焚き付け

主に日記を書く

羊追いの百年誌

 5月の日記。この月のメインイベントはやはり連休で、今年は大隅に行った。あとはこまごま。

 

○連休

 前述の通り、今年は大隅に行った。2年前の3月にも行っているので、おそらくその時の記録も残っていると思うが、面倒なので探さない。実は4月に就職したkが大隅半島に飛ばされたので、連休の間に数人で押しかけたという顛末である。

 当然ながら、始まりは連休開始日の4月29日に遡る。その前にも参加者とか行く場所とかでいろいろあったが省略。

 

 初日。この日は時間があったので、無駄に在来線で移動した。小田原まで小田急、その後JR。昼飯は静岡の蕎麦屋で玉子丼食べた。まるしまのおにぎりは閉店したのかいつ行ってもやっていないので適当に探しているが、ここは良さげ。その後もひたすら移動し続け、夕方に京都着。途中どこかで切符を落としたのだが、正直に駅員に小田原から来たことを伝えるとめんどくさそうに通してくれた。助かる。

 

 夜中に集合し、出発。車はヴィッツ、チョクノリで借りた。連休に10日間借りれるレンタカーが全くなくて(当然)焦っていたのだが、幸運にもチョクノリで見つかった。こういうカーシェア的サービスは直前借りの短期利用がメインだろうから、数日前借りの長期利用には穴場という説がある。

 

 行きは9号から。夜明けは美保関灯台で迎えた。天気はそこまで良くもなく。というか、思ったより朝日の見にくい場所だった。もう少し東が開けていた印象があったのだが…。その後美保神社へ。2度目だったか3度目だったか、相変わらず良い街並みである。前もあった謎の等身大パネルが倒れていて悲しい気持ちになった。

 

 続いて松江へ。なぜか消えたはずのeyesが端の方だけ復活していたので立ち寄った。その後温泉津で入浴という話もあったが、スルーして西へ。次は逆側の日御碕。こちらの方が人臭くなく、かつ地形が激しいので良い。すぐ近くの日御碕神社は前は行かなかった気がするが、そこそこ良い場所だった。

 

 途中給油ついでに運転を自分に交代し、次は石見国一宮の物部神社へ。写真が無いが、割と典型的な一宮らしい神社だった記憶がある。続けて石見銀山に行こうとしたが、駐車場すら満員のレベルだったのでスルーして車窓観光のみにした。島根県民より多くの人がいたと思われる。そのまま一気に下関の手前まで運転した。昼飯はろくな店が無くて食い損ね。

 昼過ぎに下関市街に到着。とりあえず火の山公園に行った。この辺は景色が良いところが無数にあるのでどこでもいいのだが、いいところだ。微妙に遺跡などもあるし、駐車も無料だし。

 実は今回後発隊がおり、朝に出発して高速を飛ばして追いかけてきており、夕方に合流予定だった。それまで時間を潰す必要があり、とりあえずチューリップ公園に行った。が、チューリップは枯れていた。oが猫をいじめていた記憶がある。続けて少し離れて一宮の住吉神社。ここはなんか生き物がいっぱいいた。鴨とか鳩とか亀とか鯉とか。しかも餌をくれると学習しているのかやたらつけまわしてくる。意地汚いやつらめ。あとはゆめシティに行った。この店はなんと日本で唯一ゆめシティの歌が流れる店である。通常ゆめシティでもゆめタウンの曲が流れるのだが、ここだけなぜかゆめシティ仕様になっている。なぜ?

 

 なんだかんだあって、集合は九州側、門司の丘の上にある世界平和パゴダになった。完全に名前だけで決められている。5時過ぎにトンネルで渡り、日も暮れたころ現地へ。入場料200円という事前情報だったが、日が暮れて無人になっていたので普通にスルーで入れた。中は東南アジア風で味がある。しばらくして、後発組と感動の再会を果たした。

 

 とりあえず、晩飯にすることにした。これまたいろいろあったが、最終的に牧のうどんへ。実は初めてな気もするが、覚えていない。しばらく待たされた後、ごぼ天うどんを食す。ウエストの方が好き。その後博多まで出て、西友で買い出ししてから作戦会議をし、編成を組みなおした。組みなおした、というのもこの後の行動でまた別々になるためである。沢に行くかどうかなのだが、自分は行く組で行かない組とはここで分かれた。

