焚き付け

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松代旅行記

 この記事は8月前半の日記の予定だったが、松代の旅行記が想定外に長くなったので独立させることにする。残りはまとめて8月の日記とする予定。

 

 18きっぷが活用できるようになったので、積極的に出かけている。手始めに(と言っても7月から使っていたが)、8月と言えばトライナリーということで松代に行ってきた。行ってきたとは言っても特に計画性のようなものがあったわけではなく、土曜日にたまたま6時台に起きたから荷物をまとめることもなく出発したという感じなのだが。

 時刻表も調べずにJRに飛び乗って一路松本へ。乗換も少ないし本当に楽だ。感覚的には(実際そうなのだが)南房総なんかよりよっぽど近い。途中、甲府で10分乗り換えの間に急いで駅前の信玄像を見て信玄餅アイスを購入した程度で、後はぼーっと過ごす。実は準備もせずに出てきたのでモバイルバッテリーの充電が全くなかった。そのことに気付いたのは小淵沢を過ぎたあたりだったが、この時すでに本体のバッテリーも残り数%しかなく、本すら持ってきていなかったのでもはや何もできなかった。晩にネカフェに泊まれないと詰む(松代の聖地がどこか分からないため)ので、宿泊予定地として屋代駅前の快活の場所を頭に叩き込んでおいた。

 松本に着く前に一度広丘で下車する。目的はLAMU松本南店である。実は関東には1店もLAMUがなく、最寄りは諏訪である。久々にあの大量消費社会の象徴のような雰囲気を味わいたかったのとやたらキャッチ―な店内ソングを聞きたかったので、前々から長野に行くときはLAMUに行こうとは決めていた。実際に行ってみたら小型店でやや消化不良に終わったのだが、それでも店内ソングは聞けたしまあ満足である。昼飯にばかでかい山賊焼き198円を買って駅で食べた。なお、この辺りでスマホは死んだ。

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小型店だったのが残念。

 とりあえず松本に向かう。予定では翌日長野を回れるだろうということで、夜まで大糸線沿線でも歩くことにした。とりあえず大町で下車する。というのも大町と小谷以外沿線の町を知らなかったからなのだが。大学6年間山をやっていたにもかかわらず、大町は初訪問である。駅でパンフレットをもらい、適当に歩く。駅を中心にこじんまりとしていてなかなか良い街並みだ。駅前の雁木とその1本裏の飲み屋街の雰囲気が良い。地方都市の昼の静かな飲み屋街は好きだ。その後、パンフレットに乗っていた小さな直売所へ。一番いいシーズンなので桃やプラムやぶどうやプルーンやりんごまでいろいろ揃っていたが、時期と値段を考えてプラムにした。よく考えたら今までプラムを生食したことが無かった気がする。

 そのまま一つ北の北大町まで歩く。途中、重文に指定されている神社があったので寄って行った。若一王子神社というところなのだが、小さな三重塔があったり鬼瓦の代わりに鬼面があしらわれていたり(信州の文化らしい) 、なかなか良い場所であった。大変に暑い日だったので、神社の社叢は涼しくて良い。

 駅に向かうと、ちょうど踏切を渡ろうかというところで電車が去っていくのが見えた。無念。一応は次の北行き列車で小谷まで行こうかとおぼろげに考えていたのだが、次の電車は1時間半後。これ以上時間を潰すあてもなかったので、このまま北に歩いてそのまま木崎湖、青木湖まで行くことにする。多分涼しくて快適だろうし。

 松本から糸魚川に抜ける街道は通称「塩の道」と呼ばれている。この旧道のルートが地図に載っていたので、できるだけこれに沿って進むことにした。とは言ってもこの道は国道とは別の道な上に特に案内もないので、合っているのかもあまりよく分からない。が、歩いていると結構立派な家が道沿いにあるのでなんとなくここで合っているのだろうという気はする。もうひとつ気付いたのが交差点に高確率で大黒天の像(地蔵みたいなの)が設置されていて、これが見つかるようであれば恐らく合っているという感覚もあった。なんだかRPGでもやっているみたいだ。

