焚き付け

主に日記を書く

椎葉旅行記

 日記内の項目でも良いかと思ったのだが、鉄を熱いうちに打っておきたいということで、独立した記事にする。一応、中程度の旅行記を独立させることで毎月の日記の負担を減らし、追いつくようにするという目論見もある。と言いながら翌年になってしまったが…。

 

 行ったのは9/23~26の4日間。なぜ宮崎かというと、火曜日にピーチの値段が一番安かったからである。行きが4990円、帰りが6990円とかだったかと思う。実は宮崎はまだ単独行動では踏んだことがなかった。あまり観光もできていないため実質本土では最後に近いフロンティアと言って良い。最初はsunqパスの南九州版でうろうろしようかと思ったが、思ったよりコロナによる運休が多かったので、フレキシブルに動くことにした。

 

○9/23

 9時過ぎに起床、12時ごろに成田に着いた。飛行機の時間は13時半で、それまで待合室で以後の行動を考える。と言っても、この日は到着したら15時半なので、そんなに動けることはない。唯一気になったのが新富町の21時時報である蓮田系の埴生の宿だった。蓮田系というのは時報音源のバリエーションの一つでTOA社の最初期の系統である。最初期ゆえにもうほぼ聞ける場所はなく、かなり貴重である。ということで、それまで市内で適当に時間を潰すことにした。

 先に翌日以降の予定を考える。調べていると、宮崎交通のバスが1日乗り放題で1800円というのをやっているらしく、これを使うことにした。せっかく路線バスを使うなら僻地に行きたい。ということで、翌日は椎葉に向かうことにした。椎葉へは日向市からバスが出ているのだが、片道2時間半の路線で、相当狭隘な場所を走行すると聞く。また、最近は快速の小型バスができたという話もあり、おそらくあと数年とせずに通常サイズの車両は走らなくなるだろうと想像できる。これは今行くしかないだろう。行ったからには宿泊したい。そうなると帰ってくるのは土曜の昼以降だ。以降のことはこれから考えれば良かろう。ということで、空港にてここまでぼんやりと決定した。

 考えているうちに時間になり、搭乗。座席は通路側だった。席は半分くらい埋まっていただろうか。横はおらず快適で、ひたすら寝る。通路側は外も見えないのでとにかく暇だ。

 15時半前に到着した。出発が遅れたのだが、定刻より少し早く到着。空港に入ると、どうも芸術祭的なのをやっているらしく、あちこち展示してあった。パンフレットを見てみるとかなり大々的なイベントらしい。土日は毎週のようにどこかでイベントが開催されている。土曜日も市内でメインのでかい祭りがあるらしい。ふと時間を見てみると、ちょうど電車の時間だった。パンフレットの件もあって早く市内に入ったほうが良いかと思い、乗車してしまうことにする。

 10分程度で宮崎駅に着いた。やはり宮崎空港の立地は魅力的だ。さて、降り立ったはいいのだが、行くところを何も決めていない。しかも、わざわざ急いで来たのに文化施設はほとんど隣の宮崎神宮などに集中している始末である。仕方ないので、とりあえず地図に保存してあったクレープ自販機に行くことにした。東口を出て5分くらいだ。横にブックオフがあったのでちらっと覗いてから買った。だいたい200円だったが、期限間近のやつが100円だったのでそれにした。中身は桃で、硬めで桃自体の甘みはそれほどだったがおいしかった。普段クレープは食べないが、クリームの関係でこれくらいがちょうど良いのだろう。100円は安い。

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 近くに公民館やら体育館やらの複合施設があり、ワクチン接種会場になっているようであった。横に科学館もあったのだが、残念ながら休業中。なぜか横に置いてあったH-Iロケットのモデルだけ見て撤収した。

 そうこうしているうちに5時前になって文化施設を見る時間も無くなったので、とりあえず駅前にあったアミュプラザに入った。ここは独特な構造をしており、上層階がピラミッドみたいになっている。で、その上層階の屋上がそれぞれ庭になっていて、これがなかなか良い。一番上は確か8階くらいだったが、四方の景色が見える。駅からでかい通りが伸びてその近くに中層建築が集中しており、典型的な地方の都道府県庁所在地の趣がある。思っていたよりも都会だ。自分の中では郊外型店舗による中心市街地の衰退と言えば徳島と宮崎だったので、徳島くらいの寂れっぷりなのかと思っていたのだが、宮崎のほうがよほど繁盛しているように見える。陸の孤島ゆえの人の吸われにくさなのだろうか。やはり旅行の最初のうちに展望はやっておくべきだ。駅前側にBE KOBEみたいなAMUのモニュメントがあったのだが、裏側から最初に見たので思い切りUMAだった。未確認生物か(最近はウマ娘か)。

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↑東側

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↑西側

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↑未確認生命体、あるいは馬

 

 アミュプラザに入っているスーパーを物色する。やはり海鮮の品ぞろえが良い。やはり今の時期は戻り鰹のようだ。あとは日南名物の伊勢海老。実は伊勢海老を食べたことがない。生きていればそのうち何かしらのコース料理で食えると思っているので積極的に食べようとは思わないのだが、ほんとうだろうか。

 中心街に向かって散歩することにする。大通りを通っても良かったのだが、最近整備したようなコミュニティ道路的な脇道があったので、そちらを通ることにした。後で気付くのだが、この道は駅とアーケード商店街を結ぶ道だった。道沿いはこじゃれた店が並んでいて、まさに改装中のところも多い。その合間合間に廃墟のような店(の跡)が入っていて、まさに頑張って再開発しようとしているところなのだろう。

 その先に続くのが先述した商店街で、まず若草通り商店街があり、橘通りを挟んで一番街と続く。若草通りも表の方は割ときれいな店が並んでいるのだが、一本裏に入るともう廃墟のような場所に歯抜けのように古い店がぽつんと営業していたりする。東南アジアの市場の裏みたいだ。そういうところははがれた屋根から日光が入ってきたり、あちこちから植物が伸び放題だったりで、明らかに人を遠ざける雰囲気だが個人的には非常に好きだ。が、早くどうにかしたほうが良い。逆に保存してしまう手もあるかもしれないが…。