 その後、博多の外れで微妙なスーパー銭湯に入り、なぜか西進して長崎の鷹島とかいうよく分からん島で車中泊した。当初車中泊しようとしていたのはその島にあるモンゴル村(名前だけで決めた)という場所だったのだが、夜間閉鎖されていたためその辺の浜辺になった。

 

 3日目。時間が早く結局モンゴル村は開かなかったので、そのまま撤退した。その後、適当にそのへんの展望台や棚田などを観光。天気は微妙だがいいところである。同じ多島海でも、瀬戸内とはちょっと違う。島のギリギリまで照葉樹がもこもこ茂っていて独特な雰囲気だ。あと名前だけで花と冒険の島とかいう場所に行ったが、謎にメルヘン感のある建物があった以外よく分からなかった。

 

 だいぶ戻って名護屋城へ。あまり知名度が無いが、朝鮮出兵の拠点となった城である。秀吉天下統一後の話なので、それはもう有名どころの武将がわんさか出てくる。出てくる人間のネームバリューなら関ケ原より上。だからどうということはないが。城は大規模で海を望む高台にあり、開放感がある。なかなかいいところだ。周辺には陣屋など散在しているようだが、時間が無いのでカットした。

 

 ここも早々に撤収して、朝食のため呼子へ。思ったほど朝市は大きくなかったが、場所の割には賑わっている。結局朝から開いている食堂で朝定にした。まあそれなり。その後、別の店のイートインでイカも食べたような食べなかったような。

 

 その後唐津へ。まずは虹の松原。ただのでかい松原で、どこをどう見ればいいのかよく分からなかったので適当に散歩した。まあ正直でかいのが売りなので、中に入ったところでどうにかなる話ではない。松原なので当然いいところではあるのだが。

 続いて唐津城。自分だけ入場料をケチったので天守には入っていない。その間、大道芸人がやっている猿回しを見ていた。猿回しは初めて見た気がする。当然人間基準で言えば凄いことをやっているのだが、サルにとってはそれほど大した技術ではなさそうなので、そのことを考え出すとよくわからなくなった。残った時間で市街地を散策(むしろそのために登城しなかったのだが)。あまり見れなかったが、規模相応に見どころはある町並みだった。いずれ再訪の必要がある。

 

 そろそろ戻らないといけないので、唐津を離れ、昼飯のために鳥の本店に行こうとしたが、人で溢れかえっていて話にならないので撤退した。この先5年は入れないと思う。仕方ないので適当に車を走らせているとたまたま鳥みたいな店があったので、入って昼飯にした。本当に偶然だが、この店はかつての鳥創業店で、その後なんやかんやあり分裂したらしい。メニューも鳥と同じようなものが揃っていた。味の違いは知らないが、並んでいないという一点で圧倒的に良いと思う。

 

 

 この後どこに行くか問題で揉めた気がするが、最終的に肥前一宮の與止日女神社に行った。一宮ばかり訪問している。川にこいのぼりがたくさん掲げられていた。老人に絡まれてようわからん蘊蓄を講釈された記憶があるが、詳細は何も覚えていない。昼飯以降ずっと寝ていたので周辺のことは何も調べていなかったのだが、今確認すると巨石パークとかいうのがあったり鍋島の墓があったり、それなりに周辺コンテンツもあったようである。いずれ古湯温泉などに行く際に再度訪問か。

 

 日も落ちてきたので、あとは進むだけ。まず、大牟田のラムーで行動食など補給。地味に初めてパクパクのたこ焼きを食べた。いつ行っても並んでいたので、今まで買ったことはなかったのだ。味はおおかた想像通りだが、想像通りの味が出てきただけにこれで100円は異常と言える。

 夕食は山鹿のウエスト。前にも行った記憶がある。うどん食っている奴らを尻目に自分はもつ鍋にした。それから順番は前後して夕食より前の話になるが、和水町の三加和温泉で入浴。ここは山鹿と同じような泉質だが、若干山鹿よりpHが高いらしい。大した設備ではないが、山鹿より人がおらずかつぬるいので、個人的にはこちらの方が好みではある。とは言え最初は山鹿に行った方がいいが…。

 その後走り続け、高千穂の道の駅で車中泊。…しようとしたのだが、駐車場が一杯だったので撤退を余儀なくされた。治安悪過ぎだろ。人に言えたことではないが。結局やや離れた展望台の駐車場に行って寝た。寒かった記憶がある。

 

