焚き付け

主に日記を書く

落ち葉溜まり

 すっかり寒くなってきた。紅葉も進んできて、ようやく秋も盛りという時期だろうか。10月は涼しくなったことよりも夏が終わったことを強く感じるが、このくらいになるとようやく秋を満喫できる気分になる。

 …という出だしでこの記事の下書きは止まっていた。12月中旬にパソコンがぶっ壊れた影響でしばらく書けていなかったのだが、再開する。例によって遅れているので簡潔に。

 

 

○鹿教湯

 月の初めに1泊で群馬と長野に行ってきた。gotoで温泉に行きたいというのがあり、このご時世なのでアクセスの微妙な保養温泉にしようということで鹿教湯にした。観光温泉地が客を集めて拡大した結果人が減って困るのはどうでもいいが、その目的から一定以上の発展を拒否せざるを得ない保養温泉に人が来なくなってつぶれてしまうのは忍びない。そこを軸に行動を考えて、紅葉が始まっていそうな碓氷峠と未訪問の小諸を観光するプラン。群馬から碓氷峠越えすれば交通費も安く収まるという判断だ。

 初日、始発の次くらいで横川へ。駅のコンビニで水と食料を買おうと思っていたら、コンビニひとつなかった。そこそこ観光地だと思っていたし実際そうだったのだが、まさかコンビニすらないとは。諦めて手持ちのものだけでどうにかする。

 アプトの道を歩いて眼鏡橋に向かう。人はまばらだがいた。時間を考えれば多いほうだと思う。途中の変電所跡が見物できるくらいで、道は意外と単調だ。坂本宿を通る国道のほうが楽しいかもしれない。眼鏡橋まで行くと大量に人が現れた。おそらく車だろう。さっさと離脱。

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 眼鏡橋の下を通っているのが碓氷川で、今回はここを遡行した。関東起点(新)によると1級で厳しい巻きもないということなので、ザイルは持参せず。というかザイルを持っていないし単独で扱う技能もないので、今行けるのはこういう簡単なところでかつエスケープ容易な場所だけだ。

 橋を降りて道沿いに少し上流に上がり、適当なところから入渓する。水はそれほど冷たくなかった。沢自体は非常に単調で、そこまできれいということもない。正直歯ごたえがなさすぎるという印象だった。難易度は白滝谷や元越谷と比べても1段以上落ちるので、沢登りというよりは沢歩きという感じだ。直登箇所もなくはないが、簡単。途中鹿の大腿骨が落ちていたので振り回して遊んだが、密度といい重心といい振り回すのにちょうどよく、あまりにしっくりくるのでしばらく持ち歩いて本気で持ち帰ろうかと考えたくらいだ。太陽のしっぽ(PS1の原始人生活ゲーム、本機が誇る神ゲーのひとつ)で骨が石より文化レベルの高い武器だったのが疑問だったのだが、初めてこのことに納得できた。

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 若干詰めあがりを間違えたが、適当に復帰してかつての中山道と思われる道をたどり、旧碓氷峠に到着した。入渓以来人とは合わなかったのだが、車道に合流してみるとどこから湧いてきたんだと思うほどに大量の人でびっくりしてしまった。ここは見晴台と熊野神社があり、ちょうど紅葉の見ごろだったので観光客が殺到していたらしい、当然それほど広くない駐車場は満杯で峠に続く道は大渋滞だった。が、遡行中は微妙だった紅葉はこの辺りが最高潮だったので、人が集まるのもまあ頷ける。

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 車道は車でいっぱいなので、旧道(登山道)を伝って軽井沢に降りる。途中人はほとんどいなかったが、礼拝堂のところまで降りると峠以上の人出でまたびっくりしてしまった。軽井沢駅までの商店街(軽井沢銀座)はかなり混雑しており、これもひとえに軽井沢という土地のブランド力のなせる業だろう。正直町並みはそれなりにきれいだが、商店街としての魅力はそんなに抜きんでたものではないと感じた。それより困ったのはろくな飯屋がないことで、結局行動食になった。

 軽井沢駅に着くとちょうど電車が行ったところだった。悲しみの30分だったか1時間だったか待ち。時刻表を確認しておけばよかった。今思うとこの合間に裏のプレミアムアウトレットにでも行けばよかったのだが、特にすることもなく待合でだらだらした。観光案内所でポスターを配布していたのでもらった。家に飾ろうとしたのだが、両面テープの粘着力が弱くてすぐに落ちるため今は床に転がっている。

 

 しなの鉄道で一路小諸へ。駅を降りるとあの夏のパネルや色あせたポスターが飾ってあり、もう時代は令和だぞ、となった。じつはタイトルだけ知っていて中身は一切知らないのだが、何かの縁なので見てみてもいいかもしれない。が、ここまで長い間飾られているというのはなんとなく愛着が感じられてよい。駅の裏に城があり、ちょっとした動物園なんかもセットになっている。城は城下町よりも低いところにあるという珍しい形式で、なかなか見ていて楽しかった。あと動物園も雑にライオンを飼っていたり意外と見どころがある。

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 一通り見ると時間が無くなったので、鹿教湯行きのバスが出る大屋駅に向かう。ここでバスまでの時間を利用して晩飯を食おうという算段だったのだが、数件候補として考えていた店がすべてやってないor満員だった。仕方なくやや遠いデリシアまで走って最悪一晩くらいしのげそうな量の食品を高速で購入した。その後バスで鹿教湯へ。デリシアまで歩いたおかげでちょっとだけ安くなった。

 

 今回の宿は温泉街のはずれなのだが、温泉街に1軒だけ夜もやっていそうな店があったので、一応チャレンジということで行ってみると開いていた。無事、夕食にありつく。その後宿でチェックインし、温泉に3回くらい入って寝た。客はおそらく自分以外1組だけ。