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 橘通りは宮崎を代表する通りと言って良いだろう。というか、唯一知っていた通りの名前だ。が、一旦スルーして向かいの一番街へ。ここは言うなれば木屋町の匂いだ。ぴかぴかした飲み屋やらがいっぱいあり、若草通りと打って変わって金臭いタイプの商業の通りだ。住み分けがきれいになされている。脇道にそれると歓楽街になっていて、昼間なので人はまばらだ。全体的にぼろい中でやたらピカピカの無料案内所だけが違和感を出している。数人、客引きしようとしてきた人もいたが、こんな平日の昼間に通る観光客なんてほとんどいないだろう。以前夜の中洲を歩いたときにコロナの影響かかなり閉店が目立っていた印象があったので、日が暮れたらまた来ようと思っていたのだが、結局忘れてしまった。

 橘通りに戻って、PPIH(ドンキ)に買収された元ボンベルタ橘へ。橘通りと一番街の雰囲気は鹿児島の文化通りと天文館の雰囲気そっくりだ。隣の県だけある。もちろん、市電含めて鹿児島のほうが規模は大きいが。とりあえず、屋上駐車場に行ってみる。日が暮れてきれいだ。日本の街の風景だなと思う。最近読んだ風景の本で日本の雑多な風景が散々こき下ろされていたが、個人的にはこういう風景が好きだ。その本ではヨーロッパの統一された風景を最上としていたが、自分はむしろ整然としているせいで圧迫感を感じたので、意見が一致しない。まあ、もっと郊外で農地がスプロールされているような風景を想定しているのかもしれないが。その本は登別図書館のリサイクル本だったのだが、主観による決めつけが多いのと歴史的な考察が浅かったのであまり良い本だとは思わなかった。早く数年前から積まれている和辻の風土などを読んでおかなければならないと思いつつ、なかなか進まない。

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 ドンキの中については毎回商品が多過ぎて見る気をなくすので食品しか見ないのだが、やはり安い。客が多くなるのもまあ当然だろう。生鮮に関しては普通なのだが、やはり冷凍食品や輸入食品などは周囲の店とは格が違う。ドン・キホーテは本当に買い物のテーマパーク化がうまい。

 ボンベルタは通りを挟んで東西2棟ある。上層階に渡り廊下があって繋がっているのだが、病院みたいだ。病院、学校、神社問わず渡り廊下が好きなのでこういうところはすぐに行ってしまう。もう一つのドンキになっていない棟はまだまだテナントがほとんど入っていない。立地自体は良いので、これから何かは入るのだろうが。ボンベルタの名残を探していると、立ち入り禁止の置き看板が再利用されていた。

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 ボンベルタの向かいにある山形屋にも行ってみる。実は宮崎の山形屋はギフトショップ程度だと思っていたのだが、普通にデパートだった。地下の海鮮売り場に活けの伊勢海老や巨大なクエの頭があって、デパートの貫禄がある。まじまじ眺めていたら店員さんにどうですかと聞かれたが、そんな予算はないし食べるタイミングもない。素直に見てるだけだと答えて軽くあしらわれた。

 外に出ると18時過ぎ、昼を食べていないので、そろそろ何か食べることにした。地図を見るとすぐそばにおぐらの本店があることが分かったので入店。2階建てだがそこそこ混んでいた。もちろん、チキン南蛮を注文。食べてみたが、個人的にはそんなに好みではなかった。結構脂が強い上に酸味があまりないのでかなりしつこく感じてしまったのが原因と思われる。あと胸肉。よく見るチキン南蛮はとろみのある甘酢がかかっているが、この店は揚げたあと普通の甘酢に軽くくぐらせているのだろうか。まあいずれにせよ市販のよくあるやつのほうが好きだ。

 ここで、明日の宿の予約を忘れていたことを思い出す。昼間に楽天トラベルで1軒開いているのを横目にもっと安い店に電話しようと思っていたのだが、すっかり忘れていた。というわけで2件ほど電話をかけているが、どちらも今は観光客を受け入れていないということだった。そういうわけで楽天トラベルに戻ると、なんと宿が消えていた。まさかこんな直前でそれも椎葉の宿を予約するやつなんていないだろうと思っていたのだが。やらかしたなと思いつつ時間都合で消えた可能性もあると思い、念のため電話してみると、開いているとのことだった。そして料金がなぜか楽天トラベルより安い。精神に悪かったが結果的には得をした。これで、明日の昼以降の予定は確定だ。それまで何も決まっていないが…。

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↑1000円するが、量は多い

 市内で見るものがとりあえず無くなったので、時間つぶしも兼ねて橘通り沿いに宮崎神宮まで歩くことにする。でかい通りだが、特段コメントするようなものはなかった。あえて言えば、ユニクロ居抜きのセリアの横にハローマック居抜きのマツキヨがあったくらいだろうか。宮崎神宮は典型的な神宮だなという印象。もっとも、中までは入れなかったので格子の隙間から見ただけだが。社叢が広いのと参道がライトアップされているのに誰もいなくて良かった(入れないので当然)ので印象は良い。

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↑妖気が暴走

 

 宮崎神宮の駅に着いて、数分で電車が来た。適当に歩いているくせに時間管理がやたらうまくいっている。電車の本数は意外と多く、頑張っていると思う。なおICは佐土原までしか使えないので、切符を買って日向新富へ。20分くらいだっただろうか、数駅しかない割には遠い。

 21時の時報を聞くため、新富町役場に向かう。他に無線機があればそれでよかったのだが、夜で良く見えないので結局役場まで行くことになった。道中、時間がちょっと余っていたので道端のコスモスでアイスを買って食べながら歩いた。セリアロイルのムース(ぶどう味)だったが結構おいしかった。役場に着いて無線機を探すが、それっぽいものが見えない。嫌な予感がしつつ、21時を待つ。やがて、21時になって流れてはきた。が、明らかに蓮田系ではないし、埴生の宿でもない。おそらくTOA新音源のシューベルトの子守歌だった。それもなんとなく短い。シューベルトの子守歌自体は初めて聞くので良かったが、がっかり感は拭えない。デジタル化に合わせて変わってしまったのだろうか。