 4日目。この日は沢。朝起きてとりあえず展望する。さすがに山深く、こんなところに観光地が形成されていること自体が相当異常である。だからこそ道の駅の駐車場もろくな台数停められないわけだが。本当は高千穂観光をしたいところだが、入渓を遅らせるわけにもいかないので華麗にスルー。

 

 沢の詳細は書かないが、今回行ったk谷はなかなか良いところであった。まあ有名どころなので、間違いはないだろうとは思っていたが。九州らしい花崗岩の沢で、天気が抜群だったこともありかなり楽しめた。難易度もそれなりで、適当に行くには若干難しい気もしたが、まあ大きな事故はなかったので良し。ヒヤリハット案件は数件あったが…。無事、初泳ぎも達成した。膝の方も全く問題が無く、いよいよ完治と言って良いのではなかろうかというところである。

 

 昼過ぎに下山後、高千穂に戻って温泉に入ろうとしたのだが、現地まで行って休館日だった。地味に高千穂まで30分はかかったので、かなり厳しい。これ以上戻る気にもなれなかったので、再び東進して延岡方面へ。結局風呂に入れたのは日も暮れたころ、門川町の温泉だった。ここはかなり普通の温泉だったが、休憩スペースが広かったので良い。自分はさっさと上がって仮眠。

 以降、10号線をひたすら南下。天下の10号線は意外とそこそこの時間までやっている飯屋が無く、宮崎市内まで走らされた。ドライブインすらないとは想定外。東九州もなかなか厳しいということか。結局、23時まで開いていた宮崎神宮のクレイトンハウスで夕食になった。こんな遅い時間の消去法的な状況で、まだクレイトンハウスが残っていたのはかなり幸いであった。当然チキン南蛮を食す。閉店間近だったため、ケーキセットを頼んでいた奴のケーキは飯より先に提供された。

 南進を続け、25時過ぎに大隅のk宅に到着。kが起きてきて、買っておいてくれていた冷蔵庫の鳥刺しを食ってから就寝した。書きながら思ったが、到着までが長過ぎる。

 

 5日目。この日は2隊に分かれて観光した。自分を含む大隅観光経験有の部隊と無の部隊である。最初は一緒に大隅広域公園のカート場に行ったが、自分は乗らなかった。1周220円で5周くらいしていたが、乗った奴らによるとステアが重く結構疲れたらしい。

 その後分裂し、自分達は内之浦へ。前回と同じ、googlemapの評価が一番低い店(そもそも酷評されるような店ではない)で昼飯を食べた。えっがね祭りがまだやっていたので、oは頼んでいた。食後港を散歩していると、漁師に声をかけられたので話す。今日の釣果はアラ1匹だったらしい。高級魚だし充分だと思ったのだが、そうでもないらしい。この辺の釣果情報も聞いてみたが、日によるだか竿を出してみないと分からんだか、要領を得ない回答だった記憶がある。

 その後内之浦の打ち上げ場へ。前回はやっていなかったので、今回無事訪問に成功した。いずれ種子島も行かねばならぬ。ここは展示が非常に古く、趣がある。この手の古い展示のある施設はどんどん消えて行っているので、早めに回っておきたいところだ。なお行ってから聞いたが実はkは数日前に来たところだったらしく、申し訳ない気持ちになった。

 

 この後志布志に行って夕マヅメに釣りでもしようかとしていたのだが、なんだかんだあって流れた。結局テイエム温泉牧場に行く。微妙にリニューアルされたらしく、個人的には前の方がぼろくて良かった。夕食はこれまた鹿屋アスリート食堂。今回はカレーにしたが、普通の唐揚げほどの攻撃力はなかった。最近ちょくちょくあすけん(アプリ)利用者を見かけるが、おそらくここに本部があることをほとんど誰も知らないまま人口に膾炙している(そして自分はアプリを使っていないのに2回も来ている)というのも不思議な気分だ。その後ニシムタで刺身を大量に買い、帰宅。かなり遅い時間に別動隊が帰ってきてから食べた。ちなみに別動隊も最初は内之浦に行っており、その後佐多岬まで行っていたようである。その後当然打つ。国士無双をあがった。地味に初めてのはず。めでたい。


