焚き付け

主に日記を書く

就活を放り出して行く西表島

 しばらく予定がないことが判明したので西表島に行ってきた。初めて行ったのは一回生の時で、去年以外は毎年行っているので今回で4度目になる。 西表島なんかに毎年行って何をやるのかいというと、やはり沢と海岸歩きである。そもそもこの時期にまともな沢登りができる場所は西表島しかないというのもあるが、やはりあの熱帯的な雰囲気は国内の他の場所で味わえるようなものではない。残念ながら今年は1週間ほどしか日程が取らなかったので、海岸だけ歩くことになった。概要的なのはこの辺りにして時系列ごとに見て行くことにする。

 

 

 ○3/19  

 乗り継ぎの都合で那覇経由で行くことになった。石垣への乗り継ぎ便は翌朝である。前日のうちに本島に住んでいる友人の通に泊めてもらえるか聞いてみたところ,なんと盲腸で入院しているとのことで、あっさりと断られてしまった。まあせっかくなので見舞いに行くことにする。

 久しぶりの那覇は曇り空で、思ったほど暖かくない。見舞い以外にやることは何も決めていなかったので、とりあえずゆいレールの24時間券を買った。これで翌日の飛行機までは適当に動くことができる。ゆいレールの24時間券は800円で、那覇空港首里の往復とあと1回乗れば元が取れるので、やることを考えていなければとりあえず買っておくとよい(やることを考えずに那覇に行く人はそんなに多くないと思うが…)。前回行った時に臨時閉館で行けなかった県立博物館でも行こうかと思ったが、カレンダーを確認すると月曜日であった。相変わらず巡り合わせが良くない。仕方ないのであてもなく終点の首里で降りて、すぐ近くのタウンプラザかねひでに行く。かねひでは僕の最も好きなローカルスーパーである。やたら安いチキンドラムとミニマルでキャッチーな店内ソングが良い。飲み物がなかったので、とりあえず霧の紅茶アップルを買う。僕はスーパーで売っているペットボトル紅茶の中では霧ティーアップルが一番好きなのだが、沖縄以外では残念ながら売られていない。 そうこうしているうちに昼過ぎになっていたので、近くの店で昼を食べた。初手はゆし豆腐。定食だったので刺身とチキンカツがついていた。量が多くかつ安いのでよい。

 食べ終わって外に出ると雨が本降りになっていた。バスで病院に向かう。病院の構造が複雑だったので,院内で迷子になった。通は元気そうで,今日退院とのことであった。実は年末に会ったのでそこまで久しぶりではないのだが,いろいろと世間話をした。自分が就活を放り出して沖縄に来たことに対してお前らしいと言われて少し嬉しい。そうこうしているうちに退院の準備が整ったらしく,一緒に病院を出たところで別れた。

 なにかすることがないかと思って地図を適当に見ていると,謎の私設博物館がある事が判明したので行ってみたが,誰もいなかったので諦めた。もう他に見る場所もないので,暇つぶしと節約のために歩いて首里まで戻ることにする。沖縄の住宅の特徴としてコンクリート建築が非常に多いというのがあり,面白い建物を探すことでせめてもの観光ということにする。途中で雨が降ってきたが今更バスに乗るのも癪なので傘を差して歩いた。しばらくして首里に復帰。 

 雨でどうしようもないので,那覇空港につい最近できた新しい場所を見に行くことにする。翌日の出発前でも良かったのだが,単純にやることがなかったのである。ゆいレール24時間券の元も取れるし。新しい場所というのは国際線ターミナルと国内線ターミナルの間の領域で,オープンしたことがあまり知られていないのか客はまばらでアイス屋の店員が必死で呼び込みをしていた。近くでは夕方のニュース的な生放送を行っていたが誰も見ていなかった。雨が止むまでしばらく座って休憩。

 何かないかとGoogle Mapを見ていたら首里城の近くに夜景スポットがあるらしいということなので,また首里まで行って見てきた。下が写真。首里のあたりは標高が高いので,空港方面が結構広く見渡せる。おもろまち周辺はやはり高い建物が多く,再開発された土地であることが分かる。なかなかよいところであった。