 ここでやることが無くなる。この日の宿もない。しばらく、役場の車止めに座って考える。タイムリミットは明日の昼に日向市だ。宮崎交通の乗り放題券を買う以上、バスに多く乗るほど得である。見たところ、都農と日向市の間には路線が無いようだ。そうなるとバスを増やすうまみもそれほどないのだが、問題として西都と言い高鍋と言い都農と言いすべてJRの駅からかなり内陸に中心街があるため、やはりバスが便利である。

 しばらく思案ののち、最終的に出した答えはこうだ。今から西都まで徒歩。

 今思うと気が狂っていたようにも合理的だったようにも見える。ポイントとしては、バスをできるだけ利用しつつ、朝の西都で多少の時間を作り、これからの暇つぶしをするという点にあった。とは言え、その徒歩が13kmもあった上に実は新富から西都に出るバスもあったのだが…。確かに明日の朝新富からスタートすると若干カツカツになるのだが、本当に13km歩いてまですることだったのだろうか…。旅行中は距離感覚がバグってすぐ徒歩をやりがちである。

 役場から延びる道をひたすら西へ西へと向かう。役場のすぐ隣にきれいな公共施設があった。交流センター的なやつだろうか。奥に公園もあったり、新富町はこのあたりの公共福祉に力を入れているのだろうか。進んでいくとだんだん坂になって、登りきると平坦地になる。さらに進むと有刺鉄線に囲まれた敷地が登場。航空自衛隊新田原基地だ。航空基地だけあって、すぐそばには展望公園もある。管制塔か何か知らないが、灯台みたいに光がぐるぐる回っている。ここから基地に沿って北側を回りこむ。なんだか遠回りをさせられている気分だが、実はそんなことはない。外周道路は周りより一段低くなっていて、なんとも飛行場らしい。

 飛行場を抜けると、牧場のにおいがした。暗闇の向こうになんとなく牛のようなシルエットと金属の照り返しが見える。基地までは車もたまに通ったが、この辺りは物音ひとつしない。堀切の下を走る東九州道を越えた時すら車一台通らなかった。ただ周期的に照らしてくる管制塔の光だけが不気味だ。

 歩いていると、新田原古墳群という看板が見えた。Googlemapで存在は確認していたが、看板になる程度には立派な場所のようである。予定では西都原の古墳まで行く予定だったのだが、せっかくなのでというのと単純に疲れたのでこちらを目的地に変更した。10分少々歩いて古墳公園に到着。この日は公園の東屋で寝た。微妙に小さく斜めに寝てぎりぎりだった記憶がある。

 

○9/24

 4時半に目覚ましで起きる。なぜか異様に足指が冷たくあまり快眠はできなかった。外を見るとまだまだ暗く、だいぶ西に来たことを感じる。せめて古墳くらい見たいので、5時まで目をつぶる。

 5時になるとだいぶ空も白んできた。横を見ると小山のようになっており、なるほど本当に古墳の横で寝ていたようである。寝袋などしまって出発。とりあえず、手近な古墳の上に乗ってみる。見渡すと、畑の合間にところどころそれっぽいものが見えた。公園のように一帯が整備されずに生活空間の中に古墳だけが保存されていて、面白い。結構珍しい風景ではないだろうか。公園前の古墳だけはご丁寧に埴輪が並べられていた。

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 一通り見たので、西都に向かって再び前進する。6時40分のバスに乗りたいので、実はそれほど時間がない。15分ほど歩くと急坂になって、一気に一ツ瀬川に向かって下る。確かに、新田原は古代の集落に適した場所だと思った。橋のところが境界になっていて、巨大な埴輪と伊東マンショ生誕地の看板が出迎えてくれる。別にいいんだが、両方アピールすると時代がおかしくて変な気分になる。さらにどうでもいいが、伊藤、千々和、原ともう一人の少年使節団員の名前が思い出せないまま今までずっともやもやしている。わたって西都市へ。

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 それほど時間もないので、一直線にバスターミナルに向かう。道中、イカした看板を見つけたので貼っておく。碌に施設も開いていない時間なので何とも言えないが、かなり寂れているなという印象はある。

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ほどなくして、バスターミナルに到着。まさしく、九州のバスセンターの風情がある。まだ出発まで15分くらいあるので、すぐ近くのパオというおそらく町で唯一のショッピングセンターを見に行った。役所もあってこのあたりが中心街なのだろうが、かなり厳しそうだ。ロードサイドに流れてしまうのだろうか。と、そんなことを考えているうちにまだ一日乗車券を買っていないことに気付く。近くのコンビニはというと、300m先だった。決して遠くはないのだが、思ったより遠くて急に焦る。結局、大急ぎで行って急いで発行して走って帰ってきて1分前だった。何とか間に合ったが朝から余裕がない。

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 高鍋駅行きのバスに乗る。自分以外の客は女子高生が5人くらい。セーラーの襟がかなり深い上にやたら肩も広く、少なくとも地元では見ない形だなと思った。ずっと前に何回かtwitterで西の方ほど襟が深いというのが流れてきた記憶があるが、そういう傾向なのだろうか。また、サンプルが5なので十分あり得る話だが、男女比0:1なのは気になる。後で分かるが彼女らはおそらく高鍋高校の学生なので、少なくとも女子高だとか男女比の明らかに偏るようなタイプの学校というわけではない。男子だと高鍋まで自転車を使う人が多いのか(結構大変そうだが)、はたまた別の理由なのか。せっかくなのでHPを調べてみたが、学生の在住範囲までは書いていなかった。調べて初めて知ったのだが伝統ある進学校らしい。校歌がやたら格調高かった。あと合服、冬服と襟がどんどん浅くなっていて、機能性も意識しているようである。西の方が襟が深いのは西の方が暑いからなのか?

