焚き付け

主に日記を書く

ナウマン象の氷河期

 2023年4月と5月の記録にする。いつもより少し内容が多くなる予感がするが、最近は文章量を減らし目にしているのでまあ問題ないだろう。いつのまにか社会の人となって3年が経過したらしいが、どんどん人間としての質が下がっている気がする。

 

 

〇南部

 年度替わり早々に青森東部に行った。特に行く場所を決めていたわけではなかったのだが、どこかに行こうと夜行バスを探してちょうどコストと距離のバランスが良かったのが八戸だったのだ。地味に過去最長の夜行バスだったが、3列だったこともありそこまで苦ではなかった。八戸に着いた頃には8時くらいになるのが玉に瑕ではあるが、良い選択肢である。

 移動に当たってはSCRUM8なるバスのフリーパスを使った。ジョルダンの中に入っていたオンライン形式のやつだが、今はもうない。田舎のバスなので使い勝手は良くないのだが、単純に安かったのと田子や三戸など鉄路のない内陸が範囲に入っているメリットがあった。

 まずは本八戸の駅に行って、朝ラーを食す。青森の透き通った煮干しラーメンが最も好きなので、こういうのが朝から食べられるのは大変満足度が高い。その後中心街のさくら野とかがある十字路に向かい、バス移動開始。

 まずはちょうど良い時間の田子行きのバスに乗車し、終点まで。結構時間がかかる。田子といえばにんにく以外のイメージが一切なかったが、実際ににんにく一点突破の街であった。とはいえにんにくはあまり好きではない。適当に歩いて終わり。町というにもだいぶ小さなところだ。


 続いて、折り返して三戸へ。こちらはもう少し大きな町だ。城跡があるのと、11匹のねこの作者の出身地らしい。昼飯にありつけず困った記憶がある。結局、そのへんの直売所で買ったきみとが昼飯になった。


 この日はここで終わりとし、八戸に戻る。ちょうど夕方だったので、舘鼻公園のタワーへ。港町は朝夕が似合う。その後は適当に商業施設巡り。やはり出色は長崎屋を核にするラピアで、ファンタジードーム(屋内遊園地)は非常に迫力がある。あとはイオンやピアドゥなど。翌朝が早いのでさっさとネカフェに入って就寝。

 

 翌朝、舘鼻岸壁の朝市へ。早朝というのにすごい人出だ。様々な店があるが食べ物屋が多く、祭りの屋台に近いかもしれない。そういう意味ではあまり自分の目を引くものはなかった。たしかどこかの店でりんごだけ買った記憶がある。

 陸奥湊から久々の八戸線で南下し、陸奥白浜へ。そこから海岸沿いに歩く形で折り返して蕪島に向かった。蕪島は聞きしに勝るウミネコの量で、1m以上離れるようにという看板に従うのはどうやっても無理というレベルであった。明らかに異常な場所で、訪問の価値がある。

 

 鮫からバスで折り返して八戸に戻り、ここから乗り継いで五戸へ。町の規模的には三戸より少し大きいか。意外と高低差のある街並みだ。この一帯は馬肉文化圏で、フリーパスに割引メニュー的なのが記載してある店に入った。フリーパスを見せるとそんなものは見たことがないし店内のマニュアルにも対象メニューがないということだったが、なんやかんやあり適当な割引セットメニューにありつくことができた。これが鉄板焼きと馬刺しのセットだったが、今まで食べた馬肉の中でも最も品質が良かったように思う。

 

 昼を食べた後は八戸に戻る。ここから是川縄文館や八食センターなどもう少し回るつもりであったのだが、バス時刻の不安定さに翻弄され、しばし迷走。あとはバス内で忘れ物をして営業所まで取りに行ったりしたため、結局、根城と櫛引八幡宮に行くにとどまった。根城は結構でかくて見ごたえがある。

 

 この日のうちに三沢から帰るので、夕方に青い森鉄道で移動。実は歩くのは初めてだったのだが、大きな町だ。思った通りでもあり、思った以上でもある。意外と時間がなかったので速足で回り、晩飯を食べて銭湯に入って空港へ。夕食のサーブが遅くてかなり不安ではあったが、まあ問題なし。空港内を見る時間もなく早々に搭乗し、羽田へ。

 

 さらっと書いたのだが、結構満足度の高い回であった。春は北に行けば行くほど良い論者であるため、こう思うのもまあ当然ではあるのだが、やはり春先の北東北の訪問経験があまりなかったというのも大きい。青森はいつも西側ばかりなので、北岩手と合わせて未踏の場所もまだ多い。少しずつ埋めていきたいところである。