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 翌朝。起きてすぐ風呂に入り、その後朝飯が運ばれてきた。ちょうどいい味付けでおいしかった。その後もう一度風呂に入ってからチェックアウト。これで都合5回風呂に入ったことになる。せっかく温泉宿に泊まったなら、風呂は入れるだけ入らないと損である。

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 外に出て、しばらく温泉街を散策する。基本的には保養温泉なので、そこまで温泉街は大きくない。そもそも一般的な知名度もそこまで高くないし。とはいえ温泉まんじゅうを蒸している店があったりと最低限は整っており、人出も少ないのでこれくらいがちょうどよい。すぐ横は峡谷状になっており、景色もなかなか。デジタルスタンプラリーをやっていたので、散歩がてら集めていく。全部集めて観光案内所に行ったら謎の真田グッズがもらえた。また、実は鹿教湯ではボードゲームの貸し出しをやっているほか、自主制作したオリジナルボドゲ「KAKEYU」も販売している。娯楽の少ない保養温泉という特性を残しつつ独自性をアピールする手段としては評価したいが、あまり人が集まっている様子がないのは残念である。応援も兼ねてKAKEYUを購入した。最後に残った時間で共同浴場に入ってからバスで撤収。

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 前日だけでは到底足りなかったため、もう一度小諸へ向かうのだが、その前に、大屋でバスを降りてすぐ向かわずに隣の田中駅まで歩くことにした。この間には、かつての北国街道の宿場町で重伝建の海野のまちなみがある。まだ10時台だったこともあり店があまり開いておらず、ちょっと物寂しい感じもしたが町並み自体は統一感がある。せめて民俗資料館くらいは入りたかったが…。東のはずれに白鳥神社があったのだが、松代の白鳥神社(アーヤの実家)の本家がここらしい。真田信之(真田氏は海野氏の子孫である)が松代移封に伴って分祀したものということだ。確かに立派な神社だ。また、東御の出身で史上最強の力士(この手の議論は荒れるのが常だが)の一角である雷電が現役引退の一番をとったのもここらしい。うーむ知らんかった。これを知れただけでも寄り道の甲斐がある。

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 田中駅から再び小諸へ。地域共通クーポンを適当に消費するためめちゃくちゃ雰囲気のいい古民家の蕎麦屋に入ったら、店内にこれまたあの夏のポスターがいっぱい飾ってありこれにはちょっと驚きを隠せなかった(食べたくるみそばは割と普通だった)。

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 駅から北、浅間山麓にはりんご園が数軒あるので食べたことのない品種を求めて向かう。ずっと結構な坂で疲労するが、めんどくさいなーと思いながら下から見えていた神社の急階段を上ってみると眺望が非常によく、行って良かった印象。さらにもう少し上ったところに農園はあり、1軒目(中松井農園)は北斗があるという口コミを見ていたのだが残念ながらもう終わっており、2軒目(小林農園)もあんまり多くの品種は作っていないということだった。世間話ついでに珍しいのを買いたいことを話したところ、上の大池農園はいろいろ作っているのでひょっとしたらと教えてくれたので、そちらに向かう。その言葉の通り大池農園は一番種類が多く、こうみつとシナノホッペ(もう販売は終わっていたのだが、趣旨を話したら落果していたものをくれた)を手に入れることに成功。もう1軒、松井農園というのもあったがここは観光バスを入れてかなり商業的にやっているようだった。その後お礼ついでに畑で収穫していた小林農園の方のところに戻ったのだが、これから下るならこれでも食いながら行けと高所作業車からとったばかりの王林を放り投げてくれた。なんとなく、思い出に残るいい情景だったなと思う。食べながら歩くが、非常に多汁で甘みの強い王林だった。

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 この後町に戻り、高浜虚子疎開した家のあたりや古町を散歩したりあの夏聖地を回収したりしたのち、日が暮れてからサービス定食500円と書いてあった店で晩飯を食い、高速バスで新宿に帰った。高速バスが確か2000円くらいと驚くほど安く、東信のアクセスが実はかなりいいことが明らかになった。小諸や鹿教湯はまだ積み残した場所があるし、上田や上山田など行きたい場所はまだまだたくさんある。

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富士川双葉徒歩

 これは別記事。鋭意執筆中(いま半分くらい)。

 

○日記

 実は11/10からnoteで日記をつけ始めている。今この文を書いている1月17日現在はまだ1日も欠かしていない。書こうと思った経緯は簡単で、このブログが停滞しがちになっているせいで日頃の考えとかを思い出せないという問題の解消のためである。実際、読み返してはいないが効果はあるんじゃないかと思っている。それに伴い、正式にこのブログは月1運用に変更することにする。いまだ1か月半遅れなので旅行の記録くらいしか書いていないが、追いついたら月1の感情の整理もやっておきたい。

 あまり読んでほしくはないし実際大したことは書いていないが、隠してはいないのでnoteのリンクは一応公開する。twitterもそうなのだが、公開であることにソーシャルたる意味があると思っているので。

0.09|note

 

 

 ほかにこまごまと人と会ったりちょっと出かけたりはしているのだが、遅れているのと日記がカバーしてくれていると信じてこれ以上は書かない。あえて一つ挙げるなら、シャッツキステ閉店に際してもう一度行けなかったのが心残りだ(整理券に外れてしまった)。大変よい場所だったのだが…。社会情勢の関係で閉店とかいろいろとやむなしな部分はある。様々な上流の不手際(本当にそうなのかもわからんが)を批判するのは余力のある人がやっているので、こちらはその終末を悲しむことができるような記憶を多く見つけることに勤しみたい。生活をやる。