 バスは最初歩いてきた道を戻り、一ツ瀬を渡る。その後ルートを外れ、県道24号沿いに進む。歩いてきた道の1本横で高速を越えたのだが、1kmくらい手前で堀切だった高速がいつの間にか高架になっていて、その下をくぐっていった。新田原が台地になっているのがよく分かる。途中、小学生の集団が親に見送られてどやどやと乗車してきた。

 高鍋町に入り、舞鶴というバス停で小学生たちは降りていった。城跡があるところで、一瞬ここで降りようかと思ったのだが瞬発力が足りなかったため失敗した。ここから市街地に入っていって、高鍋BCに到着した。降りようと準備していると、バスは普通に通過していった。完全に最後のバス停だと思ってボタンを押していなかったのだが、実はこのバス高鍋駅行きだった。これはひどい。実はターミナルで運転手が降りる人いませんかと言っていたのだが、これまた瞬発力が足りなかった。次で降りるのも恥ずかしかったので、結局その二つくらい先のバス停で降りた。

 完全に怪我の功名なのだが、BCで降り損ねたあとの道沿いにモンマートがあるのを発見した。わりかし広い範囲にあるコンビニだが、密度が低いので見つかると嬉しい。おまけにかなり大型の店舗だ。とりあえず来た道を戻って向かう。

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 モンマートは経緯からだいたいがそうなのだが、この店は明らかにもとは酒屋だ。なので、広さの割にコンビニ的な棚の面積は大きくない。お茶か何かを買った。

 そういえばこの辺りのコンビニ情報を調べていないなと思い検索してみると、愛ショップとベストマートがあることが発覚した。高鍋はマイナーコンビニパラダイスだったのか。アイショップはイケダパンの系列なので当然鹿児島メインなのだが、宮崎にも展開しているのか。百貨店も山形屋だったりと、この周辺は鹿児島の影響が強いようである。一方ベストマートは相当レアで、今まで大宰府でしか見たことが無い。確か本部も福岡だったはずだ。大宰府の店は景観の問題で看板が地味になっているので、まともな店舗は初めて見た。さらに駐車場脇の看板にはコミュニティストアの文字で上書きされており、ますますよくわからない。おそらくベストマート解散後一旦コミュニティストアになったのだろうが、その後またベストマートの看板が復活しているのが訳が分からない。ひょっとするとベストマート→コミュニティストア→ベストマート→個人商店だろうか。それぞれ朝食のパンだかおにぎりだかを買った記憶がある。

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 本当は高鍋大師に行こうと思っていたのに、一切時間が無くなった。もっと近い高鍋城に寄る時間もない。結局、また小走りでBCに戻ることになった。結局高鍋は90分くらいだったが、もう少し滞在したかった。城下町感はあまりないのだが、なんとなく西都より若干賑わいがある気がする。続いては道の駅都農行きに乗車。人はあまり乗らなかった。

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 終点の道の駅都農まで乗車。都農は専用のバスターミナルが無く、ここのロータリーで折り返すことになる。9時前なので道の駅はまだ開いていなかったのだが、開店待ちの客が数組いた。他の道の駅でもそうだが、何がそこまで駆り立てるのだろうか。福袋の取り合いになる年始のバーゲンでもあるまいし。などと書きながら、あと数分で開くので自分も待ったのだが。やはり宮崎らしく、野菜の品ぞろえが豊富だった。あとは極早生の柑橘なども出てきていた。

 道の駅から川を渡ったところに、日向国一宮の都農神社がある。実は、これを知るまでずっと鵜戸神宮が一宮だと思っていた。そう言われてみれば、確かに都農という名前は立派な感じがする。が、天孫降臨など古代史上では重要な位置を占める日向の一宮にしてはという感はある。境内もさほど広いわけでもないが、人も少なく気持ちの良いところだ。子供向けの遊び道具がいろいろ置いてあったりとけっこうエンタメ系の神社で、地域密着感がある。

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 神社を後にして、駅の方に向かう。ここも他の町と同じで、内陸にあるバスターミナルからは1キロ程度離れた海沿いにある。道中は町役場に寄った以外は特に何もない場所だなという印象だ。駅が近づくと若干住宅が増えてくるのだが、ここは都市圏で言うとむしろ宮崎市の圏内になるのだろうか。内陸と海岸沿いで町が分断されている印象があった。

 宮崎交通のバス路線は都農で分断されており、ここからさらに北に出るにはJRしかない。10分ほど待って延岡行きに乗車した。都農の北のあたりには線路と並行して効果が続いているのだが、これはリニア実験線の跡らしい。そのまま放置というわけではなく、太陽光パネルなどが設置されていたようである。

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 続いて、2駅先の美々津で降りる。駅の北の方に重伝建の町並みがあり、そこがメインの目的だ。まちなみがあるのは石並川の対岸にあり、駅からはやや離れている。そもそも駅の場所から微妙で何でここに作ったんだろう。石並川といえば中流のゴルジュが有名だ。祝子川と並んで九州本土の沢の中ではもっとも著名だろう。橋の上から眺めるが、きれいな流れだ。泳力系のゴルジュっぽいので祝子川ほど気乗りはしないが、行ってみたい場所ではある。

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 川の対岸は広い砂浜が広がっていたので、寄っていく。神武天皇船出の地的な看板があった。写真が残っておらず、あまり記憶もない。日南海岸と言えばサーフィンだが、サーファーはいなかった。

 美々津の町並みはこじんまりしていて、人もほとんどいなかった。漁村にしては道が広い印象。拡幅したのだろうか。日本海軍発祥の地的な謎の碑もあった。あとは1軒庭を公開している家があった程度。いろいろあるようで何もないという感じだ。