 

〇房総

 これは写真だけでさらっと終わらせる。突然誘われて友人の車で行った。あいかわららず大混雑のおさかな倶楽部、安房神社、野島埼など。やはり車を持っていると良いなあと思うこともある。実際持つと間違いなく持て余すので買う気はないが…。

 

東京湾

 こちらもほぼ写真だけ。社の先輩に誘われて東京湾でアジを釣ってきた。金沢八景から出る釣り船で、竿も借りてお手軽だ。ライトタックルのカゴ釣りで、エサはイワシの団子だったかと思う。天気は良かったのだが釣果はいまいち伸びずで、アジ7匹+イシモチ1匹程度。先輩氏も同じくらいで竿頭もせいぜい15匹程度だった。午前はもっと釣れたらしいのだが…。あと普通に酔って吐いた。昔と比べどんどん酔いやすくなっている気がする。糸が絡んでいるのをほどく途中だったが、船中で細かい作業をやるとやはり厳しい。釣った魚は刺身やフライなど2日ほどかけて適当に消費した。あまり釣れ過ぎても困るのだが、それなりに金もかかるので難しいアクティビティである。

 

 

〇渡島

 20日ごろの話。もともと弘前に桜を見に行こうとしていた。で、そのへんの混雑を見込んで函館からアプローチしようと飛行機を取っていたのが始まりである。ただ、今年は桜前線の進みが異常に早く、例年なら連休はじめで満開のはずの弘前城も既に散っているという状況、怪我の功名とばかりに道南を回ってきた。

 初日、土曜の夜に函館に到着。最小単位で車を抑えてあるので、とりあえず中心街に出て観光した。時期がずれた分ちょうどこの辺りは満開で、五稜郭もすごい人出だった。相変わらずタワーには登らなかったが。その後ラッキーピエロで夕食とし、それからチョクノリで予約していた車を借りた。その後予定は特にないのでまだマイカー規制の入っていない函館山に登り、そのへんで仮眠した。

 

 翌朝は恵山岬の水無海浜温泉からスタートするつもりだったのだが、潮位を読み間違えており完全に水没していたため入れなかった。わざわざ来ておいて虚無。適当にそのへんを走ってからぐるっと回って恵山へ。恐山みたいな雰囲気の火山だった。なかなかきれいなところだ。誰もいなかったがやたら駐車場が広かった記憶がある。

 

 この日は実は函館を挟んで反対の知内に宿を取っている。ということで、ここで折り返し。中心街のミスドで行動食のドーナツを買い出ししてから西へ。まずはトラピスト修道院に行った。観光地だし結構人がいるものと思っていたが、ほぼ無人だった。日曜朝なので教会ではミサをやっていたようだが、中に入っていないので状況はよくわからない。

 

 あまりこの辺りの観光地については知らないので、適当に地図に載っているところを回っていった。廃校になった東夾小学校にある明らかに管理されていなさそうな基準水準点も確認。福島まで進んで千代の富士記念館や青函トンネル記念館を見てから折り返した。

 

 わざわざ知内に宿を取ったということは当然知内温泉である。意外と9000円くらいだったので、他も安くないしせっかくだからと泊まることにした。秘湯を守る会というのは全くいけ好かない団体ではあるのだが、それはさておき湯に定評のあるというのは事実なので、そこは切り分けて考えている。リノベーションしたのか割ときれいだった。もはや記憶があまりないのだが、割と塩気のある湯で湯温も高くてかなり温まった記憶がある。夕食も名物のにらと牡蠣の鍋でなかなか良い。

 

 翌日。この日は松前城へ。当然、ここも満開だ。ここは品種がやたら豊富なのが良いところだと思う。個人的には弘前に劣らないと思うのだが、どうだろう。スタンプラリーをやっていたので全部回ったら桜カレンダーがもらえた。2024年になった今もまだ飾ってある。

 

 午後は江差に向かった。江差の春は江戸にもないと言われるので春に来てみたかったところではあるのだが、にしん漁の衰退した現代、その面影はどこにもないなというのが正直な感想だ。とは言え町並みはしっかりしているので、北海道以前の時代の面影を感じるところはある。少し街を歩き、開陽丸を見物し、五勝手屋で羊羹を買って撤収した。

 