 そんなこんなで歩いているうちに、いつの間にか木崎湖畔に着いていた。ちょうど入り口のところに神社があり、解説によるとこの場所は湖に突き出た半島で城として使われていたらしい。いわゆる天然の要害というやつだ。ここから湖畔の道に降りようとしたところ、横がキャンプ場で立ち入り禁止となっており通れなかった。水際を占拠するな。

 戻ってキャンプ場を迂回して、湖畔の道へ。ちょうどキャンプ場の目の前を通りかかった際に、6人くらいの団体客が大自然がどうのこうのと言っておりつい笑ってしまった。湖畔の道は圧倒的に涼しく快適だ。数百メートルごとにルアーをキャストしている人がいたが、特に釣れていそうな人はいなかった。というかみんな沖に向かって投げていたのだが、それでいいんだろうか?普通はストラクチャー周りを狙うもんじゃないのか?

 反対側まで回って海ノ口駅へ。駅に出るのに線路を渡る必要があるのだが、タイミングが悪く1時間に1回くらいしか鳴らないであろう踏切が鳴り出した。頼むから反対方向であってくれと祈ったが無情にも来たのは松本方面、また目の前で行ってしまった。駅に行って次の電車を確認すると1時間半後だった。

 海の口は湖に面したきれいな駅で、駅舎も新しくていいところだ。おねがいティーチャーおよびシスターの聖地になっているらしく、駅ノートがそれ一色だった(それぞれおねティ、おねシスと略すことをここで知った)。意外と海外からの書き込み、特にタイ語朝鮮語も多かったというか、むしろ日本語と半々くらいで驚いた。ぱらぱらとめくっていると、この付近のYショップがノートの管理をやっているらしいという情報を得たのでそこに行くついでに隣の稲尾まで南下することにした。

 歩道のない道を歩くこと10分弱、Yショップはなんか店前でバーベキュー的なのをやっており物騒な感じだったのでさっさと退散する。ちらっと店内を見たが、おねシスグッズが日焼けして真っ白になっており非常に味があった。ここからもう少し歩いて稲尾の駅に到着。

 海ノ口とは打って変わって稲尾はJR北海道かと思うようなぼろい駅だった。細いホームにボロボロの待合室。目の前の湖がなんともそれっぽい。待合室が完全に温室状態だった上に窓の立て付けも悪くどうしようもなかったので、駅ノートをちらっと見て退散した。信濃木崎へ向かうことにする。

 実は湖岸に道がついていることが発覚したので、湖岸に出ることにした。釣り師が付近の田んぼで立ちションしているところを見て気分が悪い。もう少し隠れるという意思を見せろ。木崎湖にもともと罪はないが、どうしようもない場所だなという思いが一層強まった。所詮はまやかしのネイチャーか。湖を抜けたところが微妙に生活感ある場所になっているのだが、物寂しい雰囲気がありなかなか良かった。しょぼいが水草がきれいな川があったのだが、ストリートビューを見ても見当たらない。あれはどこだったのだろう?

 ほどなくして信濃木崎に着く。結局、不本意ながら大町から海ノ口まで全駅歩くことになってしまった。ここまで戻ればいろいろあるだろうと期待していたのだが、思ったほど都会ではなかった。付近には何もなく、駅前の商店も閉まっていたので諦めて20分ほど椅子で寝た。日も暮れつつあるころにようやく電車が来る。

 大町で一旦乗り換えて松本へ。乗り継ぎの都合で晩飯を食う時間もなく快速の長野行きに乗り込んだ。ここからは朝に覚えておいた屋代の快活を目指すだけだ。

 稲荷山で下車する。本当は距離が延びるものの姨捨で降りて景色を堪能しながら歩こうと思っていたのだが、快速のためあいにく通過であった。ここからは標高の低い方にどんどん降りて行って川を渡ればあとは青看板頼りでどうにかなるだろう。地図無しで目的地を目指すのは久々で、準備を整えて少しテンションが上がっていた矢先にそいつは現れた。

 駅前から歩くこと50m、稲荷山入口交差点の角にひときわ目立つぎらぎらした明かりと「台湾料理」の文字。まさに渡りに船だった。一瞬のためらいもなく扉をくぐる。見知った店内の模様に見知ったメニュー構成。いつものやつである。足元にコンセントのある座席を探して座り、注文と同時にコンセントを使って大丈夫か尋ねる。答えは当然OKで、これによって地図無しで快活にたどり着くチャレンジは完全に終了した。twitterを遡り終わったころに台湾ラーメンとのセットが到着。今回は地味に豚骨台湾ラーメンにしているが、まさに実家のような安心感。