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 数十分観光して美々津の駅に戻り、次の電車で日向市へ。椎葉行きのバスはイオンから出るのだが、駅で待っていても仕方がないのでイオンに行くことにした。道中、天領うどんで昼飯。注文のシステムがよく分からずにちょっと戸惑った。割と塩気の強いうどんだった記憶がある。あとアイスが割と安かった。

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 イオンまで歩き、ちょっと店内を物色したのちバス停へ。が、時間になってもバスが来ない。おかしいそんなはずはと思っていたのだが、どうも時刻表が若干ややこしくてこの日は運航なしだったらしい。次のバスは2時間後(確か)。幸い椎葉に行くこと自体は可能なようだ。イオンのフードコートで暇つぶしして、近くのトライアルで暇つぶしして、ようやく経過。細島の方に行っても良かったが、もし次を逃したらという恐怖心から動けなかった。

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 ちょっと早めに出てバスを待つ。次のやつは時間通りにちゃんと来た。大型の車両だ。ラッキー。小型の新車両が導入されていると聞いていたからだ。狭隘路を進むバスはぼろいほどでかいほど良い。乗客は自分含め数人で、駅でさらに数人。その後最初の休憩地点の東郷で全員いなくなって、自分だけになった。東郷の休憩場所ははいっきという某ゲームを思い起こさせる看板のショッピングセンターだった。

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 客が全員いなくなったので、暇な運転手と世間話をする。小型車の導入で今の大型車が引退になり、もう隘路を進む風景が見られなくなると思って来たと言うと、小型車両どころか路線の廃止すらありえる、数年のうちに美郷町までになるのではないかとのこと。こういう隘路を進むバスが好きなら是非祝子川温泉行きに乗ると良いと言われたのだが、その祝子川温泉行きは年が変わって1月だったかに廃止されてしまった。隘路で対向が来るとそれは大変で、よくこんなところ走らせられるなと感心した。しかしそれでも昔と比べたら大分楽になったらしい。というのも、国道にトンネルがどんどん開通しているから。かつては4時間とかかかっていたらしい。もっとも、そのために交通量の減った旧道を地元住民が飛ばすせいで危険度は上がったらしいが…。他にもかつては日向市と美々津の間にも路線があったこと、この日は上椎葉から塚原に戻って泊まり、翌日の始発で戻ることなど、色々聞かせてもらった。

 バスは途中さらに塚原で一回休憩を挟み、上椎葉へ。塚原は諸塚村の一応中心になるのだろうが、驚くほど何もない(しかしなんとファミマがある)。半分川の上にせり出た建物で無理矢理できるようになっていて、この辺りの地形の厳しさがよく表れている。2階が仮眠施設なのだろう。

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 ここからさらにもうしばらくかかって、ようやく上椎葉へ。急に町になるのだが、しかし道は1車線でなんだか温泉街に来たみたいだ。ここまで来ると運賃表はもういっぱいに。フリーパスでただで降りるのがちょっと申し訳ない。

 

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 バスを降りてとりあえず宿に向かう。鶴富屋敷というところで、文化財の建物に併設されている宿だ。まだ日が残っているので、夕食を7時からにしてそれまで散策することにした。まずは上椎葉ダムへ。宿の裏手にある森に看板が立っていたので、それに従って進む。結構上らされて15分くらいで到着。立派なアーチダムだ。散々通った池原ダムを思い出す。横に女神像公園というのがあり、聖剣伝説3的なのをイメージしていたが全然違った。

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 堤体の上を道路が通っているのが見えたので、ここを渡って帰ることにした。が、これが失敗。地図を全く見ていなかったので気付かなかったのだが、このルートで戻るとえらく距離を損する。こんな感じ。下の国道がそれにあたる。目測10倍くらい距離が長くなっている。気付けば夕食まで時間が無くなっており、必死で走る羽目になった。もっとも、久々に身軽で走って結構気持ち良かったというのはあるが…。ずっと下りで快調に飛ばせたし。

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 なんとか時間までに宿に戻り、急いで風呂に入って夕食。どの料理もおいしかったが、漬物がやけにおいしくてびっくりした。あと米に粟か稗か黍か知らないが雑穀が混ざっていた。後は梨の品種が何なのか気になる。食感は幸水なのだが、なんとなく違う気がする。謎。

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 翌日どうしようかなと考えながら、この日は就寝。

 

○9/25

 焦らずのんびり起床。椎葉の集落は一瞬で回れるほど小さく、早起きして散歩するほどでもないからだ。朝食は魚の左にある小鉢に謎の草が入っていたのだが、これがおいしかった。一体何なのだろう?

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 チェックアウトの際、屋敷の方を見ていくと良いと開けてくれたので見に行った。間取りは土間から奥に向かって3部屋。見たことない間取りだ。川沿いの狭い土地なので、こういう形でしか建てられなかったのだろうか。広さの割に立派というか、土地を考えれば相当広いのだろう。柱や壁が煤で真っ黒になっていた。

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 屋敷の方を開けてくれると思わなかったので、散歩する時間が無くなってしまった。せめてと思って、集落の中心のバス停までは歩くことにする。が、待てどもバスが来ない。昨日の今日なので怖くなって近くにいたAコープの人にも聞いてみるが、来るはずだとのこと。結局、10分くらい遅れてきた。ひょっとして、昨日の運転手から話を聞いていて来ないからとわざわざ待ってくれていたのだろうか?都会だとまあ考えられない話だが、そういうのが十分あるような場所だ。とりあえず一安心。

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 わざわざ椎葉まで来てこのまま帰るということは当然しない。それでは何のためにこんなところまで来たのかというところだ。都市部でなく、どこかの集落に行って、次のバスまでのんびり散歩する予定だ。適当に地図を見て、バス停から歩けそうかつ山の上のところに行くことにした。

 始発の次のやつで、バスは小型だった。十分これでも大変なのだが、だいぶ楽に見える。当然客は自分のみ。降りたバス停は目的の集落の下、川の対岸にあり、非常に狭いスペースに数軒がひしめいている。郵便局が鉄骨の支柱の上に立っているのが見えるだろう。想像だが、道路の開通に伴って上の集落から降りてきたのだろう。農地が無いからだ。国道が対岸に伸びた今では、橋の向こう側でひっそりとたたずんでいる。