 その後,赤嶺のマンガ倉庫とブックオフで時間を潰してから最強食堂で夕飯を食べ,この日の行動は終わり。最強食堂でミスってCランチを頼んでしまったためまたチキンカツだった。地味に悲しい。夜はそのへんの橋の下で寝たが,夜中にかなり強いにわか雨が降ってきて怖かった。寝る時には気付いていなかったのだが5m先が道路の排水設備だったため,目を開けると眼の前が滝になっていて面白かった。その後突然正気に返って「就活もせずにこんな場所に来てしまって良いのか」という考えに支配されて自己嫌悪に陥ったが、プラカノ(日記参照)をやっていたら治った。

 

 ○3/20 6時くらいに起きた。沖縄の朝は遅い。とりあえず空港に行ってでかいザックを預けて身軽になる。やはり15キロ近い荷物が消えると楽である。フライトまでやることがなかったので適当に散歩する。とりあえず新しくなった旭橋のバスターミナルに行ってみるがあまり面白くなかった。そのまま近くなので波上宮に行き,それでも時間が余ったので牧志から桜坂周辺を散歩していたら時間ギリギリになった。最後に赤嶺のユニオンでアイスを買う予定だったのだが…。急いで空港に向かい,フライト20分前に保安検査を通過した。機材はJTAのピンクのジンベエジェットだった。これで那覇とはさようなら。

 1時間後。飛行機は新石垣空港に着陸した。2年ぶりの八重山,もはや故郷に帰ってきた気分である。新石垣空港は訪れたことのある中では個人的に最も好きな空港で,着陸前に眼下に見えるリーフが非常にきれいである。ちなみに2位は新潟空港(着陸寸前に阿賀野川を渡るところが好き)。

 ターミナルで同行者の里と,ちょうど同じタイミングで来ていた部の後輩と落ち合い,港に向かう。里は僕の同期だが博士に進学するので就活をしていない。その後島で一軒だけあるかねひでで買い出しをした。調子に乗って明らかに不要な量の行動食を買う。あとアンパンマンアイスが当たった。それから近くの釣具屋で買い出しをして,もうひとりの同行者である允氏と合流。允氏は自分より数年上の先輩で,職を辞してまで今回西表に来た,全人類が尊敬すべき人格者である。一応これで今回名前を出しておくべき登場人物は揃った。D進と無職と就活生の3人パーティー,結構迫力がある。

 後輩と別れ,高速船で西表へと向かう。西表は大原と上原という2つの船着場があるのだが,我々が専ら利用するのはより寂れている大原である。昔から使っているというのもあるが,集落唯一のスーパーである玉盛スーパーが非常に良いというのも理由である。船内では外の風景を楽しむつもりでいたが,前日野宿だったこともあり寝落ちしてしまい,気付いたらもう大原の港内だった。接岸し,船を降りる。2年ぶりの大原に帰ってきた。重いザックと両手に大量の食材を持って港の浮桟橋を歩くときに味わう郷愁はやはり特別なものがある。

 西表大原。景色は変わらないものだったが以前よりも寂れているような気がした。少し人が減った気がするが,わからない。

 宿は2年前に使ったところと同じである。以前は行きつけのところがあったのだが、残念ながらもう畳んでしまった。まあ都会なら間違いなくやっていけないようなボロいわプライバシーはないわの宿だが、それが良い。他にルールブックみたいな客が泊まっていたためやや不快だった。 荷物を置いてまずは玉盛スーパーに行く。少し棚が変化して、お土産が増えていた。だがそれ以外は何も変わらない。置いてある品もその場所も記憶の通りである。オリオンビールとゲンキクール、泡盛を買う。余談だが、僕はオリオンのビールが一番好きである。味が薄くてすっきりしている所が良い。宿に戻って早速飲む。それから一番近くの店に夕食に行ったらいつのまにかワンドリンク制の居酒屋になっておりショックだった。準備して就寝。

 