 ちょうど夕方にさしかかり、夕陽スポットを目指して乙部町のシラフラへ。ノルマンディーのごとき白亜の岸壁ではあるが、こちらは凝灰岩か。銚子の南のドーバー海岸よりはこちらの方がまだドーバーだと思う。

 

 そういえば途中で抜けていたが、昼間に江差を少し離れて湯ノ岱温泉に行った。ここはなぜか昔ピンを打っていたのだが、実際行ってみると非常に良い湯であった。泉質もだが、なによりぬる湯なのが良い。個人的には知内より好きだ。

 

 話を戻す。日が暮れた後は227号で北斗に戻った。あまりよく知らなかったのだが北斗も桜で有名で、大野川沿いや松前藩陣屋などが該当する。まずは大野川の方へ。臨時駐車場になっていた体育館に車を停めて散策。河川敷もだが、近くの法亀寺の桜がそれ以上に立派だ。ここ単体で行く価値がある。その後松前藩陣屋も訪問。どちらもライトアップされているし、出店もあって人出も多かった。

 

 函館に戻り、車を返す。そこから歩いて青函フェリーのターミナルへ。途中、晩飯としてハセストでやきとり弁当を確保した。実は今回の旅行ではセイコーマートを一度も使わないという制限をかけていたので、コンビニは全てセラーズかハセストで済ませていた。やってから分かったが、道南は結構セラーズが残っていて難易度はそれほど高くなかった。まあそれはさておき、そういうことだったので最後にあえてやきとり弁当を晩飯にしたところがある。深夜便で早朝に青森港へ。

 

 あまり早朝に到着してやることがなくて困ったので、とりあえず油川の海岸の砂浜でぼけーっとする。ほどなくして近くの銭湯が開店したので、時間つぶしも兼ねて凍えた体を温めに行った。道中、むかし泊めてもらった老夫婦の家がこの辺りにあったはずなので探したのだが、残念ながら見つからず。その人は竜飛崎近くの海岸を歩いていたら成り行きで家に泊めてもらうことになり、今度ねぶた見に来るときは泊めてやるから連絡しろよと連絡先をもらっていたのだが、残念ながら紛失してしまった。訛りが強く何を言っているのかほとんど分からなくてこれなら英語の方がまだましだと思ったほどだった。無事、コロナを乗り切れただろうか。

 

 一応弘前城の様子も確認しておこうかということで、電車で弘前に向かった。城に行ってみるとなるほど本当に葉桜で、花筏も完全に消えてしまっていた。例年なら連休は人でいっぱいになるところだろうが、今年は大変そうだ。こういう固定された連休に対しては結構気候変動の影響で大きく人流が変わりそうだななどと思案する。

 

 せめて標高を上げれば良いのではないか、と思い岩木山麓に上がることにした。バスで岩木山神社へ。何回目やねん。嶽温泉まで散歩してみたが、確かにまだ花は残っていたもののやはり散りかけ。思ったよりしょっぱかったが、まあ嶽温泉に入ったのでそれで良しとしよう。温泉に入るとき、横に外国人男性と日本人女性の二人組がいたのだが、こいつに日本の風呂の入り方を教えてやってくれと頼まれたりした。確かフランス語の勉強をしているドイツ人だとかなんとか言っていた気がするが、酸性泉にびっくりしていた(そりゃそうか)。

 

 とりあえずバスで折り返して弘前城付近で昼飯ののち、悪戸のアイス屋に寄ってからりんご公園へ。りんごの花にはまだ少し早かったようだ。いい加減弘前でやることがなくなってきた気がする。もっと今まで行っていない方向に足を伸ばしてみるべきか。

 時間が余ったので浪岡まで移動してからバスに乗った。ちょっとだけバス代が安くなる。晩の飛行機で青森空港から羽田へ。

 

 有休を2日使ったのが少々下手(うまくやれば1日で収められた)のが少し下手だったなとは思うが、まあどうせ余らせているので良いか。ここまで桜が外れるとは思っていなかったのだが、函館から入るようにしておいたのが奏功したというところか。本当は奥尻島に行きたかったのだが、これは帰りの飛行機も函館にするか、函館からの飛行機を事前にきっちり抑えておけばできたかもしれない。思えば弘前より奥尻の方がよっぽど行きにくいので、そういうスケジュールにしたほうが良かったかもしれない。

 

〇土佐の高知

 2日休んだので、3日だけ働いたら連休入り。舌の根も乾かぬうちに金曜夜便で高知へと飛んだ。特に大したことはなく、最近高知に行っていないなと思ったのが理由である。

 