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 適当に散歩していると、道路脇のフェンスにヤマノイモ系の草が絡んでおり、むかごが成っているのが見えた。何種類かあるのでヤマノイモに詳しいSに聞いてみると、ヤマノイモとナガイモ、あとニガカジュウではないかとのこと。どれも食えるのだがニガカジュウは名前の通りで主に薬用らしいので、ヤマノイモっぽいのとナガイモっぽいのを採集した。下の写真、左から順に多分ニガカジュウ、多分ナガイモ、多分ヤマノイモである。ナガイモとヤマノイモは遺伝的にも近いので交雑しやすい。基本的に弦の巻き方と葉の形が見分けポイントである。

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 ひととおり散策して、いよいよ川を渡って目的の集落に向かう。橋の対岸は立派なトンネルになっているのだが、その脇から草にまみれた上に登る道が見える。地理院地図には載っていないが、googlemapには載っていた。舗装されているのでたぶん行けるだろうと思い進むことにした。大変な急勾配だ。

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 急勾配を15分程度だろうか、地理院地図で200mは上らされた。この道で問題なかったようで、農地があっておばちゃんが作業していた。向こうも気付いたので簡単に会話する。ちょうど作業が終わったところのようで、これから家に戻るというので付いていく。途中立派な栗の木があり、拾っていたので一緒に手伝った。道の真ん中に落ちているのは昨日落ちたばかりで、道の脇には回収された後のいが栗が山のように寄せられていた。

 のんびり栗を回収しながら、会話しながらおばちゃんの家までついていく。農地は集落よりさらに下にあり、少し上ると開けて集落に達する。棚田が非常に美しい。まさしく、自分が求めていた光景だ。

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 おばちゃんは今度は別の田の草取りをするという。棚田なので、何枚も分かれて大変だ。時間はたっぷりあるので、しばらく眺めてから散歩してきた。ほとんど田んぼだが、茶や柑橘も少し栽培しているようだ。その後再び戻ってまた草刈りを眺める。もうしばらくすると草刈りは終わったようで、今度は稲を収穫して「まろかす」とのこと。「丸かす」だろうか、束ねるという意味だ。田んぼの橋の方の稲を手刈りして、何束かごとに稲わらで束ねていた。小さな田んぼでも機械で収穫できるのだが、最初に入れる部分は手刈りしてやらないといけないらしい。収穫しながらいろいろ話してくれた。農業は忙しくてのんびりしている暇もないこと(数枚の棚田を一人でやるのだからそれは大変だ)、この時期は毛虫が出るから毎日草刈りが必要なこと、家の横の柿は全部カラスに食われてしまうこと、一番嫌なのはヒルで、酢水で対策していること(余談だが、沢の人間は塩水で対策することが多い、自分はしないが)など。さっき拾った栗は籠に放り込んで流水に晒していた。流水であれば何日か晒しても平気らしい。また、栗はもう終わり際で遅いものほど大きいらしい。

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 いつまでも邪魔しては悪いので、集落の間で見ていないところに行き、さらに離れたところにある小学校まで行くことにした。地図に載っていない道が沢山あるので散歩していて飽きない。何人か作業している人と話してみたが、幸い来るなという雰囲気はなかったので助かった(こういう場所なので、友好的に行けないと散策もしづらい)。集落の上の方にはため池があった。尾根筋の集落なので、かなり遠いところから引いたのだろう。

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 集落の外れに立派な銀杏の木があり、柳田も来たと言う趣旨の看板と申し訳程度の展望ゾーンがあった。そこから小学校はかなり下った川の近い場所にあり、ここだけ周囲に不釣り合いなほど広々していた。上椎葉には小学校があったが、どのくらいの範囲が校区なのだろう。失礼なことを言えば、子供いるのだろうか?

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 まだ時間がある。上の風景があまりに名残惜しいので、ここまで降りてきたことを若干後悔しながら戻ることにした。道中別の栗の木があり、見ているとやっぱり持って帰りたいなと思ったので収穫した。おばちゃんの話通り、小さい栗でほとんど落ち切っていた。

 結局またおばちゃんのところに行くと、草刈り機を研いでいるところだった。小石が当たるとすぐ切れなくなるらしい。この時草刈り機を初めてじっくり見たが、刃が裏表交互についていることをここで知った。研げていないところはヤスリが引っかかるのですぐにわかるらしい。ため池の件についても聞いてみたが、昔の人が4キロ離れたところから大変な思いをして引いたものらしく、それまでは米が作れなかったとのことだ。谷筋の様子は見ていないのでよくわからないが、この地形なので当然居住も難しいのだろう。つくづく、大変な場所である。

 刃を研いだあとはまた下の田に草刈りに行くというので、そこまでついて行ってそのまま下ることにした。別れ際、どら焼きをくれた。椎葉のもので、やはり栗が入っているらしい。また来るかもと思って用意してくれていたのなら少々申し訳ない。ついでにまだ落ちている栗をいくつかもらって帰っていいか聞くと、了承してくれたので10個ほど拾って帰った。さっき拾ったやつよりよっぽど大きく、店に出せばいい値段で売れるだろうと思う。行きに来た道を今度は快調に下る。

 まだまだ写真があるので貼っておく。

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 次のバスの時間までちょっとだけある。来る途中に川沿いに集落があるのを見つけていたので、そこに行くことにした。

 こちらの集落はさっきのところよりはだいぶ平坦なので、田んぼも広い。みんなで収穫作業をしているようだ。水平距離にしたら1kmも離れていないのに、全く違う風景だ(写真は河床がほとんど見えていないから割と高い場所に見えるかもしれないが…)。行くだけでほとんど時間が無くなったので、ちらっと見ただけで急いで戻った。