◦3/21

 起床即玉盛スーパー。なんと朝7時から開いている。入山日はいつもポーク玉子おにぎりである。その後準備して出発。

 浜の近くに勿忘石というのがある。僕は2年前にも行ったのだが、允氏は行ったことがないということで寄ることにする。以前は浜からしか行けなかったのだが、今回行ってみると道路が整備されて立派な駐車場が出来ていた。もっとも車は一台も停まっていなかったが。勿忘石は戦時中にマラリアが蔓延る西表島に強制疎開させられた人が故郷の波照間島を偲んで石に文字を刻んだものである。立派な石碑が建っているのだがそれは実はフェイクで本物は石碑の近くの地面の岩にひっそりと刻まれたものである。

 近くの浜から歩き始める。砂浜に足が沈む感覚が懐かしい。これは半経験則だが、砂浜には足が沈みやすい場所と沈みにくい場所がある。もっとも沈みにくいのは満潮線のすぐ内側である。これはおそらく漂砂が少ない(漂砂は水中落下するため緩く積もる、さらに砕波帯は巻き上げが盛ん)ことと間隙水が多いことが影響している。歩きやすいのは勿論沈まない方で、体感で3割くらい体力の消耗度が違う。道中銛でシャコを突いたほか、シャコガイを1個掘り起こした。

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有名な岩

数時間で目的地に到着。そのへんで貝をひっぺがしたりウツボとファイトして敗北したりしたあとは焚き火をしてのんびりするだけ。流木はよく燃えて良い。西表にはシロアリが朽ち木にに巣食っていることが多く、そいつらも一緒に燃やす。それから漂流物をたくさん拾ってオブジェを生成した。後輩がここに来るときまで残っていれば良いが…。夕食は麻婆豆腐茄子を作ったが、豆腐が腐りかけで酸っぱい味がした。シャコはほんのりエビの風味がするが身が無いので風味しか味わえない。割と微妙。シャコガイはうまい。 西表は星がきれいなところで、南にあるおかげで全天のほとんどの星座を見ることができる。初めて西表に来た時にはカノープスを見たことがある。この日も晴れだったので楽しみにしていたのだが、残念ながら月が明る過ぎてほとんど見えなかった。とはいえ快適に就寝。

 

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美しい海が抱えるゴミの問題に鋭く切り込んだ渾身の1作

⚪︎3/22

 8時くらいに目覚めてのんびり飯を食ってから出発。この日も行動時間は短いし楽勝…と思いきや、波が高くて通過困難な場所の巻き道が見当たらない。以前は目印があったはずなのだが…。見当たらないので仕方なく適当な場所から入って藪漕ぎしたが、やはりしんどい。わけのわからんツタやトゲトゲ植物や枯れ枝なんかが絡み合って移動を阻止してくる。邪魔な朽木を倒したらそこから軍隊アリがわんさか出てきて右腕を噛まれまくったのには流石に閉口した。あいつら払っても全然落ちん。数時間がさがさ彷徨った末遂に道のような何かを発見できたがここで時間切れ。仕方なくその道っぽい何かを下って昨日のテン場まで引き返した。舐めてかかっていたせいで昼頃には水が尽きており、帰りは喉が渇いてふらふらになっていた。テン場に戻って焚き火を復活させて就寝。晩飯が何だったかすら覚えていない。

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暑かった

 

○3/23

 また同じように起きて、同じように出発する。とはいえもはや突破方法は分かったに等しいので気楽ではある。流石にこの日は水を多めに汲んでおいた。さくっと昨日見つけた場所から突破。やはり正規ルートではなかったようだが…。その後海岸を歩いていると向こうから10人ほどの威圧的な散開集団がやってきたので、こちらは魚鱗の陣を組んでそっと近くを通過した。

この日は人間以外にもウツボやウミヘビやウモレオウギガニなど、多くの生き物と出会った。 昼頃に目的地に到着。ちょうど干潮だったのでリーフの端まで歩いて行って釣りをした。餌はその辺にひっついているカサガイを使い、15分で2匹釣れた。15分で終了したのは潮が満ちてきて生存が危ぶまれてきたためである。何度か岸を往復してやや時間を無駄にしてしまったのが悔やまれる。そいつらは煮付けにして食った。なぜか泡盛が既に無くなっていたため酒がシークヮサー泡盛だったり砂糖が黒糖だったりしたせいでかなり複雑な味になった(決して不味かったわけではなく、良い意味で使っている)。その後いつも通り焚き火。ここは西表マニアにとっては聖地的な場所なので薪が少なかった。ちなみに我々の聖地は翌日泊まる予定だった場所である。夜になって団体が来てルンゼを挟んで対岸に幕営したので、夜で何も見えないのを良いことに結構馬鹿にした。