 高知空港は初めて。ということで後免まで徒歩脱出をやることにした。時間にして1時間程度、道もずっと大通りなのでかなり簡単な方だった。くろしお鉄道で高知に行き、駅の裏手のくいしんぼ如月で買ったチキン南蛮弁当を食べてからネカフェに入った。これで初日は終わり。高知駅についに自動改札が設置されていて驚いた記憶がある。

 

 翌日。ノープランだったので、何も考えずにフリー切符を買った。四国なので当然特急も使えるタイプ。高知駅の朝は早く日の出前から動いているので、追加で寝る目的も兼ねて何も考えずに南風に乗車。とりあえず香川でうどんでも食べようかと思っていたが、このままだと到着が早過ぎる気がしたので一度阿波池田で下車、池田ダムを見て適当に散歩してから次の列車で再び香川方面へ。

 手前の方で降りたほうが良いかと思い、善通寺で下車。うどんを食べた後善通寺に行くと、どうも空海生誕1500年らしく、大々的なイベントをやっていた。その関係で秘仏の瞬目大師が公開されていたので見てきたが、全く覚えていない。次の公開は2034年という相当の珍しい機会ではあるのだが、全くもって馬の耳に念仏であった。

 

 今度こそ高知に戻るが、天気が悪い。ということで、宿毛に宿を取って一気に向かうことにした。高知で西向きの特急に乗り継ぐが、結構混雑していた。流石に宿毛は遠く、到着したのは15時過ぎ。相変わらず天気も悪いので、先に宿に荷物を置いてから散策。目当てのキリンハウス(古バーガー屋)は休みかつ通し営業の店なんて宿毛にはほぼないので、そのへんで買った柑橘などを宿に持って行って昼食とした。夜も似たような感じで、フジで買った半額刺身などを食べて寝た。まあこれだけ天気が悪いとどうしようもない。

 

 翌日は中村でモーニングを食べたのち東進。なんとなく無駄の多い旅程なのだが、前日調べていてこの日にどろめ祭りがあることが分かったので仕方ない。高知を通り過ぎて一気に赤岡へ。町を歩いてから会場で酒を飲む人々を眺めた。

 

 この後は奈半利、野市を歩いてから高知商業高校の基準水準点を確認(遠くてほぼ見えず)し、近くの中華料理屋でフードファイトしてから高知に戻り、城と銭湯を片付けて初日と同じネカフェへ。

 

 フリー切符3日目。この日は朝、伊尾木洞からスタート。なんと言うか説明の難しい場所だが、半分洞窟半分ゴルジュと言えば良いか。まあ見慣れている人間にとってはそんなに大したことはないなという印象。それなりに有名なのか、そこそこ朝早いにもかかわらず写真を撮りに来ている人もいた。

 

 その後は安芸市へ。割と大きい街というイメージだったが、思ったほどではなく野市など高知に近い街の方がよほど発展していた。これだけ離れると厳しいか。岩崎弥太郎の生家まで行ったが、この日は天気が良かったこともありかなり大変であった。ここ自体はまあまあ良いのだが…。

 

 続いて夜須へ。ここが今日のメインになるが、手結の可動橋を見に行った。確か1時間サイクルで開閉するので、ちょうど開く時間に合わせて訪問。信号まで付いていてかなり手が込んでいた。漁船程度しか通らないだろうに、それなら最初から少し高く架けておけば良いと思うのだが。横では二人組がモルックで熱戦を繰り広げており楽しそうだった。その後、近くのマイショップを訪問したり、道の駅でメロンを買ったり、そのへんの食堂で昼を食べたりしてから移動。

 

 日程はまだ余っているものの、切符もこの日で切れるので、ここで折り返す。実は書いていなかったのだが、今回の旅行はスーツを運ぶという大変面倒な作業が発生していたのでかなり自由を奪われており、かなり移動が制限されていたのだ(この日は高知駅のコインロッカーに放り込んでいた)。出口戦略で少し悩んだが、結局最安値の鳴門からのバスに。というわけで、再び阿波池田に出て、徳島線を東進。途中脇町に寄って行ったが、夕立に降られたのと単純に時間が少し足りなくてやや消化不良だった。あとはバスで三宮に出て、実家へ。

 

 一応この後の話も書いておく。スーツは4日にいとこの結婚式があるためであった。淡路島が会場だったので、実家から家族で移動して参列。1日置いて6日は京都で人が集合していたので参戦し、麻雀とさとのやをやって7日に帰京。麻雀でスッタンが出たことを示す写真が残っているが、全く記憶にない。まあ自分は和了でも放銃でもなかったはずだ。

