由で徳光まで4か5日かけていこうとしたのだが、足が崩壊したので大垣でリタイアした。たとえ足が大丈夫でも、大雪で関ケ原にたどり着けなかった気がするが。この記録は記事にならないので、ここに供養しておく。

 

 まだ書くのかよという感もあるが、別記事にしたって絶対下書きのまま終わるので最近のガルラジについても触れておこう。

 今回の旅行は2020年の11月終わりごろ、現在は2021年の12月だ(ここで完成しなかったので今は翌3月だが)。この間にあったこととして、シャッフルとunlimitedの2回のラジオ、それとご当地お菓子コラボといったところか。シャッフルラジオはシンプルに楽しかった。ただし、厳正なるくじ引きという言葉はとりあえず置いておくとして、もう少し意外性のあるくじ引き結果だと良かったのかなという気もする。そう思ったのは今回の組み合わせで一番読めなかった穂波吉田ペアが面白かったからだ。他のペアももちろん面白かったのだが、ちょっと関係性に寄せ過ぎているきらいがあったのでその点はどうしても考えざるを得ない。結局、自分は関係性のおたくではないのだな。その後の各チームに戻る回はいつもの安心感があって、時期が多少開いたこともあってじんわりとした良さが出ていた。このunlimitedのおかげでシャッフル回の個人的な評価がさらに上がったということもある。いずれにせよ、まだまだ熱はあるのでどうにかしてリスナーが増えて続きをもっと聞きたいなというところだ。

 最近の感想はここまでにして、ちょっと未来への想いについても書いておこう。若干規模が縮小しているようにも見えるが、なんとか2022年カレンダーもこのお菓子についてくることになり、無事2022年もガルラジと言えそうである。が、内容的にも双葉など既存の枠組みからは離れつつあり、今後どうなるかというところだ。個人的な思いとしては、それは仕方のないことと思うし、これによるチームの再編も許容されて良いと思う。片や現実と同じ速さで進む世界であるという制約があり、片や中日本とドワンゴという枠組みの制約があり、彼女らはその中で生きていることになる。この制約に沿いながら我々がいつまでも玉笹三姉妹のラジオを聞きたいという要望を叶えるためには、彼女らは一生双葉から出ることが叶わない。それは現実と同じ速さで動く世界が持つことができる「自然さ」や「生っぽさ」に対して強い不整合になる。自分の危惧として、この不整合によって、ガルラジの良さが少しずつ失われてしまうのではないかというのがある。そうなるのなら、言い方が非常に悪いが我々がむしろ彼女らを諦める必要があるのかなと思う。その代わり、新たな誰かが入ればよい。つまるところガルラジという枠組みが続く限り玉笹の物語は続くので、それが希望になる。いきなり別の話題を出すとトライナリーでも最近感じていることなのだが、やはり何らかの代謝が全体の維持のために必要なのではないかと思う。現実と連動するコンテンツを長く続けた例を他に知らないが、その先を見てみたい。と言っても、これは少数派の意見な気がしているが。彼女たちの選択が開かれた未来であると嬉しい。(念のため補足しておくと、卒業を望んでいるわけではない。あくまでも、自然な形で彼女たちとガルラジの未来が続いてほしいということだ。)

 ここまであとがきに書いて気付いたことがある。自分がガルラジに最も期待していることは、創作が創作を超えることなのではないか。質感によって幻視する彼女らは、その一部が表れたものなのかもしれない。実は自分の場合、自分が創作の側に行く(VRなどを想像すると良いかもしれない)のはそれほど興味が無くて、むしろ創作を現実に持ってくることに興味がある。創作と現実の壁はわたしの認識次第であいまいになっていくわけだが、質感はその壁を薄くしてくれる。存在しないはずのものが存在する世の中だと、うれしい。

 何回にも分けて書いたせいで、なんだかよく分からんことになった。最初はもっといろいろ考えていたはずなのに、もう忘れてしまった。鉄は熱いうちに打たなければならない。とにかく完成させることが大切なので、これで終わりにする。

 

○おわりのおわりに

 次のラジオを待っている。ラジオで2022年もガルラジと言わせてくれ。

*1:密度が変わらなければ半径が大きな粒子ほど流体中を落下する際の終端速度は大きくなる。ちなみにネット上の記事などでは半径の2乗に比例と書かれているが、河川のレイノルズ数はもっと大きいので半径の1/2乗オーダーと考えるのが自然と思う。

*2:どうも下りフードコートが正解らしい、が、その後フードコートも見たが見当たらない。ひょっとしてメニューから消えた