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いつもの。

 食べ終えてからもしばらくスマホを充電してから店を出る。スマホが復活したおかげでここからはもう消化試合だ。意外と千曲川に架かる橋が少なかったので、無かったら結構苦労したことだろう。川を渡り、久々の明るいロードサイドを歩いて22時半ごろ快活に到着。久々の快活で楽しみにしていたのだが、思ったほどアイスがおいしく感じられず非常に悲しい気持ちになった。普段top valueとはいえアイスクリーム(区分としての)ばかり食べていたからだろうか…。明日行く場所を少し整理して寝た。

 

 翌朝。6時に起きて無料朝食のパンを焼こうとしたら前にいた初老のおっさんがトースター(2枚焼ける×2基)全部でパンを焼き始め、4枚全部持って行った。見てはいけないものを見た気がする(4枚一気に焼いたところで冷めるだけという点でも後ろに待ってる人間がいる状況で全部使うという点でも)。6時半に出発、天気は快晴だ。

 今いるのが屋代で、目的地の松代は山を挟んで向こう側の平野になる。一応の予定としては、松代をひととおり回って長野に向かい、善光寺と権堂に寄ってから関東に帰ろうというところだ。とりあえずは屋代を見て回ろうということで、屋代駅に行く。この辺りは火の見櫓がいっぱいあり、防災行政無線がセットになっているやつなどもあり良い。駅はちょうど電車が出るところだった。パンフレットを拾って撤収する。

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かっこいい

 パンフレットを見ると、ちょうど駅の裏に城跡と古墳があるらしいので、そこに向かうことにする。もっとも駅の裏とは言っても踏切が無いので大きく迂回する羽目になるのだが。道中にあった神社に茅の輪があったのでついでに寄って行った。なかなか立派な神社で掃除も行き届いている。幣がご自由にお持ちくださいだったので、ひとつもらって帰って今も家に飾ってある(プラムの果汁で染みができているが)。

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 踏切を超えたところに城跡の登り口がある。城跡なのでそこそこ登るのだが、景色はないし遺構もほとんど分からないしで微妙だった。ここからまっすぐ進むと古墳の方に行けるようになっており、戻らずに済んだのだけが評価ポイント。結構疲れたので道路に出たところにあるベンチで列をなすアリを小石で妨害しつつ休憩した。古墳は2か所ありそれぞれ将軍塚古墳と有明山古墳という。城から出てきたところはちょうどその中間で、まずは上にある有明山の方に行く。まあなんというか、こちらは土が盛られているなあという感じだ。よく見ると確かに前方後円墳ではある。残念ながらこれくらいの情報で様々なものを想像できるだけの感受性はない。一方で下の将軍塚はというと、こちらは逆にわけがわからんくらい整備されていて落差がすごい。非常に手と金のかかった施設でびっくりした。景色が非常に良いので普通に観光地としてわざわざ訪問する価値がある。降りたところにも竪穴住居などが復元されており、力の入りようがうかがえる。博物館とセットの公園として開発しているようだ。

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こちらが有明山で、

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こっちが将軍塚。

 屋代はこんなもんにして松代に向かう。目の前にあんずの里アグリパークなる場所があったが、まだ開いていなかった。田んぼを抜けて雨宮へ。この辺りはかつての北国街道沿い(確か)だからか町は古く立派だ。駅の跡のようなものがあり、いかにもかつて線路があった跡のような場所があったので付近をよく調べてみたら線路があった。長野電鉄屋代線廃線らしい(あとで知ったが駅メモ廃線として登録されている)。遺構はかなり分かりやすく、ちょうど歩く道沿いに伸びていた。橋梁やトンネル跡もしっかり残っており、そのうちサイクリングロードにでもするのだろうか。

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橋梁跡。

 松代と雨宮を隔てる尾根の最も信濃川沿いに妻女山がある。第4次川中島の戦いで上杉が陣を敷いたあの妻女山だ。上に展望台があるらしいので登ってみる。一応舗装されたつづら折りの道を登ること十数分で展望台に到着。ネームバリューとここまでの道を考えると意外と展望台はしょぼい。そして何が一番だめかというと木が邪魔で海津城が見えない。海津が見えるからここに陣を敷いたのに見えないってそりゃだめだろう。川中島方面はしっかり見えるが…。付近はやや広い平地に神社があるが、陣地を置いた場所にしては狭い印象がある。

