焚き付け

主に日記を書く

金星と街灯

 8月に続き、前半の活発さに対比して非常に低調な後半となった。もはや何をしていたか思い出すこともままならない。twitterのログを見てみるも何をやっていたかイマイチ分からないが、まあいいだろう。よくあることである。

 

 この半月、部室に滞在していたことが多かったように思うので、それを軸にいくつか書いておこう。部室は10畳くらいの部屋になっていて、毎週の例会に使用される場所である。といっても自分はもう卒業した身なので例会に出ることはほとんどないのだが。いや、そもそも自分は入部届を出していないので実は入部すらしていなかった。逆幽霊部員とでも呼べばいいだろうか。まあそんなことはどうでも良い。例会にあまり本質のようなものはなく、そこで日々繰り返されることの半分は言葉遊びのようなディベートと形骸化した儀礼である(儀礼というものは往々にして形骸化するものだが)。本質でないとは言い過ぎたかもしれない。いや、それどころか議論も一つの本質なのかもしれない。まあしかしそれほど楽しいものではないというのは事実である。

 10畳くらいの居住空間がただ例会のためだけに利用される存在かというと、そんなことがあるはずがない。我らが大学から今にも絶滅せんとする頽廃とした空気がこの部室にはある。この部室が大学生としての自分を育てたといっても過言ではないだろう。自分は家から2時間かけて通学していたので、翌日早朝から動く場合や帰るのが遅くなった時などしょっちゅう部室に泊まっていた。そんなわけで、利用頻度はかなり高かったのだ。

 1,2回生の頃、部室に行けば大体誰かがおり、その多くは留年した先輩であった。自分が1回生の頃にはなぜか部員が誰一人として卒業せず、2回生の頃には1回生から8回生まで全ての学年が存在していたほどである。留年というと世間ではどうしようもないイメージがあるかもしれないが、そんなことはない。確かに、留年した人たちは皆どうしようもない一面を持っていたように思う。しかし、それらの人達に人間性や能力の問題があったかというとそんなことは全くなく、概して尊敬できる人ばかりであった。部室には文化があったのだ。

 部室の文化の中心は麻雀だった。一時的に停滞した時期こそあったが、これは今もそうである。自分が入部したころは全自動卓もあったのだが、しばらくして壊れてしまった。金品を賭けることは一切ないが、全ての戦績や役満の履歴は記録として残る。ここで麻雀を打つ全ての部員は自分を知りその生き様を選択し、その結果は記録され、記憶されていくのである。打ってない奴は黙っていろ。緑の戦場はいつも中央にあった。

 

 日記とは関係ない部分があまりに多くなった。ここからはここしばらくの出来事を述べていこう。

 

ラグビー

 ラグビーワールドカップが開幕した。普段はたまたまテレビでやっていれば見る程度だが、今大会は自国開催ということもあって報道量が多いので結構見ている。自分が4回生の頃に部室にテレビ電波の受信器を設置したので、最近はパブリックビューイングと称してスポーツの観戦会がよく開催されている。日本とロシアの開幕戦もアイルランド相手に大金星を挙げた試合も部室で見た。正しくルールを理解しているやつなんてひとりもいないが、みんなでああだこうだ言いながら楽しんでいる。ロシア戦ではなぜか観戦者の半分がロシアを応援していたりしたが、そういう逆張りの人間が多いのもうちの部の特徴である。これは自分にもあてはまる(この試合は日本を応援したが)。

 

○大鎌

 部の後輩と折半して大鎌戦役というやや重めのボドゲを買った。10000円強したので、たくさん遊んで元を取っていきたい。だいたい2時間くらいかかる作品で所要時間の割に結構シンプルなゲームなのだが、なかなか奥が深い。最初にやったときは盤面が意外と窮屈だしあまり爽快感が無いしでそれほど面白いと思わなかったが、だんだん慣れるうちに色々な戦略が取れることが分かってくると俄然楽しくなってきた。世の中が微妙な均衡と牽制で成り立っていることや、ミリタリーバランスがひとたび崩れるとあちこちで戦いが発生することなど、なかなか示唆的である。今のところ4回やってポーラニア2回(1勝)、ザクセン1回(1勝)、北方1回だが、癖の強いクリミアとラスヴィエトはまだやっていない。今のところポーラニアが楽しい。ポーラニアは固有スキルのおかげで序盤の動きは良いので、遭遇の様子を見つつ今後の方向性を決めてその後は周りを見ながらなんとか優位をキープしていく感じになる。競馬でもマラソンでもそうだが、先行逃げ切りは楽しい。

 

○訪問者

 あれはアイルランド戦の後だっただろうか、昨年卒業した先輩が部室に突然現れた。この方は自分と同じ沢ばかりやるグループのひとつ上の先輩で特に交流のあった方だが、でなんでも京都に旅行に来たということらしい。なんで今更…という気もするが、氏は3回生か4回生くらいの時に建築やら仏教やら郷土史やらにハマったので、まだまだ京都で回り切れていない部分は多いらしい。京都は鴨川と南禅寺以外だいたいが嫌い(人が多いので)な自分にとってはふーん…で終わってしまう話ではあるが、楽しみはできるだけ多くのことから得られる方が良いので羨ましいという一面もある。

 その日は結局後輩も交えて朝の4時くらいまでひたすらまとまりのない話をしていた。話題の中心はやはり沢に関することで、沢メンとは一体いかなる存在なのか、近年の沢の不振は時代の流れなのか、そんな話をしていた。そこで得られた一つの合意について、(我々を含む一定の傾向にある)沢屋は運動能力にあまり優れない内向的な人種のカウンターカルチャーのひとつだということがある。この前段階として、部で沢をやっている人間にそこまで運動を得意としている人間がいないこと、個人主義的かつ内向的、そして反抗的な人間が非常に多いこと、それらの人々が極めて閉鎖的なある種の特殊なホモソサエティを形成していることについての合意があった。この議論はまだ途上で更に深められるべき箇所が多いのだが、一定の信頼度があると見ている。割と歴史が浅いものの沢面の間で都合の良いタイミングで体よく使われる「血の絆」という謎の合言葉があるのだが、これは一体何なのかということの一端が見えた気がする。

 

 6年も在籍していると(本当は在籍していないのだが)、毎年新入生が入ってくるのを見るたびになんとなく時代の流れを感じる。おそらくこれは自分たちの世代でもそうで、上の方を見ているとこの流れは2年上くらいの世代からゆっくりと始まっているように見える。この変化がどのようなものかを言葉にするのは難しいのだが、主な点として横の繋がりの強さと所属するコミュニティの多様化が挙げられるだろうか。その中でカウンターカルチャーとしての沢登りは滅びゆく過程にあるのかもしれない。しかし、願わくば沢がごく一部の社会不適合者の拠り所となり、細々とでも続いていってほしい。 

 

 

 日記の部分はそう多くないが、関係ない部分でそれなりの文量になった。適度にネタが無くてこのような文章を書かざるを得なくなるので、半月ごとに更新ということにしておいて良かったかもしれない。他に書いておきたいことといえばほぼ隔日で聞いているガルラジとTGSのトライナリーについてだが、このどちらも別記事に書きつつあるのでここではいいだろう。

 夜が長くなってきた。