 6日目。この日もまた2隊に分かれて観光。その前に内紛があり、神託を得るために打った。結局昨日と同じメンバーで行動。自分たちはこの日鹿屋ばら祭りに行った。結構いろんな種類のバラがあって色も匂いも結構違いがある。こんなことを言うとアレだがトイレの消臭剤の匂いである。知る順番が悪かった。何という不幸か。現代日本人のほとんどがこうであろう。電子謎解きスタンプラリーが開催されていて誰もやっていなかったのでやったのだが、案の定当選して数か月後にお菓子が送られてきた。係員に見せた際に難し過ぎたかと聞かれた(あまり回答者がいない理由を難しくて誰も解けないからと思ったのだろう)のだが、そんなことはなく単に宣伝不足と開催形態が微妙だったせいだと思う。鹿屋ばら園自体はいいところだ。

 

 この日はひたすら残りも鹿屋観光で、謎のSNS映え神社とか、航空基地史料館とか。航空基地史料館は人数制限と時間制限がかかっており、出た人と入れ違いで1時間弱しか見られなかった。結果半分も回りきれず、かなり不満が残る。しかしさすがの資料数であった。この日の温泉は高山温泉ドーム。なお、別動隊は桜島に行ったらしい。

 

 この日が全員揃う最後の日なので、夜は焼肉屋で打ち上げした。肝付の新村畜産というところで、4000円の食べ放題で相当レベルの高い肉が出てきた。最初コンロの故障で火が付かず時間が延長されたりオクラにマキシマムを大量にかけて食うやつが出てきたりいろいろあった。その後また戻って打つ。今度は四暗刻をあがった。これは人生で2度目の四暗刻、通算4度目の役満(九蓮、四暗刻、前日の国士、この日の四暗刻)になる。どうなってるんだ。それ以外も麻雀の調子はすこぶる良く、訳が分からんくらい勝った(いつもそうだが金は賭けていない)。

 それから、翌日帰る予定のmが肝付家で信長の野望を始めた。初見らしいが異常な速さで要領を学習し、朝には九州北部まで勢力を拡大していた。すげえ。

 

 7日目。朝に3人が離脱して帰っていった。

 この日は天気があまり良くなかったこともあり、終日休養日になった。sがmの跡を継いで肝付家の野望に勤しんでいた。国土強靭化などと称し領土拡張をせずに道路整備ばかりやっていた記憶がある。

 自分は暇だったので、適当にぶらぶらした。図書館(図書室と言った方が良いかもしれない)に行ったところ、お前が今日最初の客だと司書に言われた。なかなか厳しい現実である。この日の温泉は串良さくら温泉。夕食は東串良のかわぜんという店に行った。鯉料理の店で、丸揚げを頼んだら相当でかいのが出てきて満足。あと地味に茶碗蒸しが半額だった。

 

 8日目。天気は悪くなる一方で、このままいても仕方ないので撤収することにした。無能2代目と思われていたsだったが、いつのまにか肝付家は京まで進出していたので、これで我々も大手を振って帰洛できるわけである。

 乗る機会なんて今後ないだろうからと、根占から山川へのフェリーを使って薩摩半島へ。カンパチと思われる養殖場がたくさんあった。天気が良ければ開聞岳がきれいに見えることだろう。


 指宿周辺は実は未踏の地である。観光したいところはいくらでもあるのだが、天気が悪いので多くはスルーした。また今度行かねばならない。行ったのは薩摩一宮の枚聞神社と半島最南端の長崎鼻長崎鼻は土産物屋の無料駐車場のおじさんが傘も貸してくれて、帰るときに何か買わないといけないことになっていると言われたが、駐車場の記述にそんなことは書いていないとバトルして無事勝利した。せめて買う気が出るようなものを置いてくれ。


 そこから西進して次は枕崎。その手前でタツノオトシゴハウスというところに寄った。名前の通りの一点突破系施設だが、水槽にタツノオトシゴがいっぱいいて不思議な気持になる。いいところではある。立地が良くてそばに人工のタイドプールがあったりしたので、雨がやんできたこともありしばし散策した。

 

 枕崎では昼飯と酒造見学。当然かつおを食す。あとはこいのぼりならぬかつおのぼりを見たり。町なかからかつお節の匂いがすると聞いていたが、そんなことはなかった。天気のせいか?いずれにせよ枕崎も再訪の必要がある。

 