 

 どうせならこのまま松代方面に降りてしまいたい。なんとなくそれっぽい道のようなものがあったので近くで掃除をしていた人に聞いてみると、降りたことはないが降りられるとのこと。その言葉を信じて降りてみるが、道は不明瞭だしクモの巣だらけだしでひどい目に遭った。入口から見たら異界への入り口にしか見えない草まみれの鳥居をくぐって松代側に降り立つ。

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これを人は散策路と言わない。

 松代の中心街はもっと東にある。畑を抜けて向かっていくが、ここも恐らく廃線跡だ。夏真っ盛りの日差しが暑い。長野は標高が高いし涼しそうというイメージがあるかもしれないが、実際は吹き下ろしのフェーンのため全くそんなことはない。水分が心もとなく、脱水が怖い。中心街が近づいたころからスマホに入れておいたトライナリーのMVを聞きながら歩くが、暑過ぎてそれどころではない。

 中心街に入り、まずはということで海津城を見に行く。確か2017年だったかに来ているのだが、写真もツイートも残っておらず、いつだったのかは分からない。とは言えこの場所の記憶自体はかなり鮮明に残っており、城の構造も記憶の通りだった。前回は真田宝物館に入ったが、今回は時間が無いのでパス。実はこの時点で9時くらいという予定でいたのだが、実際はもう11時になろうとしていた。パンフレットをもらい、ひととおり眺めて撤収する。

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城の横の小学校で飼っていると思われるヤギ。

 前回は車で来ており町歩きはほとんどしなかったので、いろいろと眺めながら平野の奥へと向かっていく。松代10万石というだけあって、歴史ある街だ。本当ならもう1日くらい使いたいところなのだが、生憎そういうわけにもいかない。

 象山神社を抜けて象山地下壕に向かう。ここは第2次大戦で首都機能を松代に移転しようとした際に掘られた地下道だ。入口で受付をしてヘルメットを受け取り中に入る。広さはぎりぎり2車線ない程度だろうか、縦横無尽に張り巡らされていてかなり複雑だ。掘りかけの場所も多く、隅っこに積み上げられた土砂が生々しい。見学路が一本道なのが残念だが、それでも異様な迫力を実感できる。他に人がいないのと中が涼しいのもあって、見学路の一番奥でしばらく休憩しながら雰囲気を味わったが、ここに何週間も生活するとなると間違いなく心がおかしくなりそうだ。個人的には、今まで訪れた戦跡関連の場所で最もインパクトがあったと思う。もっとも自分の捉え方が変わっただけかもしれないが。これだけの規模で当時の様子を残しているという点では戦跡としての重要度は高い。これは毎回思うのだが、この穴を掘るために誰が強制労働させられた悲惨さとかよりこのトンネルを掘って首都機能を移転しようとした狂気の方がよっぽど戦争のめちゃくちゃさが伝わると思うのだが。

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結構広い。

 外に出るとやはり暑い。遮るものがない空の下、汗だくになりながら坂道を登っていく。いかにも土石流でできた地形という感じがする。畑の隅っこに咲いているひまわりがきれいだ。天気と言い間違いなくソラノキヲクの世界観なのだが、実は神楽は松代に来ておらずこの間ずっとドームの地下だったことを考えるとちょっと思うところがある。

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青と白の絵の具を混ぜた空の下で。

 そんなことを考えながら、山の際がかなり近づいたころに気象庁松代地震観測所に到着した。こちらも同じく戦時中に掘られた防空壕で、こちらは皇居などが移転する予定だった場所だ。トライナリー世界での領火のラボはここではないかという説をどこかで見たが、この施設がCTBTに定められた核実験の監視(やっているのは気象庁ではなく気象協会だが)なんかにも使われていることなんかを考えるとさもありなんという感じである。普段は勿論入れないが、定期的に公開もされているようだ。また、ここからさらに数分上がったところには気象庁の庁舎かなにかがあり、ここから移転予定だった皇居の部屋をのぞくことができる。

