焚き付け

主に日記を書く

サンダル履きの天使

 12月。年末の休みがあったのでそれなりにイベントはあったのだが、事故もあり全体的に小ネタ然としている。とにかく、さくっとまとめておく。

 

〇式

 知人が結婚して呼ばれたので、出た。正直一生縁のないイベントだと思っていたので、意外である。式は名古屋だったので、前日に移動。大須を散歩して謎の高級モンブランを食べたり、ホテル京阪のスタバ飲み放題で頭が痛くなったり、晩飯ではなびに行ったら辛くてえらい目に遭ったり(食ってばっかりだな)。

 翌朝はコメダの和風業態であるおかげ庵でモーニングの後、三菱UFJの一角にある貨幣博物館で時間を潰してから現地に向かった。会場は面識のある人がかなり多く、オフ会みたいな雰囲気。

 式の方は割と格式ある雰囲気で立派なものだった。結婚式の段取りなんてものは何も知らないので、こういうのがスタンダードだと今思ってしまっている可能性もあるが。しかしだからこそなのか、ステレオタイプ的な演出が目立ったのが個人的には目についた。ファーストバイトとか。とにかく、古典的な夫婦像を作りたがっているように、そうなるように進行側がそう誘導しているように見えた。自分の見方が変なのだろうか?本人たちが望んでそうしたのなら別にいいのだが…。他の人がそのような印象を持ったのかについては聞けていない。というか、そこに疑問を持つような人間は結婚式に出るべきではないのではとすら思えてきた。まあよい。こういうところが目についたというだけで式そのものは楽しかったし、呼んでもらえてよかった。次はあるのだろうか?周りが新幹線で帰る中、ひとりだけ18きっぷで帰宅した。

 

〇年末その1

 これは失敗した。もともと年末の休みを利用してガルラジ徒歩遠征の続きをやったのだが、膝が崩壊したので中断して帰宅した。以下簡単な記録。

 ガルラジ聖地間徒歩については5C2通りの組み合わせがあるわけだが、最終的に双葉富士川岡崎御在所徳光と外周に沿うように回ることを考えている。今回は日数から逆算して御在所→徳光ということにした。折しもの湖東の大雪で道中がかなり不安だったが、長い距離の区間ほど時間がかかるので、休みがあるうちに早めに消化したいという思いからやることにした。

 初日は18きっぷ四日市へ。まあなんというか、まだ残ってたんだとすら思える典型的な昭和感ある地方中心都市の駅だ。改札を出るとすぐ、こにゅうどうくんのパネルが出迎えてくれた。カグラヤにも出てくる名前が実在しているのを見れたというだけでかなり嬉しい。これが質感コンテンツのいちばんいいところだ。

 よく考えると下りるのは初めてだったので、とりあえず散策した。とりあえず北に向かうかと歩き始めてすぐ、やたらレトロ感あふれる飯屋があったので昼飯に入った。ランチ500円の価格崩壊ぶりでかなりにぎわっていたが、味は普通だった。ヒレカツのほうが良かったかな。

 

 食べ終わったので、改めて歩き出す。すぐに大きな通りとぶつかった。諏訪新道という道で、歩道側が雁木になっている(雁木という表現でいいのか分からないが、とにかく歩道部分だけアーケードになっている)。と、右手に見覚えのある看板が。ソルティだった。さも普通そうに書いているが、とんでもなく驚いた。もう1店舗も残っていないと思っていたからだ。2015年に一宮で見かけたことがあったのだが、その時は入れなかったので、これが初訪問になった。ちょうどなかったので、飲み物を買った。これは嬉しい誤算。犬も歩けば棒に当たる。

 

 御在所と逆方向だがまっすぐ歩くと海に出られるので、見に行くことにした。突き当りは湾奥になっており、向こうにはコンビナートが見える。看板によると、ここは昔の港だったらしい。今は奥の人工島がその役割を担っている。穏やかでよいところだ。

 少しのんびりして、引き返す。実はそんなに時間もないので、ここから行動開始だ。まず目指すのは御在所SA。前回は山城駅からアプローチしたので、今回は反対側からとなる。距離は10キロもないくらいで、まあ問題にならない距離だ。と言っても、山城駅からと比べると遠いが…。町を抜けるとすぐに何もないところになる。困ったことに歩道のない場所が多く、結構気を使った。キオクシアの巨大な工場を横目に見つつ、SAへ。年末ということもあり、中は賑わっていた。が、特に見るものはないのでさっさとスルー。