 

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ウモレオウギガニ。食うともれなく死ぬ

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左はオジサン,右はよくわからん


 ○3/24

 1日行程が押しているので聖地に行くのは諦めて下山することにする。今まで通ったことのない道だったが、非常に明瞭かつ簡単。島の南北を分ける分水嶺には妙に味のある謎の生き物の陶器が置いてあった。特に大したこともなく船浮集落に到着、あっさり海岸歩きは終了した。よく考えたら一度も海で泳いでいないことを思い出したので、プラカノの橘美央の真似をしてぷかぷか浮かんでみたが、波浪注意報が出る程度に波が高かったためめちゃくちゃ揺れるわ顔にばしゃばしゃ水が掛かるわでなかなかハードモードだった。

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なにこいつ

 船浮集落は船でしか行けない集落として有名である(勿論我々みたいに海岸を歩けば行けるが)。というわけで帰るのに船に乗る必要があるのだが、ちょうど10分前に出たところであった。白浜は舟浮よりも都会なのでもう少し生活水準の高い時間が過ごせるだろうということで初めて海上タクシーを使ってみたが、3人ならそんなに値段が変わらない上にめちゃくちゃ飛ばすのでエンタメ性が高くて良い。ものの10分で対岸の白浜に着いた。 白浜には一軒レストランがあり、僕や允氏お気に入りの店である。別に特別うまいというわけではないが、それなりに色々食える。今回もそこに行ったが、残念ながら昼営業はもう終わったとのことで簡単に追い返されてしまった。仕方なくその辺の店で買ったアイスと行動食の残りを食べる。結局何もせず2時間ほどが経過したのだった。

 ようやくバスが来て大原に戻る。宿に戻り冷蔵庫を開けると置いておいたはずのオリオンが無い。どうやら例のルールブックに飲まれたらしい。その後晩飯から帰ってくるとルールブックがおり、やはり「ごめん飲んじまったわ」とのこと。我々が「いや別にいいですよ」と言うとあっそうみたいな感じでいたが、すかさず横にいた彼女に「いやあかんやろ買って来いや」と突っ込まれ、結局我々の元に再びオリオンが6缶返ってきたのだった(もちろん3缶だけ飲んで残りは置いておいた)。ちなみにここでルールブック氏が季節労働で働きに来ていること、夜勤なので結構給料が良いこと、これが終わったら海外旅行に行くつもりであることなどを知った。良い生き方である。

 近くの小学校では祭りをやっているようだ。玉盛スーパーで新作のゲンキクールサイダーなどなんかんや買って島の最後の夜は過ぎて行くのだった。

 

 〇3/25

 最後の朝。8時の「かっこう」の時報を聞くのも最後である。西表島時報は8時のかっこうと18時の夕焼け小焼けだったはずだが、どちらも個人的にかなり好みの時報である。というのもこの2曲とも少しアレンジされており、朝のかっこうは曲が終わった後最初の「かっこう」の部分だけがもう一回流れて終わり、午後の夕焼け小焼けも曲の終わりに謎のアウトロがくっついているのだがこれが良い。特に夕焼け小焼けなんかは色々な町で時報に採用されているがこれ以上のものを聞いたことがない。防災無線時報、いいよね…。最近うちの町でもご当地感溢れる曲が流れるようになった。

 後輩たちが朝から海岸に向かうとのことで、シュノーケルや折れた釣り竿など色々なものを押し付けに行った。彼らは沢においては成功したようである。めでたい。その後船の時間までやや余裕があったので、前から気になっていた離島振興総合センターを見に行った。ここには現在は石垣島にある竹富町役場を西表に移転しようという趣旨の横断幕がずっと張られている。見た感じ人もいないし廃墟のようだったが、今でも使われているらしい。建物内には謎の展示スペースがあり、勝手に電気を点けてみると剥製などが雑多に置かれていた。そんなこんなしているうちに時間になる。いつもと比べると非常に短い西表での滞在が終わった。帰りの船ではまた起きていることも叶わず爆睡であった。