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見えんか…

 続いて白鳥神社に向かう。ここはアーヤの実家になっている神社だ。観測所から下ること10分もしなかっただろうか、入口までは割とすぐだった。ちなみに入口はGooglemapには書かれていないが、地理院地図には載っているので、分からんという人は確認されるとよい。入口にあるイノシシ除けの柵を抜けて坂を上ること5分少々で社殿に到着。本格的な山登りになるとどこかで見た記憶があったので身構えていたが、それほどでもない。なお、参道の横に登山道ライクなものがあり、ショートカットだろうと思ってそちらから行ったが全くそんなことはなかった。普通に参道を歩くと良い。

 神社自体は場所の問題もあってかかなりさびれているのだが、地味に市指定文化財である(twitterに重文と書いたが、これは誤り)。惣門が閉まっているので社殿が見られないのが残念だ。作中に登場するカットはおそらく実際の写真から作成していると思われるので、できるだけ近くなるような構図を模索する。最終的にかなり近いものが撮影できたと思う。

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 アーヤはここから下るときは絶対に駆け下りているという勝手な設定が脳内にあるので、帰りは走り下りることにした。坂道なので当然ものすごいスピードが出て、ものの1分で下まで降りることができた(勢いが止められずにイノシシ除けに激突した)。かなり楽しい上に割とアーヤの気分になれると思うので、足首の関節に自信のある人はやってみて欲しい(自己責任で)。

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入口

 もう時間は13時半を回っていた。はっきり言ってスケジュールが全く間に合っていない。誰だこんな予定考えた奴は。長野駅に向かうとなるともうここで観光している余裕はほとんどないし、第一昼飯すらまだ食っていない。長野から18きっぷで帰るなら17時過ぎの電車には乗りたいことを考えると、長野もほとんど向かうだけで終わりそうだ。ここで高速バスを検索したところ、19時前に長野インターを出るバスがあることが分かった。

 電車にせよバスにせよ、いったん昼飯を求めて町に下ることにする。あまりの暑さに途中松代高校の向かいにあるデイリーヤマザキパピコを買って食った。シェアする相手はいないが。とりあえず松代駅に出て、長野行きのバスの時間を確認する。基本的には30分ないし1時間に1本あり、30分程度で着くようだ。長野で観光する時間はほぼないことが分かったので、高速バスを予約する。肝心の昼飯はもうランチの時間を過ぎており開いている店が無かった(大して探したわけではないが)ので、あきらめた。

  これで時間ができたので、再び戻って皆神山に登ることにする。白鳥神社も含めるともう今日4回目の登山なのでそろそろしんどいのだが、時間ができてしまったのだから仕方がない。途中立ち寄った古民家(おそらく旧前島家)を見ていると、管理の人が中を説明してくれて、暑いだろうとお茶まで出してもらった。せっかくの機会なのでいろいろ聞いてみる。この辺りの武家の家は皆池を持っていてそれぞれ水路でつながっているらしい。他にも松代地震の時の話や地下壕に皇族が来ようとしたものの断念した話など、いろいろ教えてもらった。しかし松代10万石というだけあって本当に立派な街だ。交通の便があまりよろしくない関係か変に観光地化されておらず人が多くないのも好感度が高い(真田丸の時は沢山来たみたいだが)。

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 ここで簡単に皆神山の解説をしておく。ここはトライナリー聖地ではない。じゃあ何かというと、界隈では有名なオカルトスポットであり、世界最古のピラミッドだのUFOの発着基地だのいろいろ言われている。いつオカルト説が出たのかは調べてもよく分からないが、おそらく群発地震よりは後のことだろう。独立しており人工っぽい見た目に加え、群発地震震源の中心がこの皆神山で原因が皆神山の地下水だと言われているという事実、地震の時に多数の発光現象が目撃された事実などから尾鰭がついたということだろうか。なお地質学的にはスコリア丘である。