 一応上りの方も見てから、撤収して山城駅方面へ。やっぱりゴルフ場のところが歩道がなく怖い。最初の交差点、まっすぐ進めば山城駅のところ、今回は右へ。新興住宅地を抜けて、北勢線星川駅の方へ向かった。新興住宅地というわけで丘の上にあり、意外と骨が折れた。その後また山があって新興住宅地。勘弁して欲しいぜ。日も暮れてきてひたすら同じようなつまらない景色の中を黙々と歩き続ける機械と化して数時間、ようやく多度の手前で養老鉄道を越え、R258と合流した。早速ラーメン屋があったので、晩飯にした。二郎系だった。びっくりするからやめてほしい。

 特に苦戦するということもなくラーメンは完食し、また進む。距離の短さを取って揖斐川の左岸道路を進んだが、堤防道路特有の歩道のない1車線とやたら飛ばす車たちのせいで結構疲労した。

 途中、唯一のチェックポイントである、MG木曽三川公園店に立ち寄った。もともと、ここに寄るために今回この経路をとっている。九州の3店舗は訪問済みなのであとは茨城を残すのみなのだが、たしか現在この店はもう閉店していた気がする。

 大垣方面に向かうために右岸に移動して、また同じような道を歩き続ける。疲労が溜まってきたのと冷えてきたので結構厳しい。おまけに時間も結構タイトなので、必然的に早歩きになって休憩も減った。そして夜更けにようやく大垣の南の方の快活に到着し、この日は行動終了。

 2日目。ちらちらと雪が降っていた。この日は確か長浜あたりが目標だったと思う。大垣の市街地を抜けようというところでスーパーに寄って休んでいたのだが、どうも足の動きが悪くなっているようだった。雪もだんだん強まってきていたので、これは今日で撤退になりそうだなと思いながらも、とりあえずは前進することにした。が、垂井に差し掛かったところで足の痛みがだいぶ顕在化してきたので、ここで撤退とした。

 今までと同じ、膝の症状だった。今回も左膝。新快速の中から見る関ヶ原は雪まみれで、どのみち足が万全でも進めなかっただろう。その点だけは不幸中の幸いと言える。その後、なんとなく近江八幡のサティをぶらついて昼飯のスガキヤを食べて有馬記念か何かを見ているうちに膝の症状はさらに悪化した。人が釣れたのでさとのやで焼肉を食い、知人宅に泊まって麻雀をしてから帰省した。麻雀は7:3で押さないくらいのところを押して振ることが多く、完敗であった。

 今回の計画で関ヶ原が問題になりそうなことは理解していた。滋賀が大雪になっているのは知っていたのだが、これもまた7:3で押してしまったと言ってよい。日程的にもやや厳しく、そういう意味ではそもそも計画段階の不備だった。大人しく富士川から岡崎とかにしておけば、まだ結果は変わっていたかもしれない。

 

 その後暇になったので、1日は三田のサティに行った。子供の頃に行ったことがありなかなか感銘を受けた記憶があるのだが、ある程度知識がついた今行くとやはり相当よいサティであることが理解できた。自分はジャスコよりダイエーよりサティが好きなのも、ここに源流がある。ついでに阪急が撤退した駅前のモールや新しくできたラムーを見て帰ってきた。三田は人口規模を考えると相当商業が集積しているように見えるが、おそらくロードサイドが非常に充実しているのでそう見えるだけなのだろう。そういう意味で、三田は京阪神の都市圏の外にあるのだと理解した。

 また、帰省していた高校同期と適当にドライブで箕面に行った。箕面の滝は幼い頃に行ったこと自体あるはずだが記憶からは消えていた。近場はどうしても行くのが億劫で取り残されがちだ。

 

 そんな感じで2021年の年末は過ぎていった。派手さはなかったものの、それなりにそれなりな1年だったと言ってよいだろう。一応一通りのことはできた。できれば沢にもう少し行きたかったところではある。労働の方は結構忙しいので、どうにかしたいところだが。少なくとも社内でお前がいないと特に困るというような人間にはなりたくない(そもそも慢性的に人は足りないから誰がいなくなっても困るのだが)。そういうわけであまりまじめに仕事はしたくないのだが、目の前にあるものはやらないといけないしで、仕事があるのにそれをやらないというのも腹が立つので、結局やることになる。偉くなりたくないので考課的なやつでできるだけ自己評価を低くして出したらもっと自信を持てと怒られた。そういう意図ではないのだが。早く自分が何もせずともよいくらい周りが優秀な世の中が来てほしい(大概の自部署の人間は自分よりよっぽど優秀ではあるが)。