 このまま西海岸をドライブし、道中秋目にある鑑真記念館に寄った(名前が面白かったので)。鑑真の漂着地らしい。坊津とはそういうことか。大した展示はなく、ほぼ映像を見るだけみたいな感じだった記憶がある。sはつまらなさそうと来ずに近くの民宿兼喫茶店でコーヒーを飲んでいたのだが、その民宿は自分がかつて修学旅行で民泊したところだった。自分達も記念館見学後に行ってその話をすると、コーヒーをおごってくれた。関西の結構いろんな学校が来ているらしい。次は嫁と来いと脅されたので、おそらく再訪はないと思われる。坊津自体は時間が足りなかったこともあってまた来たいところだが…。

 

 ここから海沿いに北上し、吹上浜海浜公園で夕陽を見て吹上温泉のふくずみの湯というところで温泉に入った。吹上浜も範囲が広いので、どこがメインスポットなのかいまいち分かっていない。吹上温泉は久々に硫黄臭のある温泉だったので、満足度が高い。

 夕食はこの辺で幅を利かせる台湾チェーンの金都。あとはA-Zあくねにも寄ってひたすら北上。A-Zあくねは隼人よりちょっと大きく、高級魚を含む異常な量の魚が半額で山積みされていてかなりビビった。やはり鹿児島一の観光施設と言わざるを得ない。

 

 ここから一気に北上。熊本からは自分が運転し、途中大山ダムに寄って進撃の巨人の像を眺め、英彦山神宮の駐車場で30分ほど仮眠した。

 

 9日目。30分ほど仮眠して、出発。急遽英彦山に登ることにした。あまりに無計画だが、普通に山に登るだけなのでまあ許してほしいところである。実際、大したことはなかった。当然大文字山よりは難しいが、比叡山よりは楽といったところ。山頂の方はちょっと植生など大台ケ原っぽい。ちなみに山頂の神社は倒壊したらしく建て替え中で立ち入り禁止だった。

 朝はまだ何も開いていなかったので、下りてから少し観光。日本三大彦山だけあって全盛期は相当の数の宿坊があったようだが、今はあまり残っていないようだ。弥彦もだいぶ前に行ったので、結局雪彦山が最後に残ってしまった。地元ほど行かない。

 

 下山後は田川のあたりで温泉に入ったが、塩素が強く微妙だった。昼飯は山小屋の創業店か何かで、メニューが大型連休仕様になっていてすこぶる微妙だった。連休のせいで開いていない店も多く、仕方ない一面はある。あとは石炭記念公園を眺めてから撤退。時間が無いので今回はスルーしたが、次回は石炭博物館に行きたいところである。

 

 ここからは一気に撤収。道中、これまた周防国一宮の玉祖神社と防府天満宮だけ寄った。防府天満宮は2度目。近くに山頭火記念館があったので入ったが、結構良かった。最近ようやく自由律俳句の良さが分かってきた。というか、中高生の国語の授業で自由律俳句はレベルが高すぎると思う(というか、ちゃんと教えられるだけの技量のある教員はほとんどいないと思う)。

 夜はドライブインで食べようとしたのだが、タッチの差でラストオーダーを逃した。仕方なく近くにあった世直しのテーマパークこと山賊に行く。当然混んでいたので3か所くらいある順番待ち記入欄に全部名前を書いて、一番進みが早そうなところを残す作戦にした。結果、城みたいな建物になった。個人的には野外が良かったが…。sは全体的にかなり文句を言っていた。個人的には高いとは思うものの、まあ取り立てて言うほどではないと思っている。腹が立つ施設なのは間違いないが…。

 

 その後、何も見えない錦帯橋を歩いた以外は何もせずひたすら2号を西進し、朝7時過ぎに京都に帰還した。仮眠してから、夕方に京都を出て帰宅した。翌日から普通に仕事。やってられるか。

 

 結構濃密な連休になった。連休のスケジュールが良かっただけに、10日間もぶっ通しで旅行できたと言うのは非常にありがたい。これで大隅にもう未練はないと言えれば最高なのだが、残念ながらまだ行き足りていないところはある。九州はまだまだだ。

 あと今年もなんとか沢に行くノルマは達成できた。残念ながらこの年はこの後1回だけ行くに留まるのだが、たとえ年一でも継続できているということが重要だ。

 それから久々にワンゲルドライブをしたが、やはり時々やっておくべきだなと思う。生活はたまにぶっ壊した方が良い。いつまでやれるか分かったものではないので、やれるうちにやっておかなければならないことだ。

 

信越

 信越に行った。メインは越の方で、最大の目的は松之山温泉に行くことと、周辺を見ること。この辺りは屈指の地すべり多発地帯だったりで面白い。かつ未訪問ということで、適当に散策してきた。