 石垣島。とりあえずいつも利用している宿をとった。島で一人のときは大抵野宿だが,人といるときは一緒に泊まるようにしている。とはいえ泊まるのはドミトリーだが。余談だが,石垣島中心部は適地の少なさと蚊の多さから,結構野宿難易度が高い。

夕食まで時間があるので荷物を置いて各自適当に過ごすことになった。允氏は翌日が早いので土産を買いに行ったようである。僕はファーマーズマーケットにでも行こうかと思ったが,里がどうせ本屋にいるだろうと思って行ってみるとやはりいた。立ち読みしていた西表の本にうちの部の名前が挙がっているらしい。なんだか知らんが有名になったもんだ。以前見たときより西表の本がいっぱい出ていたのだが,世界遺産関係で注目度が上がったのだろうか?勘弁してくれ。結局そこで適当に本を読んでから里と一緒にファーマーズマーケットに行き,時間になった。

 允氏が森という地元向けっぽい店と森のこかげという観光客向けっぽい店が向かい合ってあるのでどちらかにしようということで行ってみると,あいにく森は休みだったので森のこかげになった。特に言うこともなく普通の観光客向けの店だったように思う。沖縄っぽいものを適当に食べた。その後宿でまた飲んで最後の夜は終わりを告げた。

 

 ○4/25

 最後の日。允氏は朝のうちに去っていった。その行動力に惜しみない賞賛を送るとともに,自分も社会に出ても攻撃力を失わないようにしたい感じた。

 起きてからチェックアウトの時間までしばらくあったので,港の近くの人工島に行ってみることにする。このあたりは中心部で唯一歩いたことがなかった場所である。ほとんど利用されていない島で,港の安定性を上げるためにとりあえず作ったのではないかと考えているが実態はよく知らない。浚渫した土砂の埋立地らしい。猫がいっぱいいるということしか知らなかったが,行ってみるとやはり猫がたくさんいるだけだった。ほとんどが捨て猫らしい。昨日ファーマーズマーケットで買った島バナナを食す。食感が若干ねっとりしている気がするが,味はやはりバナナだった。

 思えば1回生の頃からこのファーマーズマーケットで色々な果物を食べてきた。1回生の時に食べたピタンガはなんとも言えない渋みと酸味が入り混じった味で有体に言って不味かった。2回生の時に食べたフルーツパパイヤはまあ美味しかった。3回生の時にはカニステルとアテモヤを食べたがどちらも微妙だった。カニステルは意味分からん味だったしアテモヤは水臭かった。あとは毎回行くたびに試食のパイナップルを食べている。おそらく売られている果物はほぼ全部食べたと思うが,正直美味しいと思ったものはほとんどない。今回の島バナナだって,普通のバナナのほうがよっぽどたくさん食べられるし。しかしわざわざ販売されるくらいなんだからきっと当たれば美味しいのだと思っている。あれはなにかの間違いだったと思ってこれからも行くたびに適当な果物を食べるようにしたい。

 宿に戻ると里がいたので,一緒に古本屋に行く。大手でない古本屋は本を売る人が少数なせいかラインナップがかなり特徴的になる傾向があるので,あれば寄るようにしている。前に行った時に見つけた店で,そのときは沖縄の危険生物という本とアルトネリコ1の設定資料集を購入した。実はその時AT1の設定資料集か蒼天楽土のどちらを買うか悩んで結局設定資料集にしたのだが,蒼天楽土も買えばよかったと後悔していた。今回行ってみると肝心の蒼天楽土は無かったが,なぜかAT1のビジュアルブックとAT2の攻略本が増えていたのでビジュアルブックの方を買った(こちらのほうが入手が難しそうだったから)。あとは経済史とソシュール以降の言語学に関する新書とカミュの『ペスト』,それとボードレールの詩集を買った(どれも近場の古本屋で売っているのを見たことがなかったから)。なかなか良い買い物であった。もっともビジュアルブックと経済史の本しかまだ読んでいないが。その後食堂でみそ汁を食べて,里と分かれた。やはり沖縄のみそ汁は最高。