 

 今回ミスだったなと思うのは、スーツを先に実家に送り付けていなかったことだ。結局コインロッカーを使うならそんなに金銭的な圧縮にもならないし、形が崩れるとかも長いこと手で運ぶよりはマシだっただろう。結果的に2日ほど実家で虚無の時間ができてしまった。四国にしたのは直接淡路島に乗り込むことも考えてだったのだが、結果的にあまりうまくいっていない。天気に翻弄されたのもあるが、もう少しうまくやれただろう。高知はまあだいぶ片付いてきたが、四国はまだ愛媛がかなり残っており、未だに今治に行ったことがないという有様である。早くどうにかしたい。

 

〇ξ

 5月の最終週、わたらせ渓谷鉄道に謎のヘッドマークが掲載された。それがこれ。

 

 何かの8周年である。この人物は誰なのか、これが何の8周年であるかはこれ以上言及しないことにするが、いずれにせよこのヘッドマークを見に2日間周辺をうろうろしてきた。

 土曜日、早朝の電車で桐生へ。自分以外の関係者も集っており一緒に動いたりしていたようだが、ひとまず単独行動。2日フリー切符を購入し、ひとまず足尾へ。銅山には入らなかったが、一応ひととおり散策。ぼろいコンクリ建築群がいかにも鉱山町という街並みだ。

 

 この後はひたすらヘッドマークの筋を見ながら、適当に駅間の徒歩移動と乗車を繰り返し。5人くらいは集まっていたはずだが、結局全員と1度は顔を合わせた。電車内だけでなく駅で鉢合わせたりもしたのでなかなか楽しかった。夕食は集合して伊勢崎のシャンゴで食べたのち、自分だけ移動して終電のヘッドマーク車両で間藤まで乗車し、この日の運行終了を見届けてから銅親水公園まで歩き、そのへんで寝た。

 

 2日目。朝は松木川上流の散策からスタート。鉱毒のせいか燃料にしたせいか知らないが、このあたりの山肌は露出していてかなり日本っぽくない光景だ。適当に進んだところで関係者以外立ち入り禁止の看板に阻まれたので、そこで折り返し。キジだのイノシシだのツキノワだのあらゆる野生動物がいた。

 

 足尾に戻った後は古河機械金属の工場周辺の廃墟を散策したり、簀子橋の堆積場(鉱毒を貯留しているダム)を遠くから眺められる山に登ったりとかなりハードに移動。なかなかコンテンツ力の多い場所なので回り切れていない感はある。あとは移動して草木ダムも見る。バルブの工事中なのか、ゲートから放流していた。

 

 この日まだpが引き続き残っていたので、合流して神戸にあるみどり市ボルダリング施設に行った。廃校を再利用してサーカス学校的なのにしているようだが、その一角にある。利用料はなんと100円。課題の質はいまいちだし当然管理もかなり適当だし冷房がないので暑いといろいろ問題はあるが、とは言え圧倒的に安いのは良いことである。pはボルダリング自体初めてのようであった。その後まだ残っていた人で集まり大間々の城ケ崎なるラーメン屋で昼飯。店名がアイマスのキャラから来ているのか、たくさんそれっぽいものが飾られていた。小泉さんにも登場したらしい。

 

 この後は15時ごろの最終運航、車庫入りを見届けてから解散。そのまま帰るのも面白くないので、上毛電鉄で前橋に出てスズランなど回ってから帰宅した。思えば前橋はほぼ観光したことがなかった気がする。やはり立地が悪い。

 

 渡良瀬川流域は地味に行ったことがなかったので良い機会であった。上流の沢にも手を伸ばしてみたい気持ちがあるが、入って良いのか分からないのが難しいところ。あと、久々に焚き火をやった。長いこと出来ていなかったが、やはり楽しいというか、焚き火でしか得られない感情があることを再認識できた。沢でできるのがベストだが、そうでなくとも機を窺っていきたいところである。

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  最近は労働をやるか旅行に行くか寝るか以外の選択肢が減っている気がする。多分、労働がそれ以外を圧迫している。元々それ以外はあまりなかったのだが、それが減ると生活の維持という意味であまり良くない方向な気がするので、どうにかしたい。とは言え主体的に労働に取り組むのは困難である。どうにか義務感ドリブンで放置せずさっさと片を付けられないものか。