 

 初日は前夜発の高速バスで長野まで移動、したらしいのだが全く記憶に残っていない。早朝に長野駅に着いて、そのまま善光寺に向かった。善光寺は御開帳の年。5時だか6時だかから開いているのでちょうどよい。天気は雨だったが、やはり普段より明らかに人出が多い。最大のコンテンツと思われる柱は数人並んでいたが、適当に触っておいた。そんなに人がいないので、もう一周して反対側も触る。そのあと内部で公開されている仏像を遠目で見たが、遠いのであんまりよく分からなかった。近くまで行けるところは人がたくさんいたのでわざわざ入場券を買って入らなかった。

 実は善光寺境内の別の寺も無料で入れ、そこも同じように秘仏を公開していたのだが、善光寺のやつとぱっと見かなり似ていたので、寄って見て行くと良いと思われる。こっちは人も対していないし、何より近くで見れる。

 

 長野はそこそこに、駅に戻って飯山線へ。在来線ホームで朝飯にそばを食べたが、ここは結構レベルが高い。あと磯五郎の七味がかなりナイスだった。

 

 一気に飯山まで移動。飯山も実は初訪問になる。というか、飯山線自体2018年8月31日以来だ。あの時は必死でデイトラを読んでいたので、今回はのんびり景色を見つつ、寝つつ移動。

 飯山は寺の町として有名らしい。初めて知った。あとモニタのiiyamaもやはり飯山らしい。駅は新幹線も止まるので大変きれいだ(在来線ホームはどこにあるのかもわからない感じだが…)。上越妙高もそうだが、そこまでやるか?という感じはある。

 適当に散歩してみると、やはりそれなりに寺は多い。と言っても、大きな寺はなくて、小さいのばかりだ。屋根の感じが実に日本海側らしい。どこも小さいながら(小さいだけに)しっかり手入れがされている。5月ということで新緑がきれいだ。

 

 一方で町の方に目を向けて見ると、寺の町だけあって仏具店がかなり多い。しかし全体的に言えば町はかなり寂れていて、ほとんど限界の感じがある。

 適当に散歩しているとなんだかんだ時間がなくなってきた。飯山城くらい見ようと思っていたのだが、昼飯を優先した。なかまちという飯山城向かいの食堂に入ったのだが、日替わりを頼んだら結構えげつない量が出てきたので、相当急いで食べた。そういえば飯山の食堂は結構盛ってくると聞いた記憶がある…。写真を見て思ったがなんでキャベツが3か所もあるんだ。脇腹を痛めながら走って北飯山駅へ。なんとか電車には間に合った。

 乗り継いで次は津南へ。途中、いつも通り野沢温泉で停止があるが、短いので何もできない。野沢温泉はまだ行ったことがない。冬に行きたいのだが…。

 津南もそうで、基本的に街は対岸の段丘の上にあるので、駅から歩く気にならない。今回は時間もあまりないので、街には向かわずまっすぐ山のほうに向かった。

 津南から松之山は距離は近いとはいえそこは信越国境(津南はもう新潟だが)、かなりの急坂が続いた。雨が降っていてかなり寒い。雨具は沢で使っているボロボロのやつで、ほとんど役に立たない。そんなわけで結構しんどかったが、車が全く通らない道でカエルがたくさん鳴いており(トノサマガエルな気がするがわからなかった)、楽しい一面もあった。

 だいぶ時間がかかって、ようやく山の上へ。天気は悪いものの見晴らしは良く、信濃川の段丘がよくわかる。しかし本当に急坂だった。

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 この先は登ったり下ったりになる。途中、大地の芸術祭の作品と思われる謎の銅像があったりした。平らなところは畑や棚田になっており、新潟らしい雰囲気だ。また、見渡すとそこら辺にぜんまいやこごみなんかが生えている。いくらでも採れるのだが、採取禁止の看板があちこちにあったのでやめておいた。結構採りに来る奴がいるらしい。

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 谷筋に差し掛かったところで道が雪に覆われた。冷やされた空気であたりは真っ白で、先も見えなかった。少し進んでみてさらに雪が深くなったのでかなり躊躇ったが、ここで引き返しても迂回方法がなさそうだったので、進むことにした。気付けば右も左も上も下も真っ白だった。幸い、道は分からなかったが傾斜はなく、まっすぐ進めば良さそうだった。慎重に進み、10分ほどで抜けた。かなり緊張を強いられたが、何か出てきそうな幻想的な光景だった。

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 どんどんと下っていき、トンネルを抜けて棚田を見ながら進んでいくと、ようやく松之山に到着。温泉の匂いを感じながら小さな旅館街を歩いて一番奥の宿へ。米屋というところだったが、なぜか今はgooglemapに載っていない。この1年で廃業したのだろうか?