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皆神山遠景。

 皆神山は車でも登れるようになっていて、毎年5月にピラミッド祭りなるものもやっているようだ。が、車道はぐねぐね曲がっていて効率が悪いので、今回は登山道から登ることにする。登山道の入り口は蛭川と藤沢川の合流点にある池のあたりにあるのだが、非常に分かりにくい。さまよいながら入口をようやく見つけたところ看板が立っており、災害のため立ち入り禁止ということらしい。が、今さら戻る気にもならないし独立峰(というか丘)で迷いようがないのでこのまま進む。問題の箇所は巻き道ができており、やはり登っている人はいるということか。ただし分かりやすくはないので基本的にはやめておくべきだが(そもそも立ち入り禁止。よってここで私が登山道を登ったという記述も当然フィクションである)。なお入口に大日堂の湧き水なるものがあるらしいがよく分からなかった。

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草まみれ(本日2度目)

 20分ほどで山頂付近の平らな場所に出て、しばらく歩くと駐車場に合流する。まあなんというか、思ったほどオカルト感はない普通の場所だ。山門や社殿も至って普通で、どこにでもあるやや歴史ある神社という印象を受ける。じゃあ何がおかしいのかというとそのへんに立っている解説看板が変なのだが、この乖離のせいでかなり後付け設定感がある。様々な看板の中から一部印象的なフレーズを以下に抽出する。

「天地カゴメ之宮は(中略)天地八百万の神々、龍神眷属、モーゼ、キリスト、ギリシヤ神話の神々に至るまで参集され・・・」

「皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法により(中略)土砂石を浮揚させ空間移動させるというダイナミックな方法でした。」

「この皆神山の盛土的山塊が(中略)ダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(半重力飛翔体)が垂直に離着陸・・・」

「この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした(旧人ネアンデルタール人系)。」

などなど・・・。面白いので全文読んでみてもらいたい(ネットに転がっている)。

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山門はいたって普通なのだが…

 ひとしきり楽しんだので下山する。もう一度同じ道を通るのも微妙なので、車道から降りて東の藤沢川に沿って戻ることにした。急坂を下っていると少し日が傾いてきて印象的な風景だ。本当は川向かいの岩沢地区なんかもぜひ歩いてみたいと思っていたのだが、時間も体力ももうなさそうだ。最後に以前も立ち寄ったことのある松代荘で入浴して行こうと思っていたのだが、残念ながら改修中で入ることができず。すぐそばにある一陽館もコロナで県外客締め出しということで、最後にして風呂難民になってしまった。どうせ高速バスは隣居ないだろうからまあいいが…。ちなみに旧前島家の管理人の方によると、一陽館は昔からある温泉で、松代荘は群発地震の時に新しく沸いた温泉だそうだ。温泉の近くには黒猫大明神なる東郷平八郎が集めていた大量の猫グッズの一部を供養する神社があった。やけにひっそりしているが、もう少しアピールしても良いんではなかろうか(当然こんなものがあるとは知らなかった)。扉は閉まっているが、小窓から中が覗けるようになっている(猫グッズは結構たくさんあった)。

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 少し時間ができてしまったので、中心街をもう少しだけ散策する。真田信之の霊屋がある長国寺を中心に、城の東の方は寺内町になっているようだ。そこらへんの寺に平気で重文クラスの建築があるのは驚くほかない。昨年の台風19号でこの辺りは浸水したようで、うっすらと水位の痕跡が見える。木造文化財が多いだけに、見た目以上に被害も大きいことだろう。

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浸水の痕跡が残る。

 バス停は長野インター降りてすぐのダイワロイヤルホテルの前にある。まだ少し時間がある(残しておいた)ので、場所だけ確認してすぐ近くにあるAコープに行った。そもそも昼すら食べていないので、少し食料を調達しておくのと他に果物が売っていないか見るためだ。行ってみると、想像以上に果物の品揃えはよく、もし売っていれば買いたいと思っていたワッサーもあり非常にうれしい。しばらく悩んだが、ワッサーと夏あかりを購入した。ちなみにワッサーは桃とネクタリンの掛け合わせでできた品種で、ネクタリンの食感に桃の味という特徴がある。

 19時半、空が本格的に暗くなったころにバスが来て、上信越道経由で新宿に帰還。家に帰ってスーパーで買った冷凍食品とワッサーを食べて、今回の旅行は終了した。

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 2回目の訪問だったが、長野市街も含め回り切れていないところも多い。次回はもう少しゆっくり回って須坂や小布施、湯田中にも足を延ばしたいところだ。次は雪が積もったころにまた来よう。