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 道路に戻り、バスを待つ。この辺りはフリー乗降なので、わざわざバス停まで行く必要はない。沢をやるとフリー乗降のバスで変なところで降ろしてくれということはよくあるので慣れてはいるが、毎度不安だ。が、そんな不安はよそに数分でバスはやってきた。また小型車だった。こんなところで急に人がいて、多分向こうもびっくりしただろう。やはり乗客は自分だけ。今回は運転手と道中にあった大規模な斜面崩壊の話をした。下の写真がそうで、2005年の台風14号によるものだ(これは美郷町)。椎葉は20年の台風10号で土石流があって死者が出たのだが、その件についても聞いてみたところ、あの時の雨で河床が5mくらい上昇して淵が埋まってしまったということだ。言われてみれば、朝に橋から眺めた写真(だいぶ上の方で上げた、2枚横並びの写真の左側)もかなり土砂で埋まっている。きれいな淵だと思っていたが、以前はもっときれいだったのだろう。

 この流れで自然の話になり、昔は雪が2,30センチ積もったものだが今は降ることすらほとんどなくなったという話をしてくれた。雪が降らなくなったという話は自分も感じていたところで、自分が小さい頃は六甲山も毎年しっかり積もっていたが最近は全然だという話をした。その流れで自分が関西出身で今は関東に住んでいることを話したのだが、運転手も自分が関東出身だと言い、学生の頃からバスの運転手になりたくてなったがやっぱり大変だしなるもんじゃないと言っていた。とんでもない。小さいころから夢を持ってそれをかなえているなんて素晴らしい。適当に生きてなんとなく社会人としてなんとなくパソコンをカタカタしている自分よりよっぽど立派ではないか。と熱弁しようとするのを抑えて、立派な仕事じゃないですか、おかげで助かっていますと返答しておいた。そうこうしているうちに他の客が乗ってきたので会話は打ち切りになった。

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 昨日ぶりの日向市へ。今回は駅で降りた。帰りの飛行機は明日なので、まだ1日ある。今思えばもう1日椎葉にいれば良かったと思わなくもないが、バスのフリーパスもあるので仕方がない。バスを最大限活用するなかで現実的に間に合いそうな案が高千穂か飫肥のどちらかだったのだが、高千穂は今度延岡や祝子川温泉と一緒に行きたいので(この時点では祝子川温泉線が廃止になることは知る由もない)、飫肥に行くことにした。次の電車まで時間を潰す。最初は何か食べようかと思っていたのだが、中途半端な時間で店が開いていなかったのであきらめた。適当に駅前のトライアル(どこからどう見ても寿屋の居抜き)を散策してちょっとだけ食べ物を買い、電車に乗り込んだ。

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 次に下りたのはまたまた日向新富。ここで降りたのはいくつか理由があるが、主にバスを使うことで電車賃を浮かせるのと時報再チャレンジである。同じ道をたどってまた役所に行き、特に期待はせずに17時の時報を待つ。予想通りというか、残念ながら音源は更新されており、ちょっとテンポの遅い新音源夕焼け小焼けだった。

 時間があるので、地図で見て気になっていたハンバーガー屋に行ってみることにした。早めの晩飯にしようという魂胆だ。が、コロナの影響で営業は昼のみになっていた。残念。非常に雰囲気ある店だったのだが…。食べる予定だった時間がさらに余ったので今度は近くのマルショクに行く。やたら古い店だなと思いながら中に入ってみると、店内はガラガラだった。なんでも老朽化のため月末で閉店するらしい。これは運がいい。店名はマルショクなのだが看板にはサンリブの文字があり、どっちなのかよくわからない。イオンモールの中にあるイオンみたいな位置づけなのだろうか。関西の人間からするとマルショクサンリブはややこしくてようわからんという印象だ。

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 時間を潰したとこでバスに乗り、一気に宮崎市内へ。JRと並走する区間だが、さすがバスが強い九州だ。乗り継ぎが必要なので、宮交シティで降りる。夕食の時間がようやくできたので、ガンジスでカレーを食べた。新潟もそうだが、カレーという食い物はさっさと出せる上大量に作るほどうまいので、こういうところで人気になるのはさもありなんという感じだ。正直めちゃくちゃうまいとまでは思わないが(結局カレーの範囲内で、期待値の上限を越えたカレーというものに出会ったことが今までない)。残った時間でイオンを散策。外観は明らかにダイエーだったが、内装はよく分からん。もっともあまり見ている時間もなかったが…。

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 飫肥行きのバスに乗車。最初は数人乗っていたが、みんな途中で降りた。日南線が8月の雨で不通になっているので他の客もいるかと思ったのだが。道路の方も通れなくなっていて大幅な迂回を強いられるのだが、その区間は当然バス停はないし信号もないので、数十分ひたすら峠を爆走していた。ちょっと面白かった。迂回のため大幅に遅れて飫肥に到着。最初は絶対に人がいないであろう飫肥の駅で寝ようと思ったが、明かりが消えそうにないのでやめた(なぜかタクシーはいたし)。結局、小村寿太郎の像がある公園のグラウンドのベンチで寝た。

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〇9/25

 自分から起きるより先に人に見つかった。痛恨の極み。自分のポリシーとして、野宿は(迷惑という意味でも防犯という意味でも)人にできるだけ見つからないようにというのがあるので、人に見つかる、それがしかも起床前というのは末代までの恥である。で、今回だが、寝ていたグラウンドに夜明け前から野球部の朝練の準備に来た部員に見つかった。最初ひょっとして間違えて学校に侵入してしまったのかとだいぶ焦ったが、そういうことはなさそうだった。単純にお互いびっくりしただけで終了。向こうもなんだ人間かという感じだったので助かった。しかしまだ真っ暗な5時とは…。

 気を取り直して、さっさと荷物をまとめて撤収。が、早々に出発することになったので真っ暗で何もやることが無い。最初は公園の入り口でだらだらしていたが、蚊がうっとうしかったので早々に脱出した。結局小村の像を見ただけで庭は何も見ていない。