 とりあえず温泉と晩飯。温泉はすごいの一言。強烈な石油臭に強い塩味、さらに湯温もかなり高いので相当体に来る。これじゃ回復しているのか疲れているのか分からん。今まで行ったことのある中でもトップクラスだと思う。晩飯は宿の向かいにあったところでかつ丼を食べた。けっこうでかく、なぜかソースととじのハイブリッドだった。何度か温泉に入り、この日は就寝。

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 翌日。温泉に入って、やや遅めに出発。温泉街の店がもう開いていたので散策していく。土産物屋に温泉むすめがいてびっくりした。少なくともゆのこれには出ていなかったはずなのだが、調べるとそれ以前からいたらしい。思い違いだろうか?この店で売っていた山菜Tシャツがかなり欲しくなったのだが、5分くらい悩んだ挙句買わなかった。今思えば買って良かった。

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 この日は谷浜に宿を取っていたので、そこまで出る必要がある。とは言ってもやることはないので、松代まで適当に歩くだけだ。

 とりあえず、大きな道に出るのはやめて温泉街をそのままどんどん奥に進む。すぐに谷が狭まり、斜面を登る急坂になる。こんなんばっかだな。昨日と同じような農村になるが、昨日と違って天気が良い。カエルや鳥の鳴き声が田んぼに響き、とてものどかだ。そして田植え。環境音を動画に収めたものがあるのだが、ここに公開する手ごろな手段が無いのでやめておく。

 途中でいちど廃集落か放棄された田んぼのようなところに迷い込んだのだが、写真を取り損ねた。場所もよく覚えていない。また、関東ナンバーのハイエースに乗った10人近いグループが山菜を乱獲していて怒りを覚えた。自分も少しくらい採らせてくれてもいいだろうと思う側だが、少なくともここは土地の人間が育てているので採取するなという看板の目の前で採るべきではないだろう(実際に栽培しているわけではないとしても)。

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 適当な場所が無く、昼飯を食べ損ねてしまった。気温もどんどん上がってきて暑い中、ようやく松代のあたりまで来た。このあたりは大地の芸術祭関連の作品がたくさんある。物によってはパスポートが無いと入れない場所とかがあるようで、何か所か門前払いされた。しかしものによっては結構楽しいものもあるが、全体的によくわからない。

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 松代から北越急行直江津へ。ゆめぞら号とかいうやつで、トンネル内で映像が流れていた。海の映像で子供向けな感じだが、画質も低いし映像のクオリティも低いしで正直微妙。改修すれば集客できそうなもんだが…。

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 直江津は歩いたことが無いのでしばらく散策した。上越らしい雁木もあり、密集度の高い古い住宅街もあり、商業施設もありでそこそこ楽しい。全体的に寂れている中で、なんとか駅を中心にコンパクト化を進めている印象だ。ホテルの中に図書館が入居していたのが面白い。

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 夕方ごろ谷浜へ。宿は駅の近くで朝夕付きで5000円もしなかったので決めたのだが、夕食も思ったより立派でびっくりした。家庭料理という感じだが、個人的には旅行先でこういうのが食べたいので歓迎するところである。宿自体はぼろかったが気にするようなものでもない。食後日の出ている間に少し散歩し、就寝。翌日は仕事をやってから帰宅した。

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 今回歩いたエリアは完全に未踏の地だったので、今回はなかなか新鮮だった。松之山温泉のインパクトがやはり強烈だが、信濃川の段丘や上越の地すべり地など、ここならではの風景がかなりある。もっと深入りできるようなところだ。新潟内陸はまだまだ未踏の場所が多い。ひとまずは復旧した只見線沿線と、山古志あたりだろうか。もちろん佐渡も残っており、世界遺産になる前に行っておきたい(タイムリミットが近い)。

 

 書いている間についに1年遅れになってしまった。いつまでたっても追いつけない。しかし遅れてもいいので普通に少しずつ時系列に書く方針で進めることにする。