 止まっていた宿のすぐそばに劇場があり,謎の津軽の三味線弾きに関する映画をやるそうだったので沖縄で青森の映画を見るのも面白いかと思っていたのだが,戻ってくるうちに開演時間になってしまった。諦めてもう一つ目星を付けていた南嶋民俗博物館なる謎の私設博物館に行く。この博物館の存在はGooglemapを見ていて知ったのだが,繁華街のすぐ近くの民家にひっそりと佇んでいる。というか民家と見分けがつかない。

 入ってみると誰もいなかったが呼んでみると館長が出てきた。なんでもカフェを併設しようと思って作業していたらしい。物の置き場がなくて散らかってるけど勘弁してくれとのことだったが,見れば分かる。カフェなんか作ろうと思うから場所がなくなるんじゃないのか…?と思ったが黙っておいた。実際民家に所狭しと収蔵品が並べられている状態であった。祭りで使う面やら民具やら戦時中のものやら展示品は様々で,なかなか楽しめた。と,大雨が降ってきたので帰るに帰れなくなった。なので展示品が転がる居間に座って館長と話す。なんでも来てくれる人がいなくて収入が少ないのが悩みの種で,そこで岩を手に入れて博物館の目玉となる琉球庭園を作ろうと目論んでいるらしい。琉球庭園が見られる場所もあまりないので完成が楽しみである。とはいえ狭い敷地でどうやって作るんだろうかという感じだが…。カフェも増収作戦の一環らしいが,店番をしながらマスターをするのだろうか…?あとは屋上で唐辛子を栽培して売ることで収入の足しにするとのこと。涙ぐましい努力である。こちらまで悲しくなってきた。この記事をご覧の皆々様も,石垣島にお越しの際は是非南嶋民俗博物館に足を運んでほしい。話を聞きながら庭を見ると,眼の前をセマルハコガメ(絶滅危惧種)が通り過ぎていった。何というカオスな場所だ…。そこへ一人の新しい客が。外国人女性であった。館長は英語がしゃべれないので成り行きで通訳を頼まれてしまった。別に大して英語が喋れるわけではないが,かわいそうなので引き受けることにした。

 どこから来たのか聞いてみると,ブルガリアとのこと。日本人すらほとんど来ないこんな場所によく来たもんである。これは京都でも思うことだが,外国人観光客は国内の観光客よりよっぽど情報を調べているようである。さて,分かっていたことだが自分が何に使うのかすらわからないものを他人に,それも英語で説明するのはとても難しい。そして先方はこっちだって客だというのにお構い無しで込み入った質問をしてくる。最初は翻訳アプリを使おうとスマホを取り出したのだが,一瞬で電源が切れて"Oh!! It's dead!!"などと爆笑していた。すごい人だ。控えめに言って尊敬した。自分だったら海外でスマホの電源が切れたら絶望する。

 自分でもよく分からないことは館長に聞いてまた翻訳するのだが,ここでまた館長の返答が絶妙に質問に対する答えになっておらずかなり困った。まさか先方も日本人同士で意思疎通に困っていたとは思わなかっただろう。彼女は非常に論理的な人物で,質問も道理に沿ったものが多かったのだが,一方で館長はそのへんの論理に無頓着なために回答が答えになっていないことが多々あった。もはやその場合は自分で想像するしかない。はっきり言って適当に答えた部分も多く先方には申し訳ない気持ちもある。また,展示の非常に細かい部分まで見ていたのが非常に好印象であった。一度戦後すぐの児童歌の歌詞を見て「ここの英語の歌にatomicって書いてあるんだが?」と聞かれ,見てみると本当にatomicと書いておりよくそんなところまで見てるなと思うとともにそんなやべえ曲が歌われていたのかとびっくりした。もっともこれは数少ない彼女が独力で理解できるゾーンだったおかげで特に真面目に読んだ可能性もあるが。ちなみにこのatomicは日本語歌詞では極微と訳されており,原子力ではなかったのでほっとした。結局閉館時間になっても説明が終わらなかったので,仕方なくそのことを伝えて彼女には帰ってもらった。というか自分も帰らないといけない時間である。

 最後にかねひでに寄りたかったのだがそんな時間はない。まあ博物館で過ごした奇妙な時間については後悔していない。ていうか外国人に博物館の案内するなんてことはもう一生ないだろうし。急いで宿で荷物を拾って港に向かう。少し桟橋周辺を歩いてからバスに乗って空港に向かう。これで今回の旅行は終わり,と思いきや飛行機が遅延しており1時間くらい帰宅が遅れることになった。なんというかあらゆる点で想定外のことが起こった1週間だった。

 

 簡単に総括。肝心の海岸は微妙な結果だったが,まあこういうこともあろう。やはりルートファインディングを舐めてはいけないのである。とりわけ海でほとんど泳いでいないのが大いに悔やまれる。まあ天気がそこまで良くなかったので仕方ないか。実は銛も持ってきていて,今年こそは1匹くらい魚を突いてやろうと意気込んでいたのだが。一方でようやく釣りに成功した。今まで慣れないルアーで釣ろうとして鳴かず飛ばずだったのだが,餌釣りのなんと簡単なことか。魚なんて釣り方なんてどうでも良くて,食えれば良い。食うために釣る,このスタンスは今後も保ってゆきたい。

 しかし何度来ても八重山は良いところである。大学に入ってから自宅と大学,研究室,部室以外で最も長い時間を過ごしたのは間違いなく西表だと言える。何が良いのかをあまり説明できないので安易に人には勧められないが,とにかく自分はこれからも時間があれば行きたいと思っている。というか次の春休みこそ今回行けなかった沢に行きたい。

 結局就活を放り出して西表に来たわけだが,結果論としてこれは成功に終わった。だが,どちらかと言うと重要なのは結果的に成功したことではなく,就活より西表を優先したという過程にある。自分が最も無駄で無意味だと思う就活のために自分にとって意味の大きい西表を犠牲にするのは本末転倒であり,その意思に叶う行動を取ったことこそより良く生きることに繋がるのではないだろうか。まあ何がより良い生き方なのかは個人によるのでこれ以上立ち入らない。自分は非常に短いスパンでの幸福を重視する傾向にあるので後先を考えない行動を取りがちである(トライナリーでは長期的な視点での幸福を重視するよう言われたが)。結果どうだったかは死んでから答え合わせでもすれば良かろう。いまのところこれでうまく行っているつもりなので,このまま続けるつもりでいる。後悔しないように生きれば良い.

 こんな文章で終わらせるとまるで自分探しの旅にでも出たような雰囲気が漂って嫌なので,無理矢理もう少し書く。西表もここ数年でだいぶ観光地らしくなってきたと思う。それを最も感じるのがバスだった。確か去年からバスがフリー乗降ではなくなった。定時運行のための工夫だろう。そして最も驚いたのが両替機が設置されたことである。僕が初めて西表に行った時は両替機がなく,運転手に「お釣りなんてねえからどうにかしてちょうど出せ」と言われなんなんだこいつはと思ったものである。以来,バスに乗る時は丁度の額を出せるよう準備するようにしていた。しかしこれでは観光客相手が務まるわけがない。両替機を見て遂に西表もまともになったかと思うとともに,一方で少し寂しさを感じたのも事実である。ちなみにこんな運転手だが,玉盛スーパーで美味しい豆腐を教えてもらったりとしたこともあるので,別に悪い人ではない。世界遺産の話も進んでいるし,これから西表も一層観光地としての色彩を強めるのだろう。とはいえ観光地化が進んで儲かるのは得てして大きなホテルを建設できる島外の大手資本だったりするのである。そりゃあ島にも雇用が発生するのでメリットはある。それがどこまで良いのかと言うと,それは分からない。まあ我々みたいな金も大して落とさない客よりはマシなんだろうか。とにかく,オーバーキャパと過剰な制約が発生しないことを願うのみである。