 ぶらぶらしているうちに夜が明けてきたので、飫肥城に向かった。町なかの城だが、本丸に背の高い飫肥杉がたくさん生えていて気持ちの良いところだ。川沿いのちょっとした高台にある。。城自体は広くないので、すぐに回り終わる(大半の部分は学校になっている)。

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 朝の観光の辛いところとして、文化施設が開いていないというのがある。城の資料館や近くの小村記念館なんかも9時までは開かない。だいたいいつも、朝の観光の時はスルーしてしまう。結局、このあと適当に城下の重伝建を適当に散策しておしまいになった。重伝建によくある「そこだけ古いのにやたらきれい」というやつである。水路に鯉がちょこちょこいたくらいか。

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 待合所に戻ってバスで宮崎に戻る。今回は他に数人の乗客がいた。行きと同じ、バス停のない迂回路を延々爆走して、また宮崎市内へ。

 さっさと市内に戻ったのは冒頭に書いた芸術祭関連のイベントがあるだろうと踏んだからなのだが、車内でよく調べてみると、実はすべて中止になっていた。ということで、またやることが何もなくなった。どうしようかと適当に路線図を眺めていると、宝塚ニュータウンというバス停があることが分かったので、かつて宝塚にいたことがある身としてはこれは行かざるを得んだろうということで、乗り換えて向かった。大淀川の対岸の丘陵地にある。ニュータウンだけあって、何もないただの住宅街だった。あえて言うなら、一般的にニュータウンと言って想像されるマンモス団地群みたいなものではなく、大規模な分譲住宅地だったということくらいだ。

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 近くに宮崎市立図書館があったので、そのまま歩いて行ってきた。ニュータウンの近くとは不思議な立地だが、県立図書館が宮崎神宮周辺の文化施設が集積した場所にあるので、隙間を埋めるように南宮崎に置いたのだろうか。横にはホールと公園もあり、公園はかなりにぎわっていた。

 バスで戻り、続いてイオンモール宮崎に行った。イオンモール宮崎と言えば、宮崎の中心市街地の空洞化の原因としてやり玉に挙げられていたというイメージがかなり強い(記憶の中にしかないので、本当かは知らない)。正直、これまで中心街を見た感じだと、これだけの規模の商店街を生かしきれない中心市街地サイドに問題があったとしか思えないのだが。いや、むしろ町の規模に対して中心市街が大きすぎるのだろうか。話を戻してイオンだが、まず駅からのシャトルバスが混んでいてびっくりした。そして客層がかなり若い。駅前のアミュプラザなんかを見ていてだいぶ良くなったのかと思っていたが、まだ道のりは長いようである。

 で、イオンモールだが、2018年に増床されたこともあって、最近のイオンモールらしい広々した時間消費型の施設だった。写真だとそんなに車もないし人もいないが、実際のところ客はかなり多かった。量はともかく、密度の点では中心市街はまだまだ及ばない。

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 ここか近くの店で昼飯にしようとしていたのだが、どこも混んでいているかコロナの影響で休みかで、結局難民になってしまった。あまりにどうしようもないので、市街地に戻ってきっちょううどんに行った(またうどんかよと思いながら)。

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 少しだけ時間が余っていたので、旧ボンベルタにまた行って地下のドンキで買い物したりして時間を潰した。その後バスで空港へ。バスが多くどれに乗ればよいのかわかりにくい。結局、空港からやや離れた場所に停まるやつに乗って歩いて向かった。空港でも適当に時間を潰し、夕方の飛行機で成田へ。鎌ヶ谷東京チカラめしで晩飯を食い、帰宅。

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 余談だが持って帰ったむかごは米と一緒に炊いたが、一応どれも味は良かったのでニガカシュウはちゃんと除けていたと思われる。また、栗は渋皮煮にした。作業が雑で時々渋皮を破いてしまっていたのだが、渋川を破ってしまった身は炊いているうちにすぐに崩壊してボロボロになってしまった。渋皮を剥かなくていいので適当人間向けかと思っていたが、意外とそうでもないらしい。煮出した汁はいかにも染料になりそうだったので、手頃な白い布であるところのアベノマスクを分解して染めてみた。定着剤は使わなかったのだが、思ったよりよく染まった。この後もう一枚のマスクを分解して溶液の濃さを変えたり定着剤に明礬を入れたりして比較してみたのだが、写真が残っていない。一度も使わなかったアベノマスクがこんなところで活躍するとは思わなかった。 f:id:snwchkrn:20220303035009j:plain f:id:snwchkrn:20220303034833j:plain

 

 

総括。事前の計画は適当で、実際行動もかなり適当になったが、総合的に見れば今年の旅行でベストだったと思っている。まあすべて椎葉のおかげである。何度でも行きたくなるような、とても良いところだった。実際のところ、自分が行ったのは椎葉の入り口でしかない。本来ならもっと奥地、張り巡らされた山中の道を集落から集落へとつないでいたいものだ。できれば、山越えで湯前へも。椎葉や西米良などはむしろ熊本側とのつながりが強かったと聞くが、実際にそこをつないでみたい。あとは延岡と日之影、それに小林とえびのか。まだ空白地帯は多い。

 もう一点、久々のバス旅行なのが良かったと思う。車と比べると明らかに不便なのはその通りなのだが、徒歩を中心に据えたい自分にとっては自由に使える車の存在がそのまま徒歩の足かせになることがある。そういう点では公共交通は優秀だ。当然、車は車でルートを自由に選べかつ移動可能な距離が大きい、さらに宿になるというメリットがある。その時その時で選ぶしかないのだが、うまく向き合っていきたいところだ。

 旅行において現地の人と交流できる機会があるかどうかは完全に運なのだが(意図的にコミュニケーションを求めに行くことは望まないので)、やはりあると大幅に解像度が高まった感覚がある。実際、こういう交流があった旅行は記憶に残りやすい。この辺は一人旅でないとなかなか発生しないので、そこにメリットがある。まあ様々な点で難しいところではあるのだが。

 確実に言えることとして、とりあえず家から